知識欲 [11/56]


御手杵は庭に面した縁側に座り、ぼう、と離れの方向を眺めていた。
今日は気持ちの良い天気だからと開け放たれた、執務室の障子。その向こう側で己の主が黙々と机に向かっている。書類仕事をしているのだろう。その傍らには、近侍を担う長谷部の姿がある。こちらも同じく机に向かい、何やら筆を動かしていた。
いつも通りの光景だ。主は母屋の執務室で仕事をしていることが多かったが、最近は度々離れでも仕事をしている。週に三日か、四日くらいの頻度。つまりは週の半分だ。

その理由は、彼女だろう。
離れの外階段を軽やかに降りてきた彼女の手には、よくあの細腕で抱えられたもんだと思ってしまう、二組の敷布団。おそらく主と、彼女のものか。
掃除がてら干すことにしたのか、彼女は敷布団を一旦縁側に置くと、草履を履いて庭に降りた。何も身につけていないつま先を、真っ赤な鼻緒が彩る。
寒くないんだろうか。そう考えつつも目が離せなくて、御手杵は彼女を目で追い続けた。
敷布団を干し終えれば、再び離れの二階へ上がっていき、今度は掛け布団を抱えて降りてくる。そうしてそれも干し終えると、彼女は庭から二階へ顔を向けた。

「和泉守さーん、布団干し終えましたー!」
「おう、お疲れさん! んじゃ次は、母屋からバケツと雑巾持ってきてくれ。タワシもな!」
「わかりました!」

二人の会話に「お前らうるさいぞ! 主の仕事を邪魔するな!」と長谷部が声を荒げたが、即座に謝った彼女に対し、主はけらけらと笑いながら手を振っていた。

「いい、いい。気にすんな。でもあんま張り切りすぎんなよ。お前昔、掃除時間にバケツひっくり返したろ」
「よく覚えてるね? ……ああ、そういえば同じトイレ当番だったっけ」

合点がいったように言葉を紡ぐ彼女に、主は殊更うれしそうに、そうそうと頷いていた。彼女と昔語りをしている時の主は、今まで見たこともないほどに、うれしそうだ。

少しだけ談笑をしてから、彼女は草履を脱いで縁側にあがり、裸足のままぺたぺたと渡り廊下を進み始めた。彼女が母屋に入ったことで次第に距離が近付いてくる、が、途中でひょいと角を曲がり、姿が見えなくなった。
なんとなく残念に思い、彼女が曲がった角をじっと見つめる。早く出てこないかな、と。まばたきをすることも忘れて。

数分経っても戻ってこない彼女に、何故だか気持ちがしょぼくれてしまう。そうして視線をなんとなく離れへ戻せば、反対側からぺたぺたという足音が聞こえてきた。
思わず身体ごと振り向く。わ、と驚いた様子の彼女が、ちょうど角を曲がってきたところだった。どうやらバケツだの何だのを手に入れた後、ぐるりと回って縁側に出てきたらしい。
御手杵の勢いに驚いたんだろう。彼女は目をぱちくりとさせながら御手杵と見つめ合う形になり、そして目を逸らす機会も声をかける機会も見失って、静止していた。

御手杵の脳裏に、あの夜の彼女が、じんわりと浮かんでくる。
脚に、何かを塗っているようだった。御手杵は一度、乱や加州の辺りがボディークリームを塗っていたところを見たことがある。その類だろうと今ではわかるが、あの時はそこまで思考が働かなかった。
やわらかそうだ、と思っていた。上半身も脚も露わにした姿の彼女は、どこもかしこもやわらかそうだった。
刀剣男士は元が刀であるし、男性体をとっているしで、基本的に固そうなものばかりである。主も刀剣男士には劣るものの筋肉質な体つきをしているし、そもそも御手杵はこの姿になってから、生身の女を見たことがない。
他の刀剣男士なら、演練場で他の審神者なり政府の人間なり、女を見たことがあるかもしれない。でも御手杵は、演練に行ったことがなかった。もちろん合戦場を女が闊歩しているはずもなく、基本的に戦馬鹿である御手杵は万屋のある城下町に出たこともなく。
正真正銘、刀剣男士となった御手杵が初めて目にした女は、彼女だったのだ。だから余計に、興味を持った。好奇心をくすぐられた。
アレに触ったらどうなるのか、ただ単純に、気になった。

けれど、主曰く女の裸を覗くことは失礼にあたるらしい。それはそうだ。女人はみだりに肌を見せるべきじゃない。結婚前の女が恋人でも旦那でもない男に肌を見られるだなんて、きっと屈辱だろう。
でもそれは、御手杵たちのいたような時代、ずっとずっと昔の価値観だと思っていた。今はまた別なんだろうと勝手に思っていたが、今でもやっぱり、女の裸は見ちゃいけないものらしい。
だから主に促されるままきちんと謝ったのだが、彼女はあまり気にしていないようだった。そういえば確かに、御手杵と同田貫とばっちり目が合っていたにもかかわらず、彼女は声をあげるどころか顔を赤らめすらしなかった。

本人がいいのなら、見ても、触っても、いいんじゃないだろうか。御手杵の胸の内に、うすらとした欲がわき上がる。
御手杵が自覚しているか無自覚かはさておき――それは、知識欲と呼ばれるものに最も近かった。

「……あ、あの、御手杵さん?」

はたと御手杵は我に返る。視界に映っていたつま先から視線を上げれば、困惑気味の表情で彼女が首をかしげていた。
己の名前を知っていたのかと疑問を持って、すぐにそういえばあの時主が呼んでたもんな、と合点がいく。
相変わらず彼女は困ったような表情で、その顔が、どうにもなにか、胸の辺りをじりじりさせた。

「ええと、ごめんな。女ってなんか、珍しくてさあ」

取り繕う理由もなかったので、御手杵は正直に喋った。
ぽかん、と彼女が放心する。そのまま二秒半ほど固まったかと思えば、くしゃりと笑った。御手杵の胸の辺りが、またじりじりとした。

「骨格からして、結構違いますもんね」
「ん? ああ。それに、俺たちと違ってやわらかそうだ」

む、と若干硬直した彼女は、どうやらあの夜のことを思い出したらしい。
腕も、胸も、腹も、脚も、すべてがやわらかそうだった。半ば褒め言葉のつもりだったんだが、彼女の表情からして失言だったのだろうと察し、御手杵はその先を飲み込む。

「刀剣男士のみなさんは、だいたい細身か、がっちりしてますから」

けれどすぐさまにこやかに返し、では失礼しますね、と彼女は御手杵の背後をぺたぺたと通り過ぎていった。
その後ろ姿をじっと見つめ、やっぱりやわらかそうだ、と考える。あの腰の曲線は、御手杵たちにはないものだ。触れることが出来ればきっと、面白いだろうと思った。

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