話し合いの日まで、残り二日。 新しい朝が来たと目を覚まし、しかしそこにあったのは絶望の朝だった。障子の向こうに見えるいくつもの小さな影。ひぃ、ふぅ、みぃ、と心の中で数え、途中で面倒臭くなってやめた。彼らは一様に正座をしており、どうやら私が起きるのを待っていたらしい。 何なんだ一体、と寝ぼけ眼で前髪を掻き上げる。うるさく鳴ったアラームを勢いよく止めたのだ。彼らは私が目を覚ましたとわかっているだろう。しかし、そわそわと身動きする様は窺えるが、声をかけてくる気配はない。 とっくに起床していたのだろう三日月と、機能的には睡眠を必要としないこんのすけが、気が付けば私の傍らに集まっていた。とりあえず寝癖と格好をどうにかすべきだとこんのすけが言うので、私は仕方なく着替えることにする。 着替えを終えた私の後ろで、三日月が髪をといてくれていた。こんなことは初めてだが、私としても楽なので放っておくことにする。こんのすけが持ってきてくれたミネラルウォーターを数口飲み、髪を整え終えたらしく満足げな顔をしている三日月に礼を言って、布団を畳んでから障子を開けた。 障子の向こうでは予想通り、短刀たちが正座をしてこちらを見上げている。 驚きの表情から一転、はっとしてバツの悪そうに顔を俯かせた。誰々いるのか確認してみたところ、薬研藤四郎と小夜左文字は居ないようだ。つまり、それ以外の短刀は此処にいる。 朝っぱらから面倒臭い、と心の隅で思いはしたが、なるべく表情には出さないよう努めた。 「……朝早くに申し訳ありません、審神者様。先日の謝罪を伝えに、参りました」 戸惑いを見せながらも口を開いたのは、一列目の右から二番目、前田藤四郎だ。 彼の言う先日、とは私がこの本丸に初めて来た日のことを指すのだろう。一ヶ月程も前のことを先日というには些か時間が経ちすぎている気もするが、まあそれはどうでもいい。 今更、と思わないわけじゃない。それに、私にあの件――叔父の部屋を使おうとした私を突き飛ばし咎めたこと――を、責める道理はない。あれは私が悪かったのだ。 責任転嫁をするとしたら、事情や気持ちを省みず私をあの部屋へと案内したこんのすけだろう。……そう考えたのが伝わったのか、こんのすけがそろそろと三日月の背後へ隠れる。苦笑が漏れた。 「私たちは、己の哀しみばかりに気を取られ、主君となるべき審神者様のお気持ちを省みることもせず……あのようなことをしてしまいました」 聞けば、薬研藤四郎と一期一振、そして歌仙兼定が、私との会話を全員に伝えたらしい。これからどうすべきか、どうしたいのか、各々考えるように。そして出来ることならば、約束の日までに答えを出せるように、と。 短刀たちは一足早く答えを出し、離れを訪れたようだった。 「ごめんなさい」 ごめんなさい、ごめんなさい。口々に、短刀たちは謝罪をする。私の意見どうこうよりも、自分たちが謝りたかったのだろうとなんとなく思えた。 しかし、謝罪は大切だ。勝手に謝って勝手に楽になるなんてと思う人もいるだろうが、世の中にはごめんなさいと口にして初めて、己の犯した罪を自覚できる人間もいる。謝る権利なんてない、自分には謝ることすら許されない、そう思っている人には、ごめんなさいという言葉はとても重要なものなのだ。 罪を自覚したから、謝ることが出来る。謝って初めて、罪を自覚することが出来る。人それぞれだ。どうやらそれは、短刀たちにも当てはまるらしい。 ごめんなさいと口にすることが出来て、すっきりしたような子もいる。けれど反対に、ごめんなさいと言った瞬間、泣き出してしまった子もいた。 「ごめんなさっ、俺、酷いこと言って、つらいのは自分たちだけだって、思って、あんただって泣きたいはずだったのに、ごめ、ごめんなさいっ」 「ごめんなさい、あなただってきっと、主様の部屋を見て、懐かしいとかっ、哀しいとか、思ったはずなのに、それなのにっ、ボク、汚さないでなんてっ……本当に、ごめん、なさ、」 「ぼくは、あなたをつきとばしてしまいました、あのときあなたは、なきそうな目をしていたのに、ぼくは、みてみぬふりをして……っ、ごめんなさい、ごめんなさい」 厚藤四郎、乱藤四郎、今剣。つられたのか、他の短刀たちもぼろぼろと涙をこぼしはじめる。そして始まるのは、ごめんなさいの大合唱だ。涙声の。 このままでは母屋から誰かが様子見に来てしまうんじゃないだろうか。私が泣かせたと思われたらやだなあ、と冷や汗が流れる。 とりあえず、こんのすけに持ってこさせた人数分の手ぬぐいを、私の正面にいた厚藤四郎に渡した。泣きながらも厚藤四郎はそれを受け取り、他の子にへと回していく。 「どうか、泣き止んでください。私は貴方たちに対して、怒ってはいません」 何も言わないままでは、話も進まない。鼻を啜る音と、泣きすぎで噎せたのか空咳をする音が響く中、静かに告げた。 しかし、短刀たちはでもでもだって、自分たちは悪いことをしたのだ、と私の言葉を受け入れてはくれない。私が謝罪を受け入れないせいだろうか。受け止めはしたつもりなのだが。 「……元より、あの部屋は貴方たちの主のものです。私が立ち入り、己のものとしていい場所ではありません。貴方たちの行動は間違ってはいないのです。何故、私が怒り、貴方たちが謝らなければならない道理がありましょう」 「でも、あるじさまはしんでしまいました」 今剣がそうっと、鼻声で呟く。短刀たちの涙が増した気がした。 「それに僕たちは、間違ってはいなかったとしても、正しくはありませんでした」 続いたのは、秋田藤四郎だ。手入れをしたときとは違う、真っ直ぐな視線で私を見つめている。 ……私は彼らの、この目が苦手だ。拒絶をしたときも、受け入れようとしてくれているときも、代わらず真っ直ぐに此方を見つめてくる。人間には到底映し得ないんじゃないかとすら思う、瞳の中の直向きな色。嘘も誤魔化しも、許されない気がしてしまう。 「僕たちはあなたを、っ傷付けました。そんな行為が、正しいはず、ありません」 「……」 「許してくださいなどとは言えません。ですがどうか、謝らせてください。僕たちは、主の姪である貴方の御心を、蔑ろにしたのです」 「本当に、ごめんなさい」 再び、ごめんなさいの大合唱だ。いよいよもって、母屋から誰かが駆けてきてもおかしくない。 私は……何度も言うが、怒ってはいない。哀しんでもいない。叔父の部屋に入るなと、汚すなと、この部屋を使って良いのは叔父だけなのだと言われたときは、なるほど、と思っただけだ。それもそうだと、彼らの言い分を理解した。 よって、別段傷付いてもいない。強いて言うなら突き飛ばされた時に床で擦った膝と掌が痛かった程度だ。それも、とっくに治った。 許すも何も、彼らの思う罪など端から存在しないのだ。だから私はどうすべきか戸惑っている。 ちらと三日月に助け船を求める視線をやるも、彼は手持ち無沙汰そうにこんのすけの尾で戯れていた。どうやら、今回は手も口も出すつもりはないらしい。出そうになった舌打ちを飲み込む。 仕方なく、短刀たちへと視線を戻した。彼らは額を床に擦りつけ、手ぬぐいを握り締めながら、泣いている。私が彼らの思う罪を受け入れるまで、そうしているつもりなんだろう。 ……この様子を見て、さほど心を痛めていない辺り、実のところ私は怒っているのかもしれない。そんなつもりは無いのだが、心の機微なんて本人にも解らないものだ。とは言え、このまま放っておくのは精神的によろしくない。叔父にも叱られかねない。 許すのは、大人の特権だ。ごめんなさいの言葉に、いいよと返せるのは、相手よりも大人な者だけだ。 「――……私は、貴方たちの言葉を、受け入れます。謝ってくれてありがとうございます、短刀の方々。そして、私もごめんなさい。貴方たちの主である人の部屋に、みだりに立ち入ろうとしました」 ごめんなさい、と頭を下げる。さすがに額が床につくまでとはいかないが。 私の返答に虚をつかれたのか、短刀たちはぱちぱちと瞬きをしていた。呆けた口から、え、と小さな声が漏れる。 「許して、もらえた……?」なんて、小さな声が誰かから漏れた。期待を孕んだ視線に、私はただ口元を笑ませたまま、無言で応える。 ぱあっと表情を明るくさせる短刀たちに、誰が言えよう。 私は、許すなんて一言も言っていないだなどと。――私は大人じゃない。歌仙兼定にも、薬研藤四郎にも、一期一振にも、私は赦すだなんて言えていないんだ。そして今後も、言う予定はなかった。 三日月から小さく、ふ、と笑う声がする。きっと彼には、わかっているんだろう。 「嗚呼、ありがとうございます、審神者様」 「あの時はああ言っちまったけど、この二月で俺たちも少しは落ち着けたんだ。だから、もし良かったら、大将の部屋を見に来てやってほしい」 「あるじさまもきっと、あなたにならみてほしいとおもうはずです!」 「きっと、懐かしいと思うものがいっぱいあると思うの」 そうですね、と私は微笑む。そして、私はそろそろ朝餉を食べたいのですが、と言いにくそうに伝えれば、彼らは「あっ」と声を上げ、申し訳なさそうに離れを後にしてくれた。 また誘いに来る、その時は一緒に主の話をしよう、と。赤くなってしまった目元を擦りながら、彼らは笑顔で私に手を振った。私も笑顔で、彼らに会釈をした。 |