「これから僕たちがどうすべきか、解らないほど僕たちは愚かじゃない。そして君も、この先どうするべきかは解っているはずだ。この本丸を引き継ぐ人の子が、愚かではないと僕は知っている」

立ち去り際、歌仙兼定の最後の言葉だった。私はどうにか頷き、母屋へと戻る彼を見送る。

この先どうすべきか。勿論、それは理解している。けれどそれを実行できるほど私は強い人間ではなくて、でも何もしないままじっとしていられるほど……愚かしくもなかった。だから悩む。考える。不安になる。その思考は、人間の特権だ。
だから私は悩もう、考えよう。いくらでも、不安に塗れよう。叔父の住んでいたこの場所を引き継ぐと決めたのは、他ならぬ自分の意思なのだから。

離れに戻ってきた私を、こんのすけと三日月が迎えてくれる。夜桜はどうだったか、危険はなかったかと心配をしてくれる二人の姿に、私はもう一度の決意をする。
いくら悩んでもいい。どれだけ傷付いてもいい。拒絶をされようと、受け入れられなかろうと、この場所には二人も私を心配してくれるものがいる。私を肯定してくれる、神がいる。
なら、私は言葉の白刃に喉元を晒してみせよう。どんなに切り裂かれても、その傷を癒してくれる人が居るのなら。



  *



――と、格好良く決意をしてみたものの、現時点で私は待つことしか出来なかった。
関わるなとの言いつけを破る気は未だない。彼らが私に関わっていいと思ってくれて初めて、私も彼らと関わることが出来るんだ。私は彼らが、――……一期一振がこの場に来るだろう日のことを、ただ待つのみ。
それはとても怖く、不安でしかない日だが、私はその日を辛抱強く待った。これまでと変わりなく、三日月やこんのすけと、穏やかな日々を送りながら。

来訪者が現れたのは、薄い三日月が空に浮かぶ日だった。
私が開け放した障子の向こうには、一期一振と薬研藤四郎の姿。一人で来るよう言ったはずなのだが。弟を率いねば私に会えないほどなのか、それとも薬研藤四郎にも何らかの用事があるのか。
僅かに顰めてしまった表情をほぐし、私は正座で彼らと相対する。背後から、三日月とこんのすけもやや緊張している雰囲気が伝わってきた。

「夜分に申し訳ありません、審神者殿」

一期一振がそっと、至極大切な物のように、小さな紙を取り出した。表に『誕生日おめでとう』と書かれているポチ袋だ。差し出されたそれを、私もそうっと受け取る。
中に、編まれた紐と手紙が入っていることも確認して、それを優しく握り締めた。皺が付かないように、やさしく。

「中を、見ましたか?」
「いえ」
「少しくらい見ても良かったのに」

ちょっぴり笑いつつ、編まれた紐を袋から取り出す。手紙は、私の名前が書いてあるから見せられないが。
一期一振と薬研藤四郎は目を見開いて、紐を見つめていた。ミサンガのように編まれた紐に、二重叶結びがついているもの。
叔父が、私のために編んでくれたものだ。叔父が審神者となってすぐの頃、面倒な手続きをしてまで、わざわざ送ってくれたものだった。誕生日おめでとう、直接祝えなくてごめんなと。私が幸せになるよう、私の願いが叶うよう、気持ちを込めて編んだのだと手紙には書かれていた。
 
「嗚呼……道理で、」

小さく、小さく、今にも泣きそうな顔で、一期一振が呟いた。

「主殿だけでなく、私たちの気も混じっていると……」

そう、今ならわかる。
この紐には、叔父の霊力が込められていた。紐だけでなく、手紙にも、袋にも、叔父の気配は色濃く遺っている。けれど、中でもこの編み紐は、特別だった。叔父の霊力に紛れ込むようにして、こっそりと含まれている神気。

「……此処には、まだ来てなかったから知らない刀剣もいるが、その紐は……俺たちも一緒に、編んだんだ。と言っても殆どを大将がやったから、俺たちは色を選んで、大将が愛おしく思う家族が、きっと幸せになれるようにって……こっそりまじないを混ぜることしか、しちゃいねえんだが」

まさか、あんたへの贈り物だとはな。薬研藤四郎の顔も、泣きそうに歪む。

皮肉なもんだなあ、と思った。名も姿も知らぬ相手なら、幸福を願えるのに。こうして出会ってしまったら、拒絶をすることしか出来ない。受け入れることが出来ない。
何故だか私まで泣きそうになって、編み紐を静かに、床の上へ置く。

「審神者殿の、大切な思い出の品……勝手に持ち帰ってしまい、申し訳ありません」
「……いえ。これは、貴方たちにとっても大切なものでしょうから」

気持ちは解る。だから、責めはしない。叔父の気配が色濃く遺っているものだ。つい、手元に置きたいと思っても仕方ないだろう。
この本丸にも叔父の気は遺っているけれど、それは同時に叔父の死をも思い出させる。このポチ袋だけはきっと、叔父の生を思い出させるものだった。だから私は、彼の行動を許そう。

「重ねて、申し訳ありません。私は先日、貴方に手入れをして頂いたにも関わらず、礼を口にすることが出来ませんでした。ですが、それは……今でも口に出来ぬのです」

一期一振の言葉を受けて、私はやんわりと微笑んだ。
その言葉で、彼が……この本丸にいる刀剣男士たちが、どれだけ優しい存在であるかが、よくわかる。私の笑みが見えたのは薬研藤四郎のみで、彼は両目をぱちぱちと瞬かせていた。どうして私が笑うのか、理解が出来ないといった表情にまた笑う。

「礼なんて、必要ありません。私こそ貴方に謝りたい……いいえ、謝らせて欲しい。……ごめんなさい。私の手入れによって、貴方に遺された叔父の気を、喪わせてしまいました」

ごめんなさい。深く、深く頭を下げる。誰が許しても私自身が許せない、あの日の後悔。他にどうしようもなかったなんて言い訳は、出来ない。
一期一振は緩くかぶりを振った。それだけだった。
辺りが静まる。誰も口を開かず、動けず、微かな風だけが庭の木々を揺らしている。唇を噛み締める一期一振を、きっと私も同じ表情で眺めていたら、背後から静かな声が降ってきた。

「主よ、ひとつ、良いことを教えてやろう」
「三日月……?」

僅か、視線を三日月へ向ける。薬研藤四郎と一期一振も、顔を上げた気配がした。
「そこの刀剣は、気付いておるはずなのだがな」と前置きをして、三日月の視線が真っ直ぐ私へと向けられた。

「審神者に与えられていた霊力は、確かに主のものへと塗り替えられてしまったのだろう。しかし、我ら刀剣男士を鍛刀し、目覚めさせたその時。審神者は刀剣に魂を分ける。その霊力は微かなものではあるが、まだ一期一振の中に残っているはずだ」
「……ほん、とに……?」

自分でも驚くくらいに、弱々しい声が出た。ああ、でも、もし、本当にそうだとしたら。壊れかけの人形のように、ぎこちなく、一期一振へ視線を向ける。
彼は呆然とした表情で、胸元に手を当て、涙を流していた。薬研藤四郎が気遣うように、その姿を見上げている。
ああ、と。彼の顔が、くしゃり、歪んだ。

「何故、人の身というものは、こうもままならないのか……」

気付いていたはずだった。気付かない、はずがなかった。遺されていた微かな温もりを。しかしその小さな欠片は、失ってしまった多くの欠片に隠されて。大きな穴を埋めようとする、別の温もりに隠されて。気付くことさえ、出来なかった。
そうして、その別の温もりさえも、拒絶したのに。

俯いて顔を覆い、己の主を呼びながら、一期一振は泣いていた。隣に弟がいることも、目の前に私がいることも忘れて。幼子のように、涙を流していた。
綺麗な涙だと思った。叔父を愛しく想う、喜びと哀しみがまざった、綺麗な雫。

――お兄ちゃんのために、神様が、泣いてるよ。
心の中で、そっと呟く。こんな綺麗な涙を流す人に慕われて、想われて、お兄ちゃんはきっと、幸せだ。


「取り乱してしまい、申し訳ありません……」

ようやく泣き止むことの出来た一期一振が、目尻を拭いながら頭を下げる。いいえと首を振って、微笑んだ。一期一振も、下手くそな笑みを返してくれる。

「三日月宗近殿の仰る通り、私の中に主の霊力は、残っておりました。これはきっと、永劫に無くなることのないものなのでしょう。私はそれを、幸せに思います」

再び、一期一振が頭を下げる。その理由が分からず、私は瞠目した。
慌てる私に、背後から微かな笑い声が聞こえてくる。三日月とこんのすけだ。それを睨む間もなく、一期一振が口を開いた。

「先程の無礼を、どうかお許しください。私は失われたものだけに目を向け、遺されたものに気付くこともせず、貴方を責めてしまった。貴方が手入れの為、私に与えてくれた気は……こんなにも、温かなものだったのに」

言われたことを理解できず、何らかの反応をすることが出来ない。唖然と、一期一振を見つめるばかりの私に、彼は更に追い打ちをかける。

「私だけでなく、弟の手入れをしてくださったこと。主との思い出の品を見せてくださったこと。感謝いたします。……ありがとうございます、審神者殿」
「……あ、はい、いえ……」

お礼を、言われてしまった。私は、許されないことをしたはずなのに。微かに残っているとはいえ、多くを失わせてしまったのは、他ならぬ私なのに。
二の句が継げない私に、今度は薬研藤四郎が、半歩前に出る。もう勘弁してほしいと思った。今までの出来事で、私の頭はもう許容量を超えている。これ以上、何も言わないで欲しい。そう思うのに、薬研藤四郎は私を真っ直ぐに見上げてくる。
もう何も言わないで、放っておいてくれだなんて、言えない瞳。唇を噛む。微かに、血の味がした。

「……ごめんなさい」

本当に、言わないでほしかった。

「俺たちは確かに、大将を喪った。それは今までの主や、自分自身を喪った哀しみとは比べようがない、哀しみだった。家族がいなくなるってのは、自分が一部、欠けるような思いだと知った。しかもそれは、手入れじゃ治んねえときた。俺たちはみんな、その哀しみをどうすりゃいいのか、解らなかった」

でもそれが、あんたを傷付けていい理由にはならん。
一瞬、薬研藤四郎の目が、自嘲気味に伏せられる。

「俺たちと大将は家族だった。でも、あんたと大将も家族だ。俺たちはこの本丸に居る間の大将しか知らん。けど、あんたは大将を昔っから知っている。縁の深さは時間で測るもんじゃねえが、それでもあんたは、俺たちの知らない大将を知っているんだ。平和な世で、あんたを慈しみ生きてきた、家族の姿を」
「……、」
「家族を喪ったのは、あんたも一緒だ。なのに俺たちは、何百年も生きてきた神のくせして、小さな人の子に理不尽な怒りを向けた。自分たちの中で消化できない哀しみを、あんたの所為にした」

薬研藤四郎の両目から、ぽたり、ぽたりと、雫がこぼれる。

「ごめん、……ごめんなさい。俺たちはあんたと家族になって、一緒に哀しむはずだったんだ。俺たちの大将がどれだけ良い家族だったか、あんたの叔父がどれだけ良い家族だったか、そうやって思い出話をして、一緒に泣いて、大将を見送ってやんなきゃいけなかった。あんたの哀しみを、理解しなきゃいけなかった、なのに、俺たちは……っ」
「もう、いいです」

もういい、それ以上言わなくていい。言わないで。
誰にだって、他人の哀しみなんかわからない。自分が嫌な思いをしたら、理不尽に他人に怒りを向けたくなる。それが普通だ。なんにも、可笑しいことなんてない。それに、人間へと怒りを向けるのは神様の仕事でしょう。人間に謝るなんて、人間に赦しを乞うなんて、神様のやることじゃない。
だから貴方たちはそのままでいいんだ。お兄ちゃんの代わりになれると思ってやってきた愚かな人の子を拒絶すればいい、誰もお兄ちゃんの代わりなんて出来ないんだと、証明してくれたらいい。そうして、ずっと、お兄ちゃんの死を哀しんでくれれば、それで、それできっと、お兄ちゃんは報われるはずなのに。
何で私を、受け入れようとするの。
 
ぐちゃぐちゃな脳内に、溢すつもりのなかった涙があふれていく。意味の分からない文字の羅列を、言葉になっているのかもわからない言葉で吐き、ぼろぼろと泣き始めた私を、薬研藤四郎も一期一振も呆然と見つめていた。
三日月は何をするでもなく、こんのすけが私の背中をそうっと撫でる。

「哀しむばかりで人は報われぬと、一番知っておるのはそなたであろう、主よ」

静かに、三日月が私の隣に腰を下ろす。
ああそうだ、それくらい知っている。哀しむばかりでは良くないと、いつかは笑ってあげないと、叔父だって安心できない。でも、だけど。

……受け入れられたくないわけじゃない。私だって、傷付くのが好きなわけじゃない。拒絶なんて、されたくない。
でも、私はこの本丸で、彼らの主になることは出来ないんだ。叔父の代わりになんて、なりたくない。それならずっと、受け入れてくれなくていい。受け止めてくれれば、それで充分だ。
歩み寄って、隣り合った違う道を歩ければ、それで充分なのに、彼は――薬研藤四郎は、同じ道を歩もうとしてくれている。支え合って、家族になろうと、してくれている。
あの時の歌仙兼定とは別だ。彼は、もう家族になることは出来ないだろうと理解していた。気付いて、謝りはしてくれた。いつかは歩み寄れるだろうとも、きっと思ってくれていた。だけど、同じ道を並んで歩めはしないのだと、理解していたはずだ。
薬研藤四郎は、歩めない可能性を理解して尚、家族になろうとしてくれている。互いを赦し、手を取り合い、肩を並べて歩こうと。

神は人へ、怒りを向けるものだ。神は人を、赦すものだ。
人は人を、真に赦す事なんて、出来ない。相手が自分であれば、尚更に。

「……審神者殿、貴方は何を恐れておいでか」
「っ……」

先まで泣いていた人とは思えない、真摯な瞳が、私を射抜いていた。

私が恐れている。――何を?私は何かを、恐れているのか。
自問する。答えは、出てこない。

「あの方を、思い出にすることですか。忘れて、貴方がこの本丸の主となり、あの方の代わりとなってしまうことですか。私たちと、家族になってしまうことですか?」
「……っ、」

図星だ、と思った。私は叔父を忘れたくない。此処にいる刀剣男士たちに、叔父を思い出にしてほしくない。彼らと叔父との思い出を、私との思い出に塗り替えたくない。
なるほど確かに、私は恐れていた。一期一振の言う通りに、叔父の思い出を、己が手で掻き消すことを。だから私は、彼らを赦せないんだ。だから私は……彼らの家族に、成り得ない。

「私は、主殿のことを思い出しません。それは、忘れないからです。忘れないから、思い出にはならない。たとえ血の繋がる貴方であろうと、主殿の代わりにはなれません。たとえ主殿と生き、家族となった私たちであろうとも……貴方の想う叔父の代わりには成れない。あの方の代わりなど、どこにも居ないのです。お互いに。――しかし、私たちは今、共にこの場で生きている。家族でなくとも、失ったものが同じならば分かち合うことは出来るはず。……それが、人間というものでは、ありませぬか」
「俺たちはあんたに、何もしてやることが出来ない。それはあんたも同じだ。だけど、一緒に居ることぐらいなら……出来るだろう?今更かもしれねえが、あんたと歩ませてくれねえか。大将の代わりじゃない、あんた自身と」

……私は、どうするのが、正解なんだろう。

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