――ある本丸に、男の審神者がいた。
男は年に一度の審神者適性検査に引っかかり、半ば強制的に審神者となった。しかし男は既に両親を喪っていたし、妻も子供もいない。兄が一人いたが、兄には家族がいる。
審神者になったのが兄ではなく、独り身の自分でよかったと思った。そして、審神者になれば血は繋がらずとも、家族が増えるのではと期待した。
男の期待は叶った。初めて顕現した刀剣、山姥切国広に始まり、薬研藤四郎、乱藤四郎、平野藤四郎、堀川国広……と次第に刀剣男士は増えていく。審神者は家族のように彼らを愛し、導き、見守り、時に叱って、共に泣きも喜びもした。
刀剣男士もまた、主だと威張らず、人の子として付喪神である刀剣男士を尊重する男を快く思い、家族のように慕った。ある者は兄のように、ある者は弟のように、ある者は子供のように、ある者は父のように。その本丸には確かに、ひとつの家族が存在していた。

しかし男には、現代にも家族がいた。男は兄の子である姪を目に入れても痛くないくらいに可愛がっていて、時間があれば刀剣男士相手に姪の話をしていた。
生まれたばかりの頃はどうだっただの、小学校の入学式はわざわざ新幹線に乗って見に行っただの、反抗期を迎えても自分には甘えてくれただの。姪の話をする時の男は、だらしなく表情をゆるめていて、それがどこか悔しいやら、だけどそんなに大切な家族の話をしてくれるのが嬉しいやら、複雑な気持ちを抱きながら刀剣男士は耳を傾けていた。

「姪が審神者になるらしくてさ。もしいつか、みんなが俺の姪に会う時があったらさ、仲良くしてやってくれな。あいつ、ああ見えて寂しがり屋なんだ。兄貴も義姉さんも、共働きで忙しい人だったから」

いつだったか、男が刀剣男士に告げた言葉だった。
刀剣男士は口々に、「勿論だ」「主の家族ってことは、俺達の家族も同然だしね」「てことは妹になるのかなあ、でも大将は兄ちゃんみたいだし、姉ちゃん?」「年齢的には妹……孫?」だなんて、来るはずのない未来に顔を綻ばせていた。
その頃は誰もが、男の姪と会えば仲良くなれると、仲良く出来ると思っていた。きっと会うことがあるとすれば、演練場でだろう。その時は主の自慢の刀剣なんだと、思う存分力を発揮しよう。そうして、姪の刀剣男士も一緒に、色んな話をしよう。そう、夢想していた。

男が亡くなったのは、その一ヶ月後だった。
 
痛みに顔を歪め、身体を震わせ、踞りながらも刀剣男士に最期の言葉と霊力を遺し、男は急変を知った政府の担当官に現代へと運ばれた。ゲートを抜けた時には既に事切れていて、刀剣男士たちもそれを理解していた。
自分たちは神なのに、人の生死すらままならない。自分たちは家族だったのに、男の異変に気が付くことさえ出来なかった。ただ泣いて、怯えて、怒鳴って、心配して、声をかけることしか出来なかった。声すらかけられなかったものもいた。
その出来事は刀剣男士たちの心を悩ませ、痛ませて、……それは到底、一月程度で治せるような傷ではなかった。永遠に癒えないのではないかとすら、彼らは思っていた。


しかし政府側は、殆どの刀剣を揃え、錬度も全体的に高い本丸を、長く放置出来なかった。本来なら熟練の審神者に後継を任せるところだが、刀剣男士の傷を想い、せめて男の血縁者であれば互いに傷を癒し合うことも出来るのではないか、との理由で、後継には男の姪が選ばれた。
新人ではあるが、養成所での成績は上位に入っている。それに姪とは言え、男の家族だ。それで全てが上手くいくと、政府は思っていた。
 
本丸に配属された姪は、こんのすけに案内され広間に集まる刀剣男士の元へと向かった。どう挨拶すべきか悩み、わざわざ姪だと言う必要もないだろうと結論づけ、当たり障りのない挨拶をした。

「今日からこの本丸を引き継ぐことになりました。まだ新人の審神者で、至らぬところもあるでしょうが、どうぞよろしくお願いします」

しかし刀剣男士たちには、一目で彼女が男の姪であると、男の家族であると理解が出来た。顔立ちはまったく似ていないが、魂の質がとても似ていたからだ。
男に、仲良くしてやってくれと言われた。自分たちも、仲良くできると、家族の家族なのだから、自分たちも彼女と家族なのだと、そう思っていたはずだった。けれどそんな温かくて柔らかな記憶は、男が居なくなってしまったという哀しい記憶に塗り潰されて。
刀剣男士たちは、彼女を拒絶することしか出来なかった。そっくりだからこそ、容易に受け入れることが出来なかった。
家族が亡くなったのに、哀しげな様子も見せず、淡々と言葉を紡ぐ彼女が信じられなかった。彼女を主として迎えたら、男を、自分たちの本当の主を、裏切ってしまうような気がしてならなかった。
癒えない傷は次第に膿んで、新たな傷を生み出してしまった。


女審神者は刀剣男士の言葉に従い、離れに引きこもって出てこなかった。関わらず、主ぶることもなく、ただ霊力提供だけはしている。微かに本丸を流れる霊力で、女が生きていることはわかった。どうやって暮らしているのかは、知らなかった。知ろうとも思わなかった。
刀剣男士たちは、今でも男がいるかのように生活を続ける。第一、第二部隊は錬度に合うよう主が指示していた時代へ出陣し、第三、第四部隊は減っている資源を埋めるよう時代を選んで遠征へ向かう。
本丸に残った刀剣男士は掃除、洗濯、炊事等の家事を行い、各々内番もこなしていく。朝食、昼食、おやつ、夕食は出来るだけ全員で摂り、夜は個々に割りあてられた部屋で眠る。
一ヶ月前と、なんら変わりない生活だった。……刀剣たちの望む、主が存在しない以外は。


女が来て十日ほどが経過した。三日目に三日月宗近を鍛刀したらしいことは知っていたが、刀剣男士たちはその話題に触れないようにしていた。
無論、三日月宗近と会いたくないわけではない。昔語りをしたいと思うものもいる。男が如何に良い審神者だったか、良い家族だったかを語りたいと思うものもいる。しかし、あの離れへと向かう勇気は、誰にもなかった。

その日は短刀と脇差の錬度を上げようと、一期一振を部隊長に薬研藤四郎、鯰尾藤四郎、秋田藤四郎、平野藤四郎、にっかり青江が出陣していた。最高錬度は一期一振の六十七、最も低いのが秋田藤四郎の五十一だった。
向かう時代にはまだ検非違使も来ていないはずで、常通りなら問題ないだろうと全員が判断した。
しかし、審神者が居ないこと、こんのすけが刀剣男士とほとんどコンタクトをとっていないことで、その時代には既に検非違使の前兆が出ていると刀剣男士は知ることが出来ず。唐突に現れた検非違使によって全員が傷を負い、命からがら撤退した。
撤退後、人の姿さえとれなくなった一期一振が刀の姿に戻ってしまう。中傷を負った鯰尾藤四郎、秋田藤四郎、平野藤四郎も顔から血の気が失せていた。幸い軽傷だった薬研藤四郎とにっかり青江は、本丸に遺された男の霊力で手入れをし、そうして、この先どうすべきかを悩んだ。

女なら、手入れをすることが出来るだろう。誰もがそう考える。しかし、手入れをされる時に霊力が流れ込んでくるあの感覚も、誰もが知っていた。だからこそ、女の元へ頼みに行くことができない。
一期一振は特に、男を慕っていた。粟田口の長男として気を張ることの多い一期一振は、男の前でだけは弟のように、気を緩ませることが出来たのだ。兄として短刀や脇差と接するのも、弟のように男と接するのも、どちらも本当の自分で、どちらも幸せなことで。
だからこそ、一期一振は女の霊力を受け入れたくはないんじゃないかと思った。とは言え、このまま放っておくことも出来ない。どうするか悩んで、考えて、また悩んで――薬研藤四郎が、立ち上がった。

「やっぱり、このまま兄弟を放っておくなんてことは出来ん。責任は全部俺が持つ。あの審神者に、手入れを頼んでくる」

止めたいと思ったものもいたが、声には出せなかった。
薬研藤四郎を引き止めるということは、一期一振を重傷のまま放置するということだ。今にも泣きそうな粟田口の短刀たちの前で、そんな言葉を口にすることは出来ない。

「秋田、平野、鯰尾も、いいか」
「……は、はい」
「はい」
「……うん、いいよ。受け入れる」

三振の返答は一部の者には予想外だったが、薬研はほっとしたように離れへと早歩きで向かった。こんな時でも走らないのは、廊下は走らないという男の言いつけだったからだ。もう、意識せずとも、身体がしっかりと覚えていた。
薬研藤四郎の頼みを、女は受け入れた。そして四振の手入れをし、秋田藤四郎、平野藤四郎、鯰尾藤四郎が各々ぎこちなくも礼を言う。それを女が、どこか照れたように、嬉しそうに受け入れたのが意外だった。
しかし一期一振は何も言うことが出来ず、己の中を満たす女の霊力に、どうすればいいのかわからないまま唇を噛むしかない。女はそんな一期一振を、薬研藤四郎には気持ちを察することの出来ない表情で見つめ、すぐに目を逸らし、三日月宗近とこんのすけと共に急ぎ足で離れへと戻っていった。

待ってくれと呼び止めて、お礼を言うつもりだった。兄弟を手入れしてくれてありがとう、と。
嬉しいことをしてもらったら「ありがとう」、いけないことをしたのなら「ごめんなさい」、そう言うのだと教えてくれたのは男だった。だから、ありがとうを言わなければならないと思った。けれど、薬研藤四郎が伸ばしかけた手は、中途半端なところで静止する。女が、きつく唇を噛んでいるのが、見えてしまったから。

言うべきは「ありがとう」ではなく、「ごめんなさい」なのではないか。

そう気付いた直後、ああ、と薬研藤四郎は失望した。他の誰でもない、自分自身に。
家族を喪ったのは、自分たちだけじゃない。そんな簡単な事実に、何で気が付かなかったのか。何で、廊下を走らないだとか、お礼と謝罪はちゃんとするだとか、そういったことはいつでも思い出せるのに、あんなに大切な言葉を思い出せなかったのか。大将が自分たちに、あんなにも慈しむような表情で、祈るように伝えてくれた、言葉なのに。

どうしてそれを、忘れていたんだ。

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