審神者生活四日目。朝食リクエストを三日月に伺ったところ、「これが食べたい」と昨夜見ていた雑誌の一ページを見せられた。どれどれ、と視線を落とした先には、寿司。朝から寿司?いや朝から焼肉よりはありか? 「というか、握れませんし。却下。こんのすけ何がいい?」 「こんのすけはピザトーストが食べとうございます!!」 「太るよ」 「太りません!」 「ぴざとう……?とは、何だ?」 耳に馴染まない単語に、三日月の瞳がきらりと輝く。 魅力的を通り越して蠱惑的な瞳だと思い、すぐに目を逸らした。その視線は子供が好奇心に目を輝かせているのとほぼ同じなのに、どうしてかこの人には畏怖を抱いてしまう。 三日月はそれをわかっているのだろうか。さして気にした様子もなく「どういった食べ物なのだ?」と期待の孕んだ声で私の返答を急かす。 「食パンに塗ったトマトソースの上にピーマンと玉葱を乗せて、チーズをかけて焼いたものですよ」 「昨日頂きましたが、とても美味しゅうございました!!」 「……ふむ?よくわからんが、美味そうだな。俺もそれがいい」 確かにさっきの説明で理解されても驚く。が、それでいいと言われたのなら朝ご飯は昨日に引き続きピザトーストにしよう。寿司は……夜に出前でもとるか。昼ご飯はどうしようかな、と考えつつ台所で用意をする。 顕現したばかりの三日月は、子供のように私の後ろについて作業を興味深く見つめていた。現代のキッチン、というのも珍しいんだろう。それはいいが、すごく邪魔だ。 ひどく邪魔だった三日月にもめけず、朝食を作り終えて三人分の皿をテーブルに置く。飲み物は全員牛乳だ。狐が牛乳を飲んでいいのかは謎だが、それを言い出したらピザトーストの方が大問題だし、こんのすけは美味しそうに飲食しているのだからまあ大丈夫なんだろう。しかしこの食卓、誰一人として同じ種族じゃないな。 三日月は出来上がったピザトーストを、上から横からじっくりと見つめていた。ぱちぱちと目を瞬かせ、心なしか口角が上がっている。 テーブルの上で皿に顔を突っ伏し、勢いよくピザトーストを食べているこんのすけに視線をやってから、不思議そうに私へと顔を向けた。ピザトーストにかぶりつく瞬間に目が合い、どうしたんですか、と声をかける。 「これは、そうやって食べるのか?」 「……ああ、嫌でしたら切り分けてきますよ。箸もつけますし」 「いや、いい」 私の提案を断ると、三日月はそうっとピザトーストに手を伸ばした。狩衣の男がピザトーストを口に運ぶのが、あまりにもミスマッチすぎて笑いすら出てこない。 視界に入れないように、今度こそ自分のピザトーストを食べようとする。 「ふむ、美味いな!あっ」 「あっ?」 嬉しそうな声に続く、間の抜けた声。いい加減ピザトースト冷めるんじゃね?私はとろとろチーズが好きなんだがな?と思いつつ、視線を向ける。 三日月が、ピザトーストを落としていた。そのピザトーストは、真っ逆さまに三日月の狩衣の上だ。……顔から血の気が引いた。 「何やってんですか!?」 「すまぬ……」 たまたま見ていたこんのすけ曰く、美味い!と言ったと同時に身体を跳ねさせ、その拍子にピザトーストを落としてしまったようだった。子供か。じじいのくせに子供とはこれ如何に。 「あー、とりあえず服脱いで、……これ洗濯してもいいのかな?いやいっそ手入れした方が早いか!?」 手入れは傷だけでなく、衣服も直してくれる。私が刀剣男士って便利だなと思う理由のひとつだ。 しかし手入れ部屋はまだ此処に無いし、まず傷を負っていないものは手入れ出来ない。だが私にこんな上等そうな和服を洗濯する技術はない。どうしたらいいんだ。 「主よ、そう慌てるな」 「三日月の所為ですけどね!?」 「主さま、もう思い切って洗濯しちゃいましょう。駄目になったら三日月殿に軽く怪我をしてもらって、手入れ部屋に突っ込めば良いのです」 「こんのすけの発想酷いな」 だが今のところはどうしようもない。 落ちたピザトーストはごめんよと謝りながらゴミ箱に捨て、軽く布巾で汚れを拭ってから三日月の衣装一式を洗濯機に放り込む。一応手洗いコースでやってみた。 そうこうしているうちに、三日月は内番服に着替えて戻ってくる。初めて見る姿に蕎麦屋の店員かよ、と思ったが心の中に留めた。 「すまぬな、主……せっかくの朝餉を無駄にしてしまった」 「いや、それは私より食材に謝りましょう。ほらゴミ箱に向かって」 「すまなんだ、ぴざとうすとよ……」 この刀剣男士めっちゃ面白いな。 「じゃあこの件はこれで終わりです。さっきこんのすけが温め直してくれたんで、さっきみたいにチーズは伸びませんけどどうぞ」 私が食べようとして、結局一口も食べること叶わなかったピザトーストを差し出す。レンジで温めただけだからさっきよりは格段に美味しくなくなっているだろうが、まあそこは許せ三日月。 三日月はテーブルに置かれたピザトーストをきょとんと見下ろし、小さく首を傾げた。じじいの割にあざといポーズをしおる。 「これは主のぴざとうすとだろう。そなたはどうするのだ?」 「私はいいですよ。元々朝ご飯食べないタイプですし」 「だがそれでは、身体を壊すだろう」 「一食抜いただけで壊れるほど柔な身体してませんよ」 数秒逡巡した三日月は、そうか、と眉尻を下げ、何をするかと思えば徐に脇に置いていた刀を手に取った。 え、何で。と思う間もなく、それを抜き、皿の上へと振り下ろす。 「ちょっ、ええええ」 「何やってんですか三日月殿!?」 スパン、と綺麗にまっぷたつになったのは、ピザトーストだけだ。謎の技術。 ていうか、お、おま、それあなたの本体、じゃ。自分でピザトースト斬るって、ねえ、ええ……私だったら嫌だ……チーズとトマトソースが落ちにくそうだ……。 「これで半分こが出来るな。それと、後で手入れを頼もう」 「それが狙いか!?洗濯機さんのこともうちょっと信じてあげてくださいよ!」 というかチーズやトマトソースの汚れは傷扱いなのか……? 困惑しながらも、とりあえず半分のピザトーストをいただいてから離れに手入れ部屋を増設した。ちなみにだが、ピザトーストの断面は引くくらい綺麗な真っ直ぐだった。 あと洗濯した狩衣はぐっしゃぐしゃになったから捨てた。ネットに入れなかったのが敗因か。 そんな風に、三日月とこんのすけと三人で暮らす生活が一週間過ぎた。 本丸の刀剣男士と関わることもなく、恐らく互いにさしたる問題もなく。 私は書庫に注文しまくった本を大量にしまい、時に読み、三日月も日がな茶をしばくか本を読むかの日々だった。私は端末で審神者ネットワークも眺めていた。三日前にテレビを導入してからはドラマや映画もたくさん見た。実に有意義な引きこもり生活である。 だが、そういった自堕落な暮らしは長く続かないもので。 転機というのはいつでもどこでも、唐突に訪れるのだ。この本丸の刀剣男士たちにも、唐突に訪れたように。 「いきなりすまない。審神者、今、いいか」 その日の昼食は桃パスタだった。私は噂に聞いてたよりは微妙だな派で、こんのすけは「すみません半分は頑張りました」派で、三日月は「毎食これでも良いくらいだ、はっはっは」派だった。三日月の反応が予想外すぎたのと、桃パスタを食べる三日月、っていう絵が無駄に可愛かったのが何とも言えない気持ちにさせる昼食だった。 突然の来訪者は、三人分の皿を洗い終えた、直後に来た。声に聞き覚えはないが、あまりかわいげのない声からすると打刀以上だろうか。やや警戒しているのはこんのすけのみで、私と三日月は何だ何だと障子を開け放った。そこに立っていたのは。 「……重傷を負った刀剣がいる。もう、本丸に残った大将の霊力じゃあ、手入れは出来ん。虫が良いとは思うが、どうか、手入れをしてやってはくれねえか」 粟田口の短刀、薬研藤四郎だった。 そうか、この一週間ちょっと、手入れはどうしているのだろうと思ったが、叔父の遺した霊力を使っていたのか。 刀剣男士だけでも手入れが出来るのなら、ますます審神者っていらないよなと思う。私も霊力供給はしているのだから、それを使えばいいんじゃないだろうか。それともそれは、叔父の霊力だからこそ出来ることなのか。 「誰?」 「っ……え?、あ……俺は、薬研……」 「いや貴方じゃなくて。重傷を負った刀剣男士。誰ですか?」 「いち兄、……一期一振だ」 数回、頷く。太刀、それもレア太刀が重傷ともなると、手入れに使う霊力も資材も多くなるだろう。確か一期一振の錬度は、六十を越えていたはずだ。それなら尚更。 他に傷を負った刀剣男士はいるのかと問えば、薬研藤四郎は中傷状態の刀剣が数人いることを教えてくれた。軽傷程度ならば、まだ叔父の遺した霊力でどうにかなるらしい。が、それも時間の問題だろう。もっと保つだろうと思っていたが、予想よりも早かった。 「私は構いませんが、一期一振に許可は得ているのですか?手入れを行う、ということは、私の霊力が手入れを受ける刀剣男士の中に多く流れ込むということです。貴方達にとってそれは、是とする事ではないと思うのですが」 「っじゃあ、どうすりゃいいんだ!」 「……、」 俯いた薬研藤四郎が、吠える。両の手をきつく握り締めて、唇を噛んで、俯いて。苦しそうだなあ、と他人事に思った。そりゃあ苦しいか、とその気持ちに、勝手に同調した。 きっとこの本丸は、叔父と刀剣男士たちは、家族のように仲が良かったはずなんだ。その大切な家族を喪ったんだから、苦しくて当然だ。そして今、また家族を喪いそうになっている。 でも、どうすりゃいいと言われたって、私にはどうしようもない。彼らが受け入れるというなら手入れをする。だけど、私は一度拒絶された身だ。主じゃないと、関わるなと、そう言われたのだ。前にも言ったが、私は基本的に卑屈でネガティブなんだよ。 「で、一期一振の許可は得ておるのか?薬研藤四郎」 様子を見守っていた三日月が口を開く。薬研は一瞬本丸に視線を向けて、ゆるゆると首を振った。否定の意を受け、私は溜息を吐き出す。許可も無しに手入れをして、主に遺してもらった欠片すら喪ってしまった、なんて落ち込まれるのはごめんだ。 かといって、一期一振を重傷放置するわけにもいかない。平凡な脳味噌しか持ち合わせていない私に、最善策なんてものは浮かばない。 「一期一振は、話せる状態ですらないのか」 「、ああ……いち兄は、短刀と脇差を連れて、部隊全体の錬度を上げるため出陣していたんだ。だが、その途中で検非違使に会っちまってな、運悪く索敵も失敗、選んだ陣形は不利……結果がこれだ。どうにか撤退出来たが、いち兄は目を覚まさない」 「では、急がねばまずいだろう」 「急がないと折れてしまう、という意味でなら大丈夫ですよ、三日月」 別段口出しする必要もないと思ったが、今後のために告げておく。 この三日月はどうも、何でも知っている風の割に、知らないことが多い。 「刀剣男士は人間のように、時間経過で傷が悪化したり治ったりすることはありません」 「……それは、急がずともよい、ということか?」 「まさか!重傷の状態から時間経過で折れはしない、という知識を伝えただけですよ。一刻を争いはしませんが、自然治癒力のない刀剣男士は、手入れをしなければそれだけ長く痛みを感じ続けるんです、ずうっと。それは人間よりもつらい」 「……!」 私の言葉に、ぱっと顔をあげたのは薬研藤四郎だった。何かいけないことを言っただろうか、いや結構言ったな?と思うが、彼の表情は怒りでも悲しみでもなく、驚きに満ちている。 それも、どこか嬉しそうな、懐かしそうな、そんな表情だった。意味が分からない。 「――いち兄は起きた後、怒るかもしれない。だが、俺が頼んだんだって止める。俺が、絶対にあんたを傷付けさせやしねえ。だから……頼む。手入れをしてやってくれ」 「……まあ、はい、そういうことなら。ところで、他の中傷の刀剣男士はどうなんですか?」 「あいつらは、手入れを受け入れると言っていた」 「そうですか」 じゃあ行きましょう、と腰を上げる。歩きだした薬研を追い、三日月とこんのすけも私の背後についてくる。 三日月は初めの頃にああ言ってはいたが、初めて行く母屋に少しわくわくしているようだった。やっぱり同じ刀派の刀剣男士に会いたいのか、それとも単に好奇心か。そこまでは推し量れない。 辿り着いた母屋の手入れ部屋には、既に一期一振が置かれていた。人の姿すら保てなくなったんだろう、そこには刀しかない。四部屋全て設置済みの手入れ部屋を回れば、鯰尾藤四郎、秋田藤四郎、平野藤四郎がそれぞれ苦しそうに布団に横たわっていた。 端末でチェックすれば、彼らの錬度は五十台。そりゃ検非違使にも苦戦するわ。検非違使はその部隊内で最も錬度が高い者に合わせて出てくるんだから。 「じゃあ、始めますか」 始めるのは一期一振からでいいかな、との独り言に、三日月が「時間のかかる太刀からで良いのか?」と声をかけてくる。答えは是だ。手伝い札を使えば何の問題もない。 手入れに入ろうとしたところで、そうだ、と見守る薬研に顔を向けた。この本丸の資材と手伝い札を使って良いのか、不安になったからだ。 しかし薬研は、なぜか目を丸くし、さも何でそんなこと訊くんだと言いたげな表情で答えた。 「当然だろう、あんたが使わなきゃ、誰が使うんだ」 「ん……ううん、まあ、はあ……」 それをあなたたちが言うのか、とは、言わないでおいた。 一期一振の手入れは滞りなく、手伝い札のおかげであっという間に終わり、短刀と脇差の手入れも問題なく終えた。ぎこちないながらも、鯰尾藤四郎、秋田藤四郎、平野藤四郎の三人はお礼を言ってくれて、それはやっぱり嬉しくなる。人に感謝されるってのは、滅多にないからこそ、良いものだ。それが本心であろうとなかろうと、私には。 しかし、目を覚ました一期一振は、ぐっと唇を噛んで俯いていた。唇から出血していなければいいが。それもやはり手入れの必要な傷に入るんだろうか。 お礼を言われたいわけじゃなかった。むしろ、今の私には多少なりとも罪悪感がある。この手入れは確実に、最善手ではなかった。特に、一期一振の手入れは、絶対に最善手だなどと誰にも言わせられなかった。 重傷の一期一振には、私の霊力を多量に注いだのだ。きっと、微かに残っていたかもしれない叔父の霊力は、私のものに紛れて消えた。自分の中に残った、家族が遺してくれたものを、私は消し去ったんだ。それは許される行為ではない。誰が許しても、私が許せない。 私だって、叔父から受け取ったものを消されたら、それが私のためにしたことだとしても、許せない。だから、一期一振の態度は当然のものだった。誰が責められるものでもない。 「……では、私はこれで失礼します。また、もしご用命があったら申しつけてください」 だけど、謝るのも違う気がする。 よって私は三日月の背を押し、こんのすけを脇に抱え、手入れ部屋に背を向けた。一期一振の様子をじっと見守っていた薬研藤四郎が引き止めようとしていた気がするが、気付かぬふりをする。 どう足掻いても、ここの本丸の主には、なれないと思った。ここは叔父の本丸で、彼らは叔父の刀剣男士だ。私は、彼らの主にはなれない。 誰よりも、きっと、それを私が許さない。 |