審神者になった私に、己の本丸が与えられることはなく。与えられたのは、とても澄んだ空気の本丸。他人の本丸。主を喪った、本丸だった。
私は、引継ぎ審神者となった。


前任はとても善い人だった、と本丸の担当官が話していた。前任だけに善人ってな。笑ってくれる人はいない。
明るく、強く、刀剣たちに慕われていた彼は、しかしあまりにも突然に死んでしまった。突発的な病気だったらしい。
善い人だったのに、きっと苦しまず眠るように死ぬのが似合うような人だったろうに、彼はいきなり苦しんで、苦しんで、だけど哀しそうな笑顔で亡くなった。最期の言葉を、私は知らない。

その善人は、私の叔父だった。会ったことのある回数は少なかったが、たまに会う度に「兄さん達には秘密ね」とお小遣いをこっそりくれるような人だった。もう小さな子供じゃない姪に、そうやっていたずらっぽい笑みを見せてくれた人だった。

悲しくない、と言ったら嘘になる。でも、涙を流すほどではない、と思う。勿論、もうあの人に会えないのは悲しい。
けれど、私が審神者適性検査に引っかり養成所に入っていなかったとしたら、叔父が死んだことも知らないままだっただろう。審神者の死は、口外禁止だ。人の死こそが、最も過去を改変する理由になるのだから。
だから、叔父の死を知って悲しいと思えるだけ、私は幸せなんだろう。


私は審神者養成所で、上位の成績を修めていた。霊力も申し分なく、鍛刀、手入れ、刀装作りも問題ない。それにプラスして、叔父の血縁者でもある。それが、私がこの本丸を引き継いだ理由だろう。
この本丸には四十一振の刀剣男士が存在している。刀帳に記載されていないのは、かの有名な三日月宗近と、検非違使という存在が稀に落とすと言われている浦島虎徹、長曽祢虎徹。そして三条大橋で稀に入手できるという明石国行の四振だ。
優秀な審神者と言われていた叔父でも、この四振は揃えられなかったらしい。まあ、明石国行に関しては情報開示されたのがつい最近のことだ。これは仕方あるまい。
つまるとこ、私は新人審神者のくせして、いきなり四十一振もの刀剣男士をまとめなければならないのだ。
叔父が亡くなってまだ一月。傷が癒えるには短すぎる時しか経ってない、彼らを。新人の、私が。

無理ゲーだなあ、と思った。
そして事実、無理ゲーだった。

実のところ、既にこの本丸に配属されて二日目なのだ。初日の挨拶はそれはもう、悲惨だった。

血縁者とは言え、私と叔父はまったく似ていない。父の弟である叔父と、母似の私の時点でお察しだ。ついでに言うなら父似だったとしても、父はおばあちゃん似で叔父はおじいちゃん似。どっちにしろ顔立ちは似ていない。
性格に至っては、明るく優しい叔父に対し、私は卑屈でネガティブの割に変なところでハイテンションなバカだ。似ているはずがなかった。
そんな私を、叔父を悼んでいた刀剣男士たちは、拒絶した。


「俺達の主はあの人だけだ」そうですか。
「勝手にやってきて、主ヅラしないでくれ」した覚えはないんですが。
「お前の指示を、受ける必要はない」そうですね。
「出陣も遠征も内番も、主の指示通り行っている」へえ。
「あんたは、必要ない。関わらないで」ふむ。
「この本丸の審神者は、主は、あの人だけなんだ……!」わかったわかった。

「例え血が繋がっていたとしても、主と、お前は、違う!」
そんなこと、私が一番知っている。



  *



「いやあ、あれはキツかった。あそこまでハッキリと拒絶されたのは人生初だ」
「おめでとうございます」
「そこは慰めるとこでしょうよ、こんのすけ」

今は、離れの一室で式神であるこんのすけと大人しく引きこもっている。
こんのすけは、政府お抱えの術士が作った式神に、私の霊力を加えた存在だ。本丸によってこんのすけの性格にも差異があるのはそういった理由である。ちなみにうちのこんのすけは、親父ギャグが好きだ。誰に似たんだか。

慰めの言葉はもらえないようなので小さな溜息だけを吐き、宙に視線を投げる。

「私の同期にはブラック本丸の引き継ぎをさせられた子もいるらしいけど、個人的にはそっちの方が良かったな」
「そちらの方が遙かに死ぬ可能性は高いのに、ですか?」
「……人間ってさあ、不便な状態から便利な状態に慣れるのは、結構早いんだよ。だから、悪い状態から良い状態にも、慣れることは出来る。その時に抱えるだろう違和感は、くすぐったくて、でも嫌じゃないものなんだ」

個人的にはね、と付け足しておく。
ブラック本丸が如何ほどのものか、私は伝聞でしか知らない。だから本当に最悪の、他の命を奪うのもやむなしといった状態から、良い方向へと導かれる恐怖までは理解できない。だからこれは、ぬるま湯で生きてきた私個人の意見だ。

「でも、便利から不便にはなかなか慣れない。蛇口を捻るだけで温かいお湯が出てくる事に慣れている人間が、薪を集めて火をおこして、汲んできた水を沸かす、なんて不便さにすぐ慣れることが出来るわけがないんだよ」
「主さまは絶対に無理でしょうね」
「無理だね。電化製品大好き。……今の、此処の刀剣たちがまさにそれ。最高の主から、良いとこの『い』の字も見あたらない新人審神者、なんて。あの反応はくるものがあったけど、可哀相なのは多分あっちだ」
「……主さま」

前任の、良いところとばかり比べられ続ける。最高の状態の時に死んでしまった叔父は、きらきらとした思い出としてこの本丸に残り続ける。そこに、私の入る余地はない。
現に、私は母屋にある叔父が使っていた部屋を、使うことが出来ない。こんのすけに案内され、「此処が主さまのお部屋です」と通された部屋に入ろうとした瞬間。
短刀たちが勢いよく駆け寄ってきて、私を突き飛ばした。廊下に呆然と転がった私を見下げて、曰く。
「ここはあるじさまのおへやです!」「勝手に入らないで!主様のお部屋を汚さないで!」「この部屋を使うのは、大将だけなんだ……っ!」とのこと。じゃあどこを使えば?と短刀たちの背後にいた、長い黒髪を束ねた少年へ声をかければ、離れに使われていない部屋があると教えてくれた。よって私は、ここにいる。

「叔父がいなくなって、まだ一ヶ月。神様と言えど、整理の時間はもっと必要なんでしょうよ。幸い、政府からは半年の猶予を与えられている。本音を言うならブラック本丸と同様、一年の猶予が欲しかったとこだけど」

ここはブラック本丸なんてものではない。いわばホワイト本丸だ。叔父と刀剣男士は仲が良く、信頼し合い、こんなにも澄んだ空気の世界を作り上げた。

だから、とにかくはまあ、ゆっくりやっていこう。そう、こんのすけに告げる。
今日一日で離れにも、台所にお風呂にトイレ、その他必要なものは全て揃えたのだし。関わるなと言われたのなら、関わらないのが一番だ。私がいたところで、何の足しにもならないのだから。邪魔にしかならないのなら、ひっそりと引きこもっていよう。

「こんのすけっていう、話し相手もいるしね」
「……そうですね、主さま」



 *



審神者生活三日目。朝ご飯はピザトーストにした。こんのすけが「このとろりとしたまろやかなチーズと程良い酸味のトマトソース、玉葱の甘み、ピーマンのほのかな苦味がたまりませんなあ!」とはふはふ食べていたが、この式神はどこから知識を持ってきて中途半端な食レポをしているのだろうか。
「香ばしく焼けたトーストと相性抜群ですぞ!」とか。まあ喜んでるなら良いのだが。ていうか玉葱食べていいのか?式神だからセーフなのかな。

「はふう、ごちそうさまでした。さて主さま、今日はいかがしますか?」
「今日は離れに書庫と、鍛刀部屋を増設しようかなあと」
「ほう!鍛刀をなさるのですか」
「この本丸の資材には手を付けられないけど、私も私で政府から資材もらってるから、あっても邪魔なだけだなあ……って」

なるほど、とこんのすけは微かに落胆の気配を見せたが、知らんぷり。
審神者としての仕事をしよう!なんて前向きな気持ちではなく、ただ隣の部屋に続々積まれていく資材がひたすらに邪魔なだけだ。このままだといつか床が抜けるんじゃないかと思う。杞憂だといいけど。
政府支給の端末で増設の手配をしてから、しかし、と考える。鍛刀をしたところで、この本丸にはほとんどの刀剣が揃っている。中には二振目を育成する審神者もいるようだが、この本丸でそんなことをするのは当てつけにしかならないだろう。やぶ蛇は突かないに限る。触らぬ神に祟りなしだ。まさしく神だしな。
となると狙うは三日月宗近、長曽祢虎徹、浦島虎徹、明石国行だが、後半三人は却下だ。まず鍛刀で出てこない。もちろん私自ら出陣なんてこともしない。却下というか、無理だ。
つまり三日月宗近しか狙えないわけだが、彼は現在確認されている四十五振の刀剣の中で、唯一五つ星レベルのレア刀剣だ。出そうと思って出せるのなら、三日月難民なんて言葉は生まれない。

「主さま、増設が終わったようですよ」
「早いな、さすが二二〇五年」

先導するこんのすけを追い、出来たてほやほやの鍛刀部屋に入る。そこには一人の式神がちょこんと立っていて、俺に任せろと言わんばかりの表情でこちらを見上げていた。頼りがいのありそうな式神である。

「狙うのはやはり、この本丸に居ない三日月宗近ですか?」
「そうだねえ、出たらラッキーくらいのノリでやってみようか。ダブったら申し訳ないけどお帰りいただこう」

そういうわけで、とりあえず審神者ネットワークで知ったレア太刀狙いのレシピを式神に伝える。式神はこくりと頷いて、準備を始めた。忙しなく動く式神を目で追い、まあ運が良くて三時間だろうと腕を組む。
準備の終わったらしい式神が、何故かドヤ顔で鍛刀時間の書かれた札を指し示した。

『4:00:00』

「……エッ、まじか!?」
「あ、っあああ、主さま!!」
「いや待て、まだ慌てるなこんのすけ!小狐丸の可能性もある!!」
「いらんフラグ立てないでください主さま!手伝い札!手伝い札使いましょう!」
「フラグとか知ってんのかよおまえ……はい手伝い札」
「急に冷めないでください」

鍛刀部屋の入口近くにしまってあった手伝い札を取り、式神に渡す。式神はグッ、と親指を立たせ、また忙しなく動き始めた。
何でこう、こんのすけと言い鍛刀部屋の式神と言い、微ッ妙〜に外国かぶれなんだ。私が霊力供給の源だからか?どうしよう数日後再会した本丸の刀剣男士がカタカナばんばん使ってたら。笑いを耐える自信がない。

「主さま、終わりましたよ!」
「お、おお……」

来るはずもない未来に戦慄している間に、鍛刀が終わったらしい。出来たての刀をついと渡される。
そっと鞘から抜き、光にかざしてみる。この三日月の打除け、間違いない……。どうやら私は運が良いようだ。むしろこれで全ての運を使い切ってしまったのではないかとすら思う。初鍛刀が三日月宗近とか、同期もびっくりだろう。
微かに震える手で、三日月宗近へと心の中で呼びかける。ゆっくりと瞬きをすれば、目の前に眉目秀麗という言葉ですら足りないような、寒気すら覚える整った容姿の男性が佇んでいた。

「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ」

……はて、とここで私はひとつ、思い至った。
まだこの本丸にいない刀剣男士、三日月宗近。彼は、この本丸に来るのは初めてだ。だから前任の……叔父のことは知らない。この場では私を主だと認めてくれるだろう。この離れで鍛刀したのだから、恐らく住むのも此処だ。
私は、この人を、鍛刀してよかったのか?これこそ、本丸にいる彼らへの、当てつけとなるんじゃないだろうか。

「……どうした?俺が来て驚きでもしたか」
「ああ、……いえ、確かに驚きはしましたが……」
「?……ふむ。此処はどうやら、妙な事情のある本丸のようだな」
「お察しいただけて何よりです」

とりあえず、過ぎたことを考えても仕方ない。三日月宗近が来たことくらい、本丸の彼らは察しているだろう。察されてしまったものを、今更どうこうは出来ない。
三日月に、事情説明をしなくては。


「――……というわけで、私はこの本丸で発言権を持ちません。主として認識、だなんて以ての外です。故にこの離れでひっそりと引きこもっているのですが、三日月は自由に行動しても大丈夫だと思われます。貴方と同じ刀派の刀剣男士も、あちらに揃ってますし。ただ、主を喪って一月程ですから……個人的には放っておいた方が得策かと思いますが」
「そうか。では俺は此処に居よう」
「えらくあっさり……。良いんですか?」
「主の気は心地良い。それに俺は、主に呼ばれた身だからな。あちらの気は些か合わぬ」

へえ、と思う。確かにあの本丸には、叔父の霊力がまだ残っている。システム的には全て私に引き継がれているのだが、彼らが私の霊力を必要最低限しか受け付けていないからだ。それでもまあ、半年は持つだろうから気にしていないが。
何が凄いって、死して尚己の気を本丸に残す叔父が凄いのだ。さぞ優秀な審神者だったに違いない。いや優秀だったんだけど。

「まあ三日月が良いなら私は歓迎します。ようこそ、小さいですが我が本丸へ。出陣の機会は当分ないかもしれませんが、よろしくお願いします」
「うむ。まあそう気を張るな」

事情説明と挨拶を終えたところで、ああそうだ、とひとつの話題を思い出す。
養成所時代から、私がいつか本丸を持ったら、刀剣男士に伝えようと考えていた言葉。

「三日月。私は貴方を神として敬い、部下として扱います。貴方は私を、主として尊重し、人の子として扱ってください。私たちは決して平等にはなれませんが、互いに上手く線引きをすることは出来るはずです」
「つまり……どういうことだ?」

わかっているくせに、言質をとるつもりだろうか。質が悪い。

「……太刀だけに」
「ずっと黙っていたと思ったらこんのすけ……」
「も、申し訳ありません。つい」

はっはっは、と空笑いこんのすけの頭を撫でる三日月に、小さく溜息をつく。
言えと言われたのなら、仕方がない。相手は末席とは言え神だ。個人的に付喪神って妖側だろうと思うが、崇められれば妖もまた神だしな。

「私たちは互いに命令権も拒否権も持っています。ですが神と人、主と従者として、互いにそれを行使する場を弁えましょうね、って事です」
「あいわかった。その言葉、しかと受け止めたぞ、主よ」

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