「私は、正直なところ……皆さんに拒絶されて、安心しました。ああ、叔父はこんなにも慕われていたんだと。確かに衝撃を受けはしましたが、なるほどなと納得したんです。叔父が居なくなったから代わりの主をと言われて、普通、はいそうですかと受け入れられるはずがありませんし」

やんわりと笑む私の太股に、小さな小さな手が触れる。こんのすけだとすぐにわかって、傍らに歩み寄っていた子狐の頭を撫でた。

「でも私は、叔父の居たこの本丸を存続させたかった、させなきゃいけなかった。他でもない私自身の手で、叔父が慈しんできた刀剣たちを、この場で生かし続けなければならないと……そう思っていました。だって此処は、叔父の本丸だから、そのままにしないと、と。家族の居た場を、守り続けたいと……思っていたんです。万一にもこの本丸を解体になんてさせてはならない。私以外の見知らぬ誰かに、叔父の居た場を率いてほしくない。……これは全部、私のわがままです」

私は、叔父が居た頃のままの本丸を、永遠に残しておきたかった。
そこに叔父が居るかのように、自然に、ずっと。

「この本丸の主は、叔父以外の誰でもない。叔父だけがこの本丸の、此処にいる刀剣男士たちの主で、家族で、私はずっとそのままで居て欲しかった。たとえ自分でも、叔父の代わりになんてしたくなかった。貴方たちに、叔父だけをずっと、想っていてほしかった」

小さく吐息を漏らす。いまいちまとまらない言葉がちゃんと届いているのか、不安だった。
私がもっと大人だったのなら、言葉を扱うのが巧かったのなら、素直な人間だったのなら――もっと上手く、事が進んだのだろうか。
どうしようもない、たらればだけれど。

「一期一振、薬研藤四郎。貴方たちは私に、分かち合うことが出来るはずだと、一緒に歩めるはずだと、仰ってくれました。叔父の代わりではなく、私自身と、一緒に居ることは出来るはずだと」
「……ええ、今でも、私はそう思っております」
「俺もだ。あんたとなら、俺たちは一緒に歩むことが出来ると思っている」

相も変わらずの、真っ直ぐな視線。真摯な表情に、私は一瞬だけ目を伏せ……彼ら全員をぐるりと見つめ返した。視線を返してくれる者もいれば、目を逸らす者もいる。

「私は、そうは思えません。……いえ、思いたくないのです」
「――っ何故、」

一期一振が僅かに腰を上げる。傍らの弟たちも、呆然と私を見つめていた。

「私自身が、貴方たちと共に歩む己を、赦すことが出来ません。そこに立つべきは叔父であって、私じゃない。貴方たちに拒絶されるような態度しかとれなかった私が、貴方たちと家族になど、なれるはずがないんです。貴方たちの主になんて、なれるわけもない」

決して、正解などとは言えないだろう。でもこれが、私の出した答えだった。
ちらと視線を向けた先の三日月が、目元だけで笑みを浮かべている。その表情の意味を考えることもせず、私は一度口を閉じた。

家族になんてなれない。主ぶることなど出来ない。私は此処にいる彼らを、私の所有物に数えることはしたくない。彼らに慕われるのも、彼らを率いるのも、叔父であるべきなんだ。
私に、彼らを受け入れることなんて、出来はしない。

「っで、でも、主様は、もう、……ひっく、……いな、いんです」

静まった広間の中に響く涙声の主は、五虎退だった。短刀たちが謝りに来た時も一際多く泣いていた彼が、叔父の居ない事実を口にしたことに、少なからず衝撃を受ける。
認めたくなくとも、認めざるを得ないことは解っているんだろう。短刀たちは口々に、会いたくても会えない人を呼び、そうして彼の人にもう声が届かないことを、知らしめていく。

聞きたくない言葉だった。叔父はもういない、それくらいわかっている。それでも私は、お兄ちゃんに此処にいてほしい。記憶の中、だけだとしても。
この場で誰よりも叔父に執着しているのは、私かもしれないな。そう思って、苦笑した。

「俺たちの結論を……まだ、言ってなかったな」

山姥切国広の言葉で、短刀たちも静かになる。
私は一度だけ、ゆっくりと瞬きをし、山姥切国広へ視線を向けた。私の出した答えは伝えた。貴方たちの出した、答えは。

「俺たちは、刀だ。人の身を得たとしても、心を持ち、自ら喋り動くことが出来るようになったとしても、刀であることに変わりはない。刀は、主がいなければ存在する意味がない。ただの飾りだ。主に振るわれて初めて、刀は刀たり得る。
 アンタの言う通り、付喪神となった俺たちの主は、あの人たった一人だ。それは今も、これからも変わらない。けれど、主はもう居ない。どんなに俺たちが望もうと、あの人はもう、俺たちを振るうことは出来ない」

一旦、山姥切国広は口を閉じる。そうして、噛み締めるように、続きの言葉を紡いだ。

「この場にいる四十一振、全員の総意だ。俺たちはアンタを主とし、アンタの手で俺たちを振るってもらいたい」
「……、」

家族になりたいと、言われなかっただけ、まだマシだろうか。
私は彼の、彼らの答えを必死に噛み砕いて、飲み込もうとする。受け入れずとも、受け止めなければならない言葉だ。けれど喉元に引っかかった言葉を、脳は理解したくないと拒んでいた。

今までも、これからも、叔父がただ一人の主なら、それでいいはずなのに。何故私を主として求めるんだろう。
刀としての、本能なのだろうか。自ら振るうのではなく、誰かに振るわれたいと願ってしまう本能の所為で、彼らは。

「あんたが自分を赦せねえなら、俺たちがあんたを赦す。あんたが俺たちを受け入れなくても、俺たちはあんたを受け入れる。今は本心でなくともいい、どうか、俺たちの手を取っちゃあくれねえか。俺たちはもう、あんたを、いつか幸せを願った大将の姪っ子を、拒絶したくはないんだ」
「……私……は、」

ああ、続きの言葉が、浮かばない。
受け入れることも、受け止めることも、はね除けることすら、出来ない。

お兄ちゃんは、好きにしていいって、言ってくれた。でも私は、自分がどうしたいのかすらわからない。主になんて、家族になんてなりたくない。でも、拒絶はされたくない。傷付きたくない。受け入れてもらえたのなら、それは勿論、嬉しい。でも、だけど、だって。
私は、お兄ちゃんを、消したくないのに。

「……主よ」

鼓膜を振るわせた声に、いつの間にか俯かせていた顔を上げる。
ゆっくり首だけを捻れば、三日月が私の隣に座っていた。その手は、優しく私の背を撫でさすっている。上から下へ、腰の辺りに辿り着けばまた肩胛骨の辺りから。気付かぬうちに食い縛っていた歯から力が抜けて、微かな息を吐き出す。

「ここが、落としどころではないか」
「三日月……」
「主は、この本丸の主となる。皆の主は叔父君のままだ。それで、良いのではないか?この場に居る刀剣男士は皆、そなたに振るわれることを望んでおる。代替品ではない、そなた自身をな。その想いを汲んでやることくらいは、してやっても良かろう?」

みんなの主ではなく、この本丸の、主。
管理人みたいな、ものだろうか。そう考えれば、多少なりとも飲み込めるような気がした。

顔を正面に向ける。山姥切国広と薬研藤四郎が、私に手を差し伸べていた。二人共が真っ直ぐに、けれどどこか不安そうに、私を見つめている。
その手を取る時を、待っている。

自分の手を見下ろして、答えの解りきっていた問いを、投げかけた。

「……お兄ちゃんは、今も、これから先も、ずっと……貴方たちの中で、生きていけますか」

そうっと、手を差し出す。触れるか触れないかといったところで動きを止めれば、薬研藤四郎が勢いよく、私の手を引いた。
体勢を崩した私の身体は、山姥切国広によって支えられる。

「当然だろう」

布の間から、空色の瞳が僅かに細められる。
やっぱり、お兄ちゃんに似ていると思った。どうしようもない子供だった私を、いつだって優しく守ってくれた、お兄ちゃんと同じ。優しくて、温かな瞳。

お兄ちゃんは確かに、そこにいた。私が何をしようと、どう動こうと、それこそ好きに思いのまま生きたって、お兄ちゃんが消えることなんてない。私にそれだけの影響力は無いし、彼らがお兄ちゃんを想う気持ちは脆くない。
……認めたくなかったのは、私だけなんだ。駄々をこねていただけの私に、きっとお兄ちゃんも呆れているだろう。



 *



話し合いの日から、1週間後。

本丸の主、として出陣遠征指示、鍛刀や刀装作り、手入れなどの業務を行うようになった審神者は、まだ心の整理がちゃんとついてないながらも、母屋と離れを行き来して忙しそうに働いている。
叔父の使っていた執務室を使うつもりはまだ無いらしく、離れでの生活を三日月とこんのすけの三人で共に続けている。これを母屋の刀剣男士たちは心苦しく思っていたが、それでもいつかは歩み寄ることができるだろうと、今は何も言わない。


話し合いの日、全てを話し終えてから、審神者は短刀たちに連れられ、叔父の執務室を訪れていた。叔父が居た頃のまま、けれど綺麗に掃除された部屋は埃ひとつ無く、ふと視線をやればそこに叔父がいるのではないかとすら思える。
審神者はただじっと、その部屋に入ることなく見つめていた。隅から隅まで、叔父の姿を探すかのように。
その姿に短刀たちは胸を痛め、また泣きそうになる。あの日の自分たちがいかに愚かだったかを。そして謝罪をしに行った日、この審神者は真に己たちを赦してなどいなかったのだと、先の話し合いで理解してしまったからこそ。
唇を噛んで、ああ、この気持ちが『泣く資格など無い』というものなのだと短刀たちは知った。

「あるじさま」

立ち竦むままの審神者の手を引いたのは、今剣だった。あの日審神者を突き飛ばした小さな手は、今は壊れ物を扱うかのように、そうっと審神者の手に触れられている。
ぼんやりとそれを見下ろしている内に、審神者の足は室内へと踏み込んでしまっていた。反射的に部屋から出ようと足を後退させた審神者を止めるのは、背後からぐいと身体を押す厚藤四郎、秋田藤四郎の両の手だ。

「あるじさまのおもうままに、すきにふれて、みてください。あるじさまもきっと、それをよろこぶはずです」

「前の主様」とは言わない今剣の言葉は、少し理解に時間をかけたが、審神者にとってはありがたいものだった。叔父を過去とせず、今も此処に在るものだとしてくれる。
踏み込んでしまった、ある種神聖とすら思える場所に、審神者は再び立ち竦む。本丸内のどこよりも、叔父の気配が色濃く遺る場所。
喉元の震える感覚に、審神者は唇を噛み締めた。目を伏せて、呼吸さえも止めて、込み上げるなにかを抑えようとする。

「短刀たちよ、暫し主を一人にさせてやってはくれぬか」

そんな審神者の様子に声をあげたのは三日月宗近で、短刀たちは審神者を見上げ、理解したかのように小さく頭を下げてから部屋を後にする。
三日月宗近とこんのすけも同じく部屋を出て、そうっと静かに障子を閉めた。

止めてくれるものも、耐える理由もなくなった審神者は、崩れるようにその場に膝をつく。両の眼から音もなく流れ落ちる雫もそのままに、審神者は宙を見上げた。
見上げたところで、何があるわけでもない。流れ続ける涙の所為で視界は滲み、眼に焼き付けておきたいはずの景色がゆがむ。

「……お、にいちゃ、……っ」

微かな、縋るような泣き声を、部屋の外にいた数人の刀剣たちだけが聞いていた。

審神者が落ち着くまでそっとしておこうと、刀剣たちは広間へ戻っていく。四十一振の刀剣が広間へ揃っているのを三日月は見下げ、腕に抱えたこんのすけの頭を撫でた。こんのすけの尾が揺れる度、審神者に渡された飾り紐がふわりと三日月の衣服を撫でる。
広間の刀剣たちは、誰しもが少なからず安堵しているようだった。ほとんど円満に、新たな主を認めることが出来たのだからそれもそうだろう。話し合いを始める頃には納得していなさそうだった刀剣も、今はほっとしているように見える。

らしからぬ、と三日月は思った。この場にいる誰一人とて、深くは知らぬ存在だが、刀であることは皆同じ。そしてまた、神であることも同じだ。
にも関わらず三日月の前にいる四十一振は、恐らく誰一人、審神者の拒絶に気が付いていない。
気が付いていたとしても、知らぬふりをしている。いつかは歩み寄れるだろう、いつかは共に歩けるだろうと、来るはずもない未来に期待をしている。

審神者を初めに拒絶したのは、他の誰でもない、彼らだというのに。

三日月の笑みに気が付いたこんのすけが、意思を持って尾を揺らした。三日月の腕を撫でる毛先に、三日月はふっと穏やかな笑みを返す。
こんのすけもまた、人形らしからぬ笑みを三日月に向けていた。

「三日月殿、そろそろ離れに戻りましょう」
「うむ、そうだな。主ももう落ち着きを取り戻しておるだろう」

作り物のように綺麗な笑みを、一振と一匹は顔に貼り付ける。ふとそれを見てしまったある刀剣は、背筋がぞっと冷たくなるような心地になった。
三日月はまだしも、こんのすけとはこんな表情をするモノだったろうか。男の主がいた頃、こんのすけは時にしょうもない駄洒落を主と言い合っては笑っていたものの、基本的に単なる式神として機械的に動いていた。こんな、意思のある笑みを貼り付けてなど、いなかった。

広間の障子を閉めて去ろうとした三日月が、その手を止める。
僅かに開いた隙間から覗く三日月の瞳と、こんのすけの瞳に、広間の刀剣たちは目を逸らすことができなかった。縫い止められたかのように、そこだけをじっと見つめてしまう。

「おお、そうだ。ひとつ言い忘れておった」

わざとらしい三日月の声に、何人かの刀剣は肩をびくりと震わせる。
錬度で言えば、四十二振の中で三日月が最も低い。怯える必要などないはずなのに、その作ったような声音には恐怖――畏怖しか抱けなかった。


「ぬしらにひとつ忠告しておこう。――あれは俺たちの子だ。泣かせてくれるでないぞ」


蠱惑的とすら思える、恐ろしいのに見惚れてしまうような笑み。それが貼り付けられた、作られた物だとわかってしまうから、余計に恐ろしかった。
三日月は音もなく障子を閉め、障子の向こうの影もすぐに消える。硬直していた刀剣たちの内数振は、冷や汗をかいていることに気が付いて更に固まった。


霧のようになった雨が、止む気配はない。

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