話し合いの日まで、残り一日。

今日もアラームがけたたましく鳴っている。こんのすけが止めてくれるのを待つか、自分で止めるか、唸りながら布団を頭まで被った。
手だけを出して、手探りで目覚まし時計を探す。指先が目覚まし時計に触れた瞬間、かち、とアラームが止められた。

「んん……こんのすけ……?」

いつもなら次いで聞こえてくる、おはようございますの声がない。怪訝に思って布団から顔を出せば、目が合った。

「よっ、俺みたいのが突然来て、驚いたか?」
「…………」

頭上からの声に、反応することが出来ない。視線を僅かに下げれば、頭上の人物の首筋には剥き身の刀が添えられていた。……挨拶している余裕はないと思うんだが。
精一杯寝起きの頭をフル回転させ、現状を把握する。私に跨っている男は、鶴丸国永だ。そして彼の首筋に刀を突きつけているのは、三日月。こんのすけは三日月の足下で、鶴丸国永を威嚇している。
……この状況で寝転けていたのか、私は。

「この本丸の鶴は、随分と躾がなっていないようだ。短刀たちですら、大人しく主の起床を待っていたというのに」
「ははっ、人生には驚きが必要なのさ。俺なりに驚きのある出逢いを考えた結果がこれだよ」

なあ、驚いてくれたか?と鶴丸国永は空笑う。それはもう、とても、驚きすぎて声が出ないくらいには驚いた。が、そう答えるのも癪なので黙ったまま身体を起こす。鶴丸国永は存外あっさりと、私の上から退いた。三日月に刀を突きつけられていたからだろうか。
布団の傍に正座した鶴丸国永に、三日月は溜息をひとつ吐いて刀を納める。こんのすけが私の無事を確かめるためか、あちこちにてしてしと触れるのを横目に眺めながら、鶴丸国永へと問いかけた。

「余程の理由でなければ、このような目覚まし……さすがに私も怒りますが。こんなに朝早く、何の御用ですか?」
「いやなに、毎朝この離れから良い匂いが漂ってくるもんでな」

ぱっ、と。どこから出したのか、鶴丸国永は箸を掲げる。
これにはさすがの三日月も、勿論私も、目を丸くした。

「ご相伴に与らせてもらおうと思ってな!」

……こりゃ驚いた。思わず、小さな声で呟いた。


ご相伴に与る、というのは建前でも何でもなかったらしく、鶴丸国永は三日月とこんのすけに挟まれたまま、机の前に大人しく座っている。
三日月は既に常通りの様子になっているが、こんのすけは警戒心を露わにしたままだ。中立であるべき存在がそんな態度でいいんだろうか。まあ、私と三日月がこんなだから、その分をこんのすけが補ってくれているんだろうけれど。
三日月が読んでいた少女漫画が珍しいのか、鶴丸国永は熱心にある少女漫画の一巻を読み進めていた。主人公が実家に居辛くなり、幼馴染みの家に居候しながら、恋愛をしつつ家族との絆を取り戻していく話だ。あまりにも熱心に読んでいるものだから、ひっそりと笑ってしまった。

朝食はフレンチトーストと、ヨーグルトにキャベツのスープだ。飲み物は相変わらず全員牛乳である。
いつもより一人分多い朝食の用意を終え、三日月に手伝ってもらいながら配膳する。彼の天下五剣に食器を運ばせている、という絵面が衝撃だったのか、鶴丸国永は大層面白そうに笑っていた。

「三日月は、いつもこんな風に手伝いをしているのか?」
「うむ。俺が用意をしたこともあるぞ」
「そいつは驚きだ!あの三日月宗近が料理をするとは」

からからと楽しそうに笑う鶴丸国永が、誰よりも早く手を合わせ「いただきます」と呟く。そこら辺はきっと叔父に習ったんだろうなと考えながら、私たちも後に続いた。
鶴丸国永は美味しい美味しいと、素だと思われる表情で本当に美味しそうにフレンチトーストを食べている。張り合うようにこんのすけが「本日のフレンチトーストはしっかりと味が染みて、甘すぎずしつこくもなく、一口頬張るとカリッとふわっと、とろけるような美味しさですなあ!バターの香りがまた一層食欲を湧かせますぞ!」と食レポしていたが、それにも鶴丸国永は笑っていた。楽しそうでなによりだ。

「前の主も料理はしていたんだがなあ、もっぱら和食しか作らないもんで、ふれんちとうすとを食べたのは初めてだ。今度光忠にも食わせてやってくれ、きっと喜ぶ」
「……はあ」

前の主、ときた。叔父のことだろうとは思うが、……前の、か。居なくなってしまったとて、今も主であることに変わりはないだろうに。
鶴丸国永は、初日の事態を静観していた側だったと思う。歌仙兼定や燭台切光忠と同様、何を言うでもなく様子を見ていた。表だって拒絶はしないが、受け入れもしない。実のところ、そういった刀剣男士の方が扱いにくいんじゃないかと私は思ってしまう。はっきり拒絶を示してくれた方が、こちらとしてもやりやすい。

「それで?おぬしは何をしに来たのだ、鶴よ」
「ご相伴に与ろうと思って、と言っただろう?……まあ勿論、それだけじゃあないんだが」

鶴丸国永の唇が弧を描く。私へと向けられた視線は、探るような……試すようなものだった。
まったく同じ色ではないけれど、金色の瞳に昨日の燭台切光忠を思い出して、つい顔を俯かせてしまう。私が何かいけないことをしたわけでもないのに、罪悪感でいっぱいだ。

「審神者、君の知っている前の主の話をしてくれ。彼をどう思っていたか、どんな思い出があるのか、何をして貰い、何をしてあげて、これまでどう接してきたのか。それを、全部」
「……何故、ですか?」
「君の目から見た、あの人の姿を見てみたいのさ」

暫し、戸惑う。
叔父との思い出なら、いくらでも語れる。けれどそれを鶴丸国永に話すのは、どうにも気が引けた。私の知っている叔父の姿なんて、ほんの一部に過ぎない。きっと、私より彼らの方が余程叔父のことを知っているだろう。今更、そんなものを聞いて何になるのか。

「ならば俺は、食器を片付けてこよう」
「三日月、」
「話してやると良い、主」

卓上の食器をまとめ、三日月が台所へと消えていく。三日月にも、何か考えがあるんだろうか。
押されてしまった背中にどうしようもなくなり、私は小さく息を吐いた。

「大した話は、出来ませんが。それでもよろしければ」
「勿論だ!」

そうして私は、叔父との思い出話を始めた。

私が保育園児くらいの時は、暇を作っては度々遊んでくれた。
小学校の入学式に、わざわざ新幹線で駆けつけて父に呆れられていた。親同伴の遠足で、予定の合わない両親の代わりに叔父が弁当を作って、一緒に来てくれた。あの弁当は無駄に凝ってて、クラス中の注目を浴びたっけ。小学校の卒業式にも、ビデオカメラ持参で来てくれた。
中学の時は一緒に……それ以降ずっと、夜桜の下、静かな花見をして。
高校生になってからは、夏休みに叔父の家へ遊びに行きもした。叔父の同僚に、彼女かと驚かれたのも懐かしい。あの時の叔父は「俺を犯罪者にさせないでくれ!」と珍しく焦っていて、随分と笑った。
私が大学生になる前に叔父は審神者となって、以降は時々の手紙でしか話せなくなった。成人式の写真を送ったら、涙でにじんだ手紙が返ってきたのは笑ったなあ。そうして、そして――。

「……お兄ちゃんの、最期の言葉も、聞けなかった」

ぽろりと溢れたのは、どうしようもない後悔だった。私が産まれたときから、見ていてくれた人なのに、彼の最期を看取ることが出来なかった……後悔。悔しさ。悲しさ。
言うつもりのない言葉を漏らしてしまったことに自分で驚き、ぱっと口をふさぐ。けれどもう、遅い。目前の鶴丸国永は、どこか申し訳なさそうに苦笑していた。

「すまない……ああ、どうしてこうなったんだろうな……君は彼の人と、こんなにも愛し合っていた、家族だと言うのに……」
「……」
「紡げたはずの絆を裂いたのは、俺たちだがな……」

心というものは、どうしてこう、自分の思い通りに動いてくれないんだろうな。

鶴丸国永はそうっと、誰に問うでもなく呟く。片手で顔を覆い、隙間から見えた表情は――自嘲気味のものだった。
本当に心根の優しい刀剣たちだと、私は目元を笑ませる。叔父の魂を、ほんの一部とはいえ受け継いだ存在なんだ。それも道理だろう。

「実のところ、俺はな。前の主を家族として見てはいなかったんだ」

そのままの姿勢で、鶴丸国永は言葉を紡ぐ。私にとっては少し以上に、驚きの言葉だった。

「主と従者。人と刀剣。家族となるには、存在が違いすぎるだろう。だがあの人はそんな俺を、鶴丸国永として尊重してくれていた。家族ではなくとも、共に生きることは出来ると言ってくれた。……本当に、良すぎる人間だった」

良い人間は神に愛される。神に愛されると長生きできない。そう言うらしいが、俺としてはもっと長生きして欲しかったな。俺たちよりも高位の神に、愛されていたのか。
そう言われてふと夜桜が浮かんだが、まさかと掻き消す。叔父の死は、ただの偶然で、運命だ。それ以上でも以下でもない。

深く、深く息を吐いて、鶴丸国永の視線が私へと向けられる。
「あの人は最期、きっと、君への言葉を遺していた」と、穏やかな声音で。

「“お前の思うように、好きにしていいから、ごめんな”」

言われて、涙が出そうになるかと思ったけれど、予想外に涙腺は震えることもなかった。その言葉はすとん、と胸の内に落ちてきて、そっか、と思う。そうか、好きにして、いいのか。私は。
反応を示せずにいる私の膝に、こんのすけが触れる。こんのすけらしからぬ柔らかな表情で笑って、小さく頷いていた。

「……貴方も、そう思いますか」
「そりゃあ、いきなり全刀剣を刀解する、なんて言われたら反発はするが。君は、そんなことを言いはしないだろう?君は俺たちの心を蔑ろにしない人間だと、歌仙たちは言っていた。なら俺は、君の好きなようにするべきだと思う」

――俺は、君の全てを受け入れよう。

「君が、俺たちを受け入れなくとも」
「そう……ですか」

やっぱり、と笑みが漏れた。此処に居る刀剣男士は優しすぎる。まるで、叔父のように。


鶴丸国永の去った離れで、三日月は穏やかにお茶を飲んでいた。私も干菓子と共に、喉を潤す。
今日までの日々は、明日できっと終わるだろう。三日月と、こんのすけと、私。三人だけの閉じられた世界は、今日で終わる。
母屋にいる刀剣たちも、三日月も、私だって、このままではいけないんだ。このままだと三日月は、刀剣としての本分を果たせない。私も、審神者としての業務を行えない。母屋の彼らは、先へと進めない。

先へ進むことを、苦とは思わない。けれどこの閉じられた世界が失われてしまうのも、勿体なく感じた。それほどまでに此処は、居心地が良かった。
三日月とこんのすけが居てくれれば、私には充分だ。だけど、審神者となった以上、自分のことばかりを考えてはいられない。

「三日月、こんのすけ」
「どうした?」
「何でございますか、審神者様」
「この一ヶ月ちょっと、私と一緒に居てくれてありがとうございました」

きょと、と二人の目が丸くなる。唐突すぎただろうか。

「こんのすけは、最初っから私の味方でいてくれた。三日月は、こんな私を主として受け入れてくれました。本当に感謝しています」
「当然にございます!このこんのすけ、主さまのためなら火の中水の中白刃の中、どこまでもついて行きますゆえ」
「……ふむ。俺も、主がそなたであってよかったと思うぞ」

思わず顔が綻んでしまう。ぴょんこぴょんこと私の周りを飛び跳ねるこんのすけを、三日月が捕まえて大人しくさせていた。こんのすけはぶすくれながらも、三日月の膝の上に大人しくおさまっている。
なんて穏やかなんだろう。ここに私を拒絶するものは無いのだと、安心させてくれる空間。

「明日以降も、こう在りたいものだな」

細められた三日月の両目が、私へと向けられる。相も変わらず蠱惑的な瞳は、私に畏怖の念を覚えさせる。けれど同時に、安堵も抱かせた。
三日月の言葉に、ゆっくりと頷く。こんのすけも、首が取れちゃいそうな程に勢いよく頷いていた。明日以降がどうなろうと、思い描くのは自由だ。

「明日以降がどうなるかはわかりません。けれど私が最も大切に想うのは、三日月とこんのすけの二人です。……本当は審神者として、一部だけを特別視するのはどうかと思うんですけどね」

ちょっぴりいたずらっぽく笑って、二つの袋を取り出す。小さな方を三日月に、やや大きい方をこんのすけに差し出した。彼らの表情が再び、きょとんと固まる。

「昨日買ってきたものです。私から三日月とこんのすけへの……感謝の気持ちと、これからもよろしくお願いしますの気持ちを込めて」

昨晩ちゃんと、私の霊力も込めたんですよ、と。少し恥ずかしくなりながら告げれば、二人はとても大切な物を扱うように、袋の中身を取り出した。
 
三日月には、蒼い五角形の御守り。この先、彼にも出陣する機会が来るだろう。その時、どうかこの御守りが三日月を守ってくれますようにと願った物だ。
こんのすけには、朱色の飾り紐。布地に紐が編まれたそれを、尻尾の辺りに巻いたら可愛いだろうと思って買った物だ。この先も、こんのすけが私と共にいてくれるように願いを込めて。

二人は目をまん丸に見開いて、まじまじとそれを見つめている。やっぱりなんだか恥ずかしくて、私はいそいそとお茶のおかわりに立った。私が台所に消えても、彼らはだんまりのままだ。……気に入らなかった、だろうか。
新たなお茶を煎れながら不安になってきた頃に、こんのすけの喜色に溢れた声が聞こえた。

「三日月殿、三日月殿!こんのすけの尾に、これを巻いてくだされ!」
「暫し待てこんのすけよ。この御守りをどう身につけるか考えるのが先だ」
「首に提げれば良いのです!そうすれば無くしません!」
「しかし紐で提げれば、戦の最中に切れてしまうやもしれぬ」
「では装束に縫いつけましょう!」
「それだと日頃は持ち歩けぬではないか!」
「三日月殿面倒臭い!!」
「何でちょっと喧嘩みたいになってんですか」

思わず口を挟んでしまった。二人がはっとこちらを見上げて、僅かに顔を赤らめる。三日月の照れた顔なんて、珍しいなんてもんじゃない。瞠目してしまう私に、二人はあたふたと、けれどやっぱり大切そうに贈り物を抱えて、微笑んだ。
見ているこっちまで幸せになるような、とても温かな笑顔だ。

「ありがとうございます主さま!こんのすけ、生涯この飾り紐を大切に致します!いつ如何なる時もこの身から離しは致しません!」
「主よ、感謝する。俺の身を案じての物だろう。主からの贈り物を失わぬよう、我が身も大切にすると誓おう」

そこまで言ってもらえると、本当に私まで嬉しくなる。急須を机の上に置いて、いえいえ、と頭を下げた。
私こそありがとう。拙い審神者だけど、これからも傍で支えてください。そんな思いからの贈り物を、ここまで喜んでもらえたんだ。幸せな気持ちで、いっぱいだ。

この温もりがあるならば、私はきっと頑張れる。

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