終始1 [2/27]


分厚い雲が空を覆い隠しているのを、窓から見上げる。遠くでは朝の挨拶が静かに飛び交っていて、ふんわりと、朝食の匂いがした。
主、と。気遣うような、責めるような、窘めるような。そんな声が障子の向こうから聞こえてくる。
起きているかい。今日の朝餉は南瓜の味噌汁に、秋刀魚の塩焼きだよ。教えられたメニューに、そうか、もう秋なんだな、と心の隅で考える。どうする?との問いかけは、食べるか否かを訊くものか。それとも自室で食べるか、皆と食べるかを問うものか。
少し、にしては長い時間だったかもしれない。間を置いて「着替えてくる」と返答すれば、障子の向こうの声は、それはそれはほっとしたように、頷いた。

空は相変わらずの曇り模様。審神者の霊力で大部分が成り立っている本丸では、その精神状態によって天気が変動する。
私はもう一週間、青空を見ていない。


一週間ぶりに部屋から出れば、わあわあと刀剣男士たちに囲まれた。
大丈夫ですか、無理してない?、少し痩せたんじゃないか、肩を落とすな、しっかりしろ、貴方の責任ではありません。心配する声、慰める声、窘める声。――責める声は、一つとして無い。

もう大丈夫、心配かけてごめん。今日からはちゃんと、仕事するから。へらりと笑いながら大広間へ向かい、皆と朝食を囲む。食後には、久しぶりに遠征の指示を出した。出陣の指示は、まだ出せない。
一時間後には遠征部隊を珍しく見送り、近侍の片割れと共に執務室へと向かう。
途中「大丈夫か」と不器用ながらも気遣う言葉を向けられた。何が、と空笑い、彼の背を叩く。
休息は十二分にとった。過去は変えられない。変えるべきではない。変えてはならない。人は、前に進むことしか出来ない。

「大丈夫だよ」

そっと呟く。返事はない。安堵の気配もない。それでも私は気にも留めず、歩を緩めなかった。
まだ、今は、大丈夫。誰かに心配をされる必要があるような、状態じゃない。



――……



その日は雲一つない快晴だった。
第一部隊に最近顕現した蜻蛉切を加え、練度を上げるため出陣させた。嫌な予感なんてまったくなかった。虫の知らせもなかった。いつも通りに彼らは敵を倒し、練度を上げ、資材を拾って、帰還するはずだった。

強制帰還の報せは、こんのすけから与えられた。
審神者は戦場の様子を視ることが出来る。けれど、『いつも』に慣れたつもりの私は、それを怠った。長くて一時間もすれば、全員帰ってくる。多少の怪我はしていても。一戦を終えるごとに進軍、撤退の指示が必要になるから執務室に篭もる必要はあったけど、それでもついさっきの報告では全員傷もなく、刀装も失っていなかった。
だから、いつも通りだと、思って。

「蛍丸、太郎太刀、鶴丸国永共に重傷!歌仙兼定、厚藤四郎も中傷です!」

強制帰還は、部隊長が重傷になった際、戦闘終了後に行われる。その日の部隊長は鶴丸だった。
報せを受け正門に集まった刀剣たちの中、平野がいち早く部隊の損傷を伝えてくれる。
三振が重傷、二振が中傷。そんな怪我を負うような戦場じゃなかった。特に蛍丸、歌仙、厚は練度も高く、鶴丸、太郎、蜻蛉切の育成に念のため行かせたくらいのもので、そんな彼らが何でこんなにも傷を負っているのか、その時の私にはすぐ理解出来なかった。

辛うじて意識のある歌仙と厚が、呟く。
青い炎を纏った、今までの敵とは違う何かと交戦になった。それらは強く、蛍丸の一撃でも倒れることなく、槍を、大太刀を、薙刀を振るってきた。
厚が何かを差し出してくる。気付かないようにしていた。気付きたくなかった、事実を突きつけてくる。

「ごめ、大将……蜻蛉切、守れなかった」

歯を食いしばり、人目を気にせず涙をこぼしながら、悔しそうに。差し出されたそれは、蜻蛉切の本体に巻かれていた布と――破片。小さなそれは触れれば切れそうな程の鋭さなのに、何も入っていない。何かがそこに憑いていた形跡すら、感じられない。

全身から、力が抜けた。

その場にへたり込んでしまった私に、平野や長谷部、五虎退が駆け寄ってくる。
厚から受け取ったそれを手にしたまま、呆然と眺める。蜻蛉切、だった物。今はただの布きれと、破片。そこにはもう、蜻蛉切はいない。
呆然と眺めたまま、長谷部に指示を出した。五振を手入れ部屋に。全員手伝い札を使用すること。今日の出陣はこれで取り止めとする。私を気にかけながらも従順な長谷部はこれに頷き、他の刀剣へ指示を出しながら歌仙の肩を支え、手入れ部屋へと向かった。
その場には私と、数振の刀剣男士が残る。

「主様……、」

やんわりと私の手を支える五虎退に、どうにか笑んで立ち上がろうとしたものの、身体の力は抜けたままだった。苦笑のようなものを漏らして、おろつく彼らに何か、言い訳をしようとする。謝ろうとする。
この本丸の主が、戦争の一端を担っている者が、たった一振を失っただけでこの有様だ。彼らはこの戦争の武器であって、友だちでも、恋人でも、家族でもない。
だけど、それでも、どうやっても立てなかった。

「ごめん、ちょっと、立てないっぽいから、一人にして。その内立てると思うか、」

ら、と。最後の声は驚きを表すものに変わる。端にいた大倶利伽羅が、私を担ぎ上げたからだった。幼子にするような、抱え方だった。
風邪をひかれては困る。他の奴らも気にする。だから、あんたの部屋まで連れて行く。
残暑とはいえ、風も涼しくなってきた頃だった。不器用にそう告げた大倶利伽羅は、だんまりのまま私の自室まで運んでくれて、用が出来たら呼べとその場を後にした。


一人きりの部屋で、蜻蛉切だった破片を手に、俯く。

最初は、ガタイの良いやつが顕現したなあと思った。口を開けば随分と臣下然とした子で、その忠臣たろうとする姿勢を気に入り、意欲的に出陣部隊へ組み込んだ。決して私は良い審神者、良い主ではないけれど、長谷部と一緒に支えてね、なんて笑ってみせれば、主殿は立派な御方です、と頭を下げてくれた。
日本刀に明るくない私が、彼の名を覚えられず蜥蜴丸だなんて『と』しか合ってないような名前で呼んでも、はいと返事をしてくれた。その後きちんと名前を覚えて蜻蛉切と呼べば、誇らしそうに応えてくれた。
顕現している槍が蜻蛉切のみだった私の本丸で、文字通りの一番槍として、最近では誉もとれるようになっていた。
一緒にお茶を飲んだり、おやつを食べたり、歌仙に叱られる私を長谷部と匿ってくれたり、慣れない料理に困惑している蜻蛉切に、料理を教えたりした。畑仕事や馬当番も、文句一つ言わずにこなしてくれた。歌仙と手合わせをしている時の蜻蛉切は、練度差もあるはずなのに、上手く立ち回って歌仙を翻弄していた。格好良かった。

誰かと比べて、ではなく。
蜻蛉切は、私には過ぎた、忠臣だった。素晴らしい刀剣だった。


気付けば日も落ち、緩慢な動作で時計を見やれば、夕食の時間も過ぎていた。誰かが呼びに来たかもしれないが、まったく聞こえていなかった。
丁度タイミング良く現れた歌仙が、障子越しにせめて少しは食べなさいと膳を置いていく。気配が薄れてから障子を開けば、ふわりと温かな香りが鼻腔をくすぐった。らしからず簡素な夕食だったが、彼らとて仲間が折れたんだ。そんな日に、いつも通りの食事をするのも複雑だろうと思った。
膳を室内に引き入れ、手を合わせようとして――持ったままだった布と破片に気が付く。

私の作った甘味を、美味しいと驚いたように目を輝かせて食べてくれた。歌仙や光忠の作った料理を、素晴らしいと褒め称えながら食べていた。
あの蜻蛉切は、もう何も、食べられない。喋ることも、笑うことも、怒ることも。私の傍にいることも、もう、出来ない。


――私の、せいで。

呼吸がしづらくなり、深く、ゆっくりと息を吐きながら、目を閉じた。
私が戦況をきちんと視ていたら。考えるな。私の霊力がもっと高ければ。考えるな。何か、あの時、前触れのようなものを感じられていたら。考えるな。私がもっとしっかりした、ちゃんとした審神者であれば。考えるな。考えるな。考えるな。それ以上、考えてはいけない――。
……あの時の私が、こうなることを、知っていれば。


それから一週間、私は歌仙や大倶利伽羅に無理矢理水分だけでもとらされつつ、部屋に引きこもった。近侍である二振以外には姿も見せず、声すら出さない。二振の前ですら、声は出さなかった。
過去は変えられない。変えてはいけない。そのための戦を、私はしている。
例えどんなに愛しいものを喪おうと、審神者である私にそれだけは許されない。

あの日の私は蜻蛉切が折れるなんて知ることもなく、怠慢に過ごし、絶望して、たったの一週間であれど、審神者であることを放棄する。子供のように泣いて、わめいて、それでも帰ってなど来ない愛しいものに、焦がれ続ける。
それが事実だ。私の過去だ。だからそれは、変えることなんて出来ない。蜻蛉切には……あの蜻蛉切には、二度と会えない。
私の愛した一番槍は、もう居ない。

審神者である私がとれた選択肢は、彼を過去のものとして大切に慈しみ、後悔を抱えたまま、前へと進むことだけだった。


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