憂薬4 [23/27]


当然のように執務室の前で「大将、入っていいか」と声をかけた薬研は、別の所から声が返って来たことに驚く。
障子を開けてこっちこっち、と手招く審神者がいるのは、応接間だ。本来政府からの客人や余所の審神者と交流する時くらいにしか使わない場に、自分が招かれるとは思ってもいなかった。
思わぬ厚遇に、こりゃ刀解も有り得るかもな、なんて、審神者がそれだけはしないだろうとわかっていても考えてしまう。そんな自分にちょっとだけ苦笑してから、薬研は応接間へと歩き始めた。

「とりあえずお茶飲む?紅茶のがいい?」
「、あ……ああ、そうだな、紅茶で頼む。いや、俺がいれる」
「いいよ、座ってて」

この本丸で唯一応接間の床のみがフローリングで出来ており、そこに敷かれたラグの上には大きなソファが置かれている。恐る恐る座ったソファは柔らかくも体重をしっかりと支えてくれて、座りやすかった。
暫くして紅茶と、一口サイズのフィナンシェやマドレーヌが盛られた皿を盆に載せた審神者が戻ってきた。
あれは確か、審神者がとても気に入っていた店のものではなかっただろうか。テーブルの中心に置かれたそれを、何か恐ろしいものを見るような目で眺め、審神者へと視線を上げる。
差し出された紅茶は砂糖の入っていないロイヤルミルクティーで、薬研が紅茶を飲んだことなんて数えるほどしかないはずなのに、自分の好みを覚えてたのか、と胸の辺りが苦しくなる。

審神者に離れへと招かれ、茶の用意をされる。
それはいつかの薬研がまったく想像すらできず、けれど夢に見るくらいは許されたいと思っていた光景だったのに、現状を手放しで喜ぶことは出来なかった。
何故自分が呼ばれたのか、審神者が妙に優しく思えるのは何故なのか、薬研の中では理由がわかりきっていたからだ。それが全て合っているかどうかは、さておき。

「んで、今日君を呼んだ理由だけど」

夕食後にも関わらずフィナンシェを一つ食み、砂糖のみを入れたストレートティーで流し込んだ審神者が口火を切る。
薬研は柄にもなく、自分が緊張しているのがわかった。
ここ数日の己の不甲斐なさは、自分が一番わかっている。乱や厚にも知られているだろう。それを受けた審神者がどう対処するのか、薬研にはわからなかった。
浮かぶのは、悪い予想ばかりだ。

「もうすぐ一軍がカンストするでしょう。それに合わせて、そろそろ三軍を作ろうと思っててね」
「……あ、ああ……?」
「その三軍の部隊長、まあつまり今の歌仙や長谷部の立ち位置ね。……それを薬研に、任せたい」

いきなり始まった一軍の話。そして、静かに告げられた最後の言葉を、薬研は暫く理解することが出来なかった。
言われたことを脳内でゆっくり反芻し、審神者をまじまじと見つめながらようやく出せたのは「……え?」という音のみ。

歌仙は初期刀として、長谷部は二番目の打刀として審神者からの信を置かれている。
一軍の部隊長であり、審神者の補佐をしている歌仙。二軍の部隊長であり、いずれは歌仙の後を継いで審神者の補佐を行うであろう長谷部。
対して一軍の副部隊長である大倶利伽羅、二軍の副部隊長である一期は刀剣男士の指揮を任されているのだが、そこは今のところ余談だ。
薬研にとって重要なのは、この本丸で誰よりも審神者に近い歌仙と同じ立場を、いずれ薬研にも任せたいと、審神者に言われたことだった。

「三軍のメンバーはまだふわっとしか考えてないけど、くりからポジは切国かなあ。あとは石切と鶯と……そろそろ兼さんをどっかに入れないと堀川が怖いから、兼さんも。脇差も入れておきたいから、そこは浦島辺りかな。……って感じで、さっきも言ったけどその部隊長を薬研に任せたいのね。君はみんなをまとめて、引っ張っていくのが上手いから、この面子を任せられると思う。我ながら、一軍二軍と比べて暫定三軍はどうもまとまりがない」

ぽいぽいと口にフィナンシェやマドレーヌを放り込みながら、審神者は己の意見をつらつらと述べていく。
薬研が口を挟む間もなく、どうやらほとんどが決定事項のようだった。悩む素振りを見せながらも、三軍メンバーは先に並べたものたちで確定だろう。一軍や二軍を決める時もそうだった記憶が、薬研にはある。

一瞬だけ薬研に視線を寄越し、脚を組み替えた審神者は言葉を続ける。
こういう人だと、薬研はわかっていた。全部自分で決めて、そのまま突っ走る。間違っていたとしても、それで誰かが悲しんだり憤ったりしても、彼女は気に留めない。結果さえ良ければいいと、前だけを睨み付けている。
もっと頼ってほしいのは事実だ。仮にそれが自分じゃなくとも、審神者がよりかかれるものが増えてくれればいいと思っている。
でも薬研は、そういう審神者を好いていた。何物にも頓着しないように見える様は、見ていて気持ちが良かった。

「薬研の不調には気付いてた。それでも私は厚を一軍に入れたことも、二軍に短刀を入れなかったことも、間違いだとは思ってない。一軍には厚の方が上手くはまると思ったし、二軍もあれで上手く機能している。だから私は、君に謝らない」

小さく一度だけ、薬研は頷く。

「君も私から謝罪を受けたいわけじゃないでしょう。それでも何か言いたいことがあるなら言いなさい、薬研藤四郎。君はいずれ近侍として私の傍に立つんだから、その時にまでしこりを残してほしくない」

ぬるくなった紅茶で口の中を潤し、薬研は暫し逡巡する。
言えと命令されたのなら、言わなきゃいけないんだろう。大人ぶってきた自分の、子供のような癇癪を。

「――俺は大将の、一番でいたかったんだ」

自嘲気味に笑って、薬研は語った。
せめて短刀の中だけでも、審神者にとって一番の存在でありたかった。一番に愛されたかった。そうだと思っていた自信が、一軍や二軍の編成によって脆く崩れていった。
使われない短刀はどうすれば愛されるのか、何をすれば用いてもらえるのか、わからなかった。
一軍へ所属した厚に嫉妬をしていたわけじゃない。雑務を難なく手伝える平野にだって嫉妬はしていない。
ただただ、自分が不甲斐なかった。審神者が用いるに足る短刀ではなかったのかと、歯噛みした。
審神者はそれを常通りの無表情で、紅茶を啜りながら聴いていた。

「そもそも私は、誰かを一番に愛してはいないし、これからもそうなるとは思えない。だから君の悩みは無駄とも言えるんだけど――さすがにこの言い方は酷いか。ううん、そうだなあ」

また一つフィナンシェを口に放り込む審神者に、心の隅で歌仙や燭台切に怒られはしないだろうかと心配してしまう。夕食をきちんと食べないからそうやって間食をしてしまうのだと、彼らは審神者にしょっちゅう注意していた。
そんな薬研の心配に気付くこともなく、再び紅茶に口を付けた審神者が、空になったカップ越しに薬研を見つめた。
コト、と静かな音で、カップはソーサーの上に戻される。

「一軍がカンストしたら、ほとんどが遠征要員になるか隠居生活になるかだよ。その間薬研は、三軍を率いて戦場へ向かい、厚にもいずれ追いつく。厚樫山の大太刀だって一撃で葬れるようになる。
 一番に愛されたいと願うなら、機会を無駄にせず、活躍してみせて。私はみんなを平等には愛せないけど、愛したいと願う審神者だから、ワンチャンくらいはあるんじゃない?」

いたずらっぽく、審神者はくすりと笑う。
傲慢だと思った。きっと審神者自身も、傲慢な発言だとわかって口にしている。愛されたいのならそれに見合う働きを見せろと、その上で一番になれるかはわからないけれど、足掻いてみせろと。そう言っているのだ。
末席とはいえ神を前にそんなことを言ってのけるなんて、人の子とは、どれだけ傲慢なのだろう。
そうは思うけれど、それこそが、薬研の認めた主の姿だった。
これ以上なく人間らしい、愚かで傲慢な女。だからこそ着いていき甲斐があるし、愛されたとわかった時の誉れは、格別だろうと思う。

薬研は堪えきれず僅かに吹き出して、声をあげて笑った。
ここまで我が儘な主の元で、うじうじと悩むなんて馬鹿らしい。性にも合わない。せっかく機会を与えられたのだから、あとは錬度を上げて、仲間を率いて、敵を斬るだけだ。

「三軍部隊長、承った。つまりは面倒を見りゃあいいんだろう?任せてくれ、大将。きっちり活躍してやるさ」
「それでこそ薬研だ」
「ああ。大将の言動に逐一振り回されるなんざ、らしくなかった。兄弟たちにも謝っておかねえとな」

む、と微かに眉根を寄せた審神者に、薬研はもう一度笑う。

「なんかけなされた気がするな?」
「俺が大将を?まさか。愛しい主にそんなことしやしない」

わざとらしく戯けてみせながら、それは嘘でも冗談でもなく。数度のまばたきをして、審神者は苦笑混じりに肩を竦めた。
眠れる獅子を起こしたというか、いらない焚き付けをしてしまったかもしれない。審神者のちょっとばかしの後悔は的を射ており、薬研はにんまりと口角を上げた。

「覚悟しとけよ、大将。俺無しじゃ生きていけねえくらい、惚れ込ませてやる」

見た目にそぐわぬ、妖しい微笑み。
まるで告白されているようだと遠い目をしながら、審神者は心の中で呟いた。めんどいことになったなあ、と。


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