物吉くんや堀川くん、博多に長谷部の助けもあって、すっかり溜め込んでしまっていた書類も全て終わらせた。
本来の管轄じゃない業務までさせてしまった四人には、後日何かしかのお礼をしなくてはいけない。きっと博多は小判をねだって、長谷部は何も要らないと言うのだろうけれど。

夕食の時間はみんなとずれてしまったので、私が簡単に作ったものと夕食の余りを五人で摂り、おやすみの挨拶をしてから別れる。
あとは審神者専用のお風呂に入って、寝るだけだ。思ったよりも遅い時間にならずに済んで良かった。この調子なら、日付が変わるまでにはベッドに入れるだろう。程良く疲れているし、今日は熟睡出来るかもしれない。

桜の香りの入浴剤を入れ、ゆったりとバスタイムを楽しむ。
その後は肌を整え、髪を乾かして、白湯を飲んでからほんのちょっとの読書時間。身体が良い具合に冷めてきた辺りで、ベッドに入る。目覚ましを六時にセットして、布団を被り、瞼を降ろした。


――…


優しく、髪を梳かれている感触がする。少しだけ乾燥した指先が時折耳たぶをくすぐるから、なんだかくすぐったくて寝返りをうった。
うっすらとだけ瞼を開ける。目の前に、誰かの太股があった。寝間着で隠れているけれど、姿勢的に、太股だと思う。

「……主」

やわらかな声が耳に溶けていくように響いて、目線をあげる。そこには声音そのままに微笑む長曽祢さんがいて、心のどこかで、やっぱりと思った。
二日連続でこんな良い夢を見るなんて、幸せすぎて恐くなる。私の脳味噌はどれだけ長曽祢さんに飢えているんだろう。確かに、今日はほとんど一日中書類と格闘してたから、全然会えなかったけど。

「ほんとうに、都合の良い夢ですね……」
「夢、だからな」

長曽祢さんはずっと、優しく、私の頭を撫でている。
ああ、こうやってあの大きな手に撫でられてみたかった。優しくて、あったかくて、でもちょっとだけ雑な手つき。寝る前に梳かした髪は、ちょっと乱れてしまっているだろう。
それは恥ずかしいけど、乱したのが長曽祢さんなら……まあ、それはそれで。

「今夜は、何をしたい」

疑問符があるような無いような、どことなく挑戦的な声音。
このままずっと頭を撫でてもらうのも幸せだけど、やっぱりせっかくの夢なんだし、現実じゃ到底出来ないことをしてみたい。何がいいだろう、と悩む素振りをみせていたら、また、長曽祢さんの指先が耳たぶをくすぐった。

「ふふ、長曽祢さん、それくすぐったいです」
「嫌か?」
「嫌じゃないですよ。でも、なでなではもう大丈夫です」

ちょっとだけ瞬きを繰り返して、頷いた長曽祢さんは私の頭から手を離す。私は昨日みたいに身体を起こして、斜め後ろに腰掛けている彼に、手を伸ばした。途中でぴたりとその手を止め、金色の瞳を覗き込む。

「私も、長曽祢さんの頭を撫でてみても、いいですか?」
「……おれの、か?構わんが……別段、楽しくもないだろう」

許可はもらったので、少しだけ近寄り長曽祢さんの頭を撫で始める。上から下へ、外跳ねの髪を梳くように。黒髪と金髪の境目を探るように。頭蓋骨の形を確かめるように。
現実じゃ絶対に出来ない、ちょっと変態のような、執拗な撫で方。

「まあ、夢だから現実とは違うんだろうけど……なかなかリアルですね。楽しいです」
「そうか……?いや、あんたが楽しいのなら、いいんだが」

どこか困惑した風の長曽祢さんが、ぽり、と耳の下辺りを掻く。たった二ヶ月でも、自分の刀のことだからわかる。これは長曽祢さんが、なんか上手くいかないなあ、と思っている時の仕草だ。自分の予想通りに事が運ばない時、とか。
……夢の中の長曽祢さんには、何か『目的』でもあるんだろうか。いやでもこの長曽祢さんを作りだしているのは私の脳なわけで、つまりそれは私の目的……?……ううん、考え出したら頭が痛くなりそうだ。自己分析はあまり得意じゃない。

左手で彼の頭を撫でていたのだけれど、不意に、空いていた右手をとられる。昨日みたいに指と指を絡めるように繋がれて、何故か大人しかった心臓が高鳴り始めた。
ああ、そうだ、夢とはいえ私は今、長曽祢さんと。こんな至近距離で、こんな、何というか、恋人みたいに……触れ合って。
自覚したら急に恥ずかしくなってきて、そっと左手をおろし、顔を俯かせてしまう。顔が熱い。きっとまた、茹で蛸みたいになっている。

「本当に愛らしいな、主は」

苦笑気味の声と共に、繋いでいるのと反対の手でそっと顔を上げさせられた。いわゆる顎クイってやつである。頭が破裂しそうだ、と思っているうちに長曽祢さんの手は頬へと滑るように移動して、親指で下瞼をなぞられた。
反射的に、目を閉じる。その瞬間に顔が近付いてくる気配を感じたので、咄嗟に、本当に咄嗟に、空いた手を口元にやってしまった。
手の甲に軽く触れたのは、まさか、長曽祢さんの、唇だろうか。やっぱりちょっと乾燥してたな、とほんの僅かに残った、心の冷静な部分が考えている。

「な、なが、ながそねさ、」
「……だめか?」
「え……あ、う……いやあの、えっと……ええと……」

今朝方の――時間的には昨日か――日本号が発した『生娘みたいな夢』という言葉を思い出す。なるほどどうして、今の私は生娘のような反応だ。
たかがキスのひとつやふたつ、酔った勢いでされようと適当にいなしていたし、相手によっては普通に軽く受け入れてやりもしたのに。恋愛経験もそれなりにあるから、初めてでもあるまいに。
なのに、相手が長曽祢さんってだけで、何で、どうしてこうも恥ずかしいのか。たかが夢なんだから、儲けものと思って受け入れればいいのに。

でも、だって、どうしようもなく恥ずかしい。
心臓が今にも破れそうだ。脳は頭蓋骨で守られているからいいかもしれないけど、心臓はだめだ。皮膚なんて容易く突き破りそうなくらいに、うるさくて、あつい。

「っご、ごめんなさ……夢だってわかってても、長曽祢さんとキスなんて、恥ずかしくて、本当に、んんんちゅうはしたいんですけど恥ずかしくて無理ですごめんなさい本当無理」

恥ずかしさのあまり語彙を失いながら、首を左右に振る。手の甲に残った唇の感触が、当分忘れられそうにない。朝を迎えた私は死んでしまうかもしれない。

「――じゃあ、抱き締めるのも……無理か?」
「抱っ、あっ、え……ええと」

使い物にならない口を誰かと取り替えっこしたい気持ちになる。
それでもなんとか、本当になんとか色んなものを振り絞って「是非……」とだけ答えることができた。言ってしまってから、是非って何だ……とセルフツッコミもしたが、包み込むように長曽祢さんに抱き締められてしまえば、もう何も考えられなくなった。

後頭部と脇腹に添えられた手。私の頬に触れる肩。胸元に感じる、長曽祢さんの体温。
はっきりと聞こえる鼓動は、私のものなんだろう。うるさくてたまらないそれが、彼にまで聞こえてないといいのだけど。

……ああ、でも、どうしよう。こんなにあったかくて、幸せで、恥ずかしいのに嬉しくてたまらない夢。起きたくない。ずっとこのままでいたい。
あの長曽祢さんが私を抱き締めてくれている。潰してしまわないようにそうっと。時折落ち着かせるように背を撫でながら。温かな体温を伝えてくれている。きっと、共有している。
おずおずと彼の背に手を回せば、一瞬だけ跳ねるように反応し、すぐに耳元で小さな息を吐く音が聞こえた。

「温かい、な」
「……はい。とっても温かくて、幸せな夢です」

これは夢だ、夢なんだ、と言い聞かせていなければ、現実だと勘違いしてしまいそうなくらい、温かかった。
夢なら覚めないでほしい。これが現実ならば、私は今すぐにでも審神者を辞めなければいけない。もしくは、長曽祢さんを刀解しなければならない。だからこれは、夢のままでいい。夢のままがいい。

夢の中なら、どれだけ触れ合っても、誰も文句は言わないのだから。

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