機微に触れる 



帝光中学校の図書室は広い。
その図書室の奥、古い本や世界地図、帝光中の歴史といったような本ばかりが並ぶスペースが、あたしのお気に入りだった。

誰もが使うような資料や辞書、流行りの本が置いてあるのは図書室の入り口近く。
真ん中辺りにはいろんなジャンルの文庫本。
そして奥には、めったに誰も使わないような本がしまってある。

つまり、あたしお気に入りのこのスペースには、人気が全くと言っていいほど無かった。


何かを考える時。
落ち込んだ時。
疲れた時。
退屈で仕方ない時。
そういう時にあたしはここに来て、ただただぼうっと過ごす。何をするでもなく、たまに本を読んだり携帯をいじったりしながら。
誰もこないから、考え事をするにはうってつけの場所だった。


あたしとしては本当に遺憾なのだが、今考えているのは黄瀬の事だった。

やっぱり、最近の黄瀬はおかしいと思う。
払拭できない違和感が、脳内を占めて仕方がなかった。

あの、みんなで帰った日。
赤司は校門を出た辺りで手を離したにも関わらず、黄瀬はあたしを家に送り届けるまで一度たりともあたしから手を離さなかった。
まあ普通じゃないかもしれないけど、それはいい。

コンビニで、黄瀬はあたしの手についた赤い痕に気付いたんだ。
気付いた上で、うっとりとしたような目線でそれをなぞりながら、「俺がつけた痕なんスね」とのたまいやがった。いや謝れよ。

…正直、ぞっとした。
普通じゃない。あんなの、いつもの黄瀬じゃない。
いつもの黄瀬、というほど、あたしはあの人を知らないけど。
それでもあたしが知っている黄瀬は、もし誰かにあんな痣のようなものをつけてしまったら、ひどく慌てた様子で涙目になりながら謝ってくるような子なはずなんだ。
なのに、あんな、顔。

ぶるりと体が震える。
手首の痕は消えかかってはいるものの、ぼんやりと薄紫色になって残っていた。
ちょっとしたホラーだ。腕に手形なんて。

本当に、何で黄瀬があんな状態になってしまったのか、見当もつかない。
あたしはそこまでの事を黄瀬にしてしまったのだろうか。やっぱり謝るべきか。いやでも何をしたのかはわからないのだし。

はあ、と深い溜息を吐いたところで、かたりと近くの本棚が揺れた。

「…黒子くん」
「、かえでさん…どうしたんですか?こんなところで」
「ちょっと、考え事」

そういえば黒子は図書委員だったっけか。だからこんな誰も来ないような場所にも、なにかの用事で来たんだろう。
人が来てしまえば考え事を続行するわけにもいかず、とりあえず黄瀬の事は頭の隅に追いやって黒子の存在に意識を向けた。

「…黄瀬君、のことですか」

目を丸くする。意識せず、よくわかったね、と口が勝手に動いていた。それだけ、びっくりしたってことだろう。

黒子はぼんやりしているように見えて、誰よりも聡い。
人の精神の機微に敏感な子だ。些細なことでも気にかけてくれるし、心配もする。優しい、…優しすぎる子だって、思う。
他人を心配すればするほど、自分自身も傷付くことだってあるのに。

「最近の黄瀬君は何か…おかしいです。それに、かえでさんも」
「あたし、も?」
「はい。前と比べると、最近のかえでさんはいつも顰めっ面ですよ。…なにか悩みごとがあるなら、話して欲しいです」

無理にとは言いませんが、と眉尻を下げて黒子は微笑む。

そう言う黒子にだって悩みがあるんだろうに、それでもあたしの事を気にかけてくれるのが純粋に嬉しかった。
あれだけ重かった胸の内がすっと軽くなるのを感じる。

あたしには黒子と同じ事は出来ないななんて申し訳なく思いながら、隣に座るよう手で促した。
ぽすん、と綺麗な三角座りで黒子はあたしの隣に落ち着く。足を投げ出してる自分がどうにも恥ずかしく思えたけれど、それが今は一番楽な姿勢だったから、結局変えはしなかった。
元より女の子らしい座り方なんて出来ないのだし。

「あたしはみんなより黄瀬くんと一緒にいた時間が短いから、何が黄瀬くんにとって良いか悪いかとか、わからないんだよね」
「…はい」
「だから、最近の黄瀬くんが変なのは、あたしがあの子を無意識に傷付けたりしたせいなのかな、とか思ったりして。でも身に覚え無いし、そんな状態で謝るのも変な話だし。かと言ってこのまま黄瀬くんをほっとくのもなんか、やだなあ…って」

どうしたもんかね。
自分の言ってることがなんだか馬鹿馬鹿しく思えて苦笑する。黄瀬がおかしいのは自分のせいなんじゃないかって言うのも、大概自意識過剰だ。

でも黒子は、あたしの言葉を肯定した。

「僕も、黄瀬くんがおかしいのは、かえでさんが原因だと思います」

悲しそうに、切なそうに、遣る瀬無さそうに、でもただ淡々と事実だけを述べるように告げた黒子の言葉。
ああやっぱり、あたしのせいなのかと。
笑おうとしたのに、何故か笑えなかった。



 (ごめんなさいを、言うべきですか)


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