あたしと俺の今5


文机の上に無造作に置かれている紙を手に取り、いち、に、と数えていく。
あたしが千秋ちゃんの身体に入って、もう二週間も経過していた。相変わらず全てが戻る気配はない。

男との関係も変わりなく。
時折姿を見せては喧嘩紛いのことをして、屋敷と千秋ちゃんの身体の身なりを整えて、食事の用意をして、帰っていく。
ああ、あとついでに何冊かの書物を置いていく。


本の虫として暮らすのにももう飽き飽きとしていたあたしに、とびきり楽しい報せを持ってきたのは、もちろんその男だった。


「どしたの佐助ちゃん、ものすっごい渋い顔してますけどー?」
「アンタに佐助ちゃんとか呼ばれたくないんだけど。つーか何で"ちゃん"なんだよ」
「えーかわいいじゃん佐助ちゃん。ていうかアンタすっごい名前だよね。佐って文字が"脇で支え助ける"って意味なのに、さらに助って"主となるものの添えとしてはたらく"って意味でしょ。もう部下として産まれたかのような名前だよねえ」
「だから何」

べっつにぃ、と空笑う。

「ああでも、猿飛の方はそうでもないね。サルは晒す、トビはトブで崩壊している・崩れているを意味するんだっけ?奇岩が露出して脆く崩れ易い地形を表してるんだよね。……ま、アンタらしいっちゃーらしいか」

けらけらと声を漏らすあたしを睨めつけ、男が呟く。
「何でアンタ、そんな俺の名前に詳しいわけ」と。その理由は、答えらんないなあ。

だからあたしはからからと笑って、話をはぐらかした。「で、何でそんな機嫌悪いの?さざれちゃんに話してみなさいよ」と。
男はそれ以上追求することもなく、溜息混じりに理由を話し出した。


「俺が真田忍隊の人間だってことはわかってんでしょ」
「まあ一応」
「……真田の旦那と、大将が、千秋に会いたがってる」

へえともふうんともつかない声で、返事。
心の中では、やったあ外に出られる!と飛び上がりたいような気持ちで喜んでいるのだけど。

男が機嫌を悪くする理由。千秋ちゃんを外に出したくないから、他の男に会わせたくないから。
もう一つ、機嫌云々ではなく頭を悩ませている理由。千秋ちゃんが、千秋ちゃんでなくあたしであるから。

ま、そんなとこだろう。

「真田の旦那ってーと、真田信繁であってるかな」
「本人は幸村で呼ばれ慣れてるけど」
「……へえ」

そういえばそんな名前もあった。

「大将ってのは?」
「武田信玄公」

一瞬沈黙してしまうが、誤魔化す。男に対してさしたる意味を持たない行動ではあったけれど、一連のそれはほぼ無意識だった。仕方ない。


男はあたしなんて居ないものとするように、あーともうーともつかない声をあげて悩んでいる。
「千秋を外には出したくない」「でも旦那と大将の言葉には逆らえない」「まずこいつ千秋じゃねーし!」……こいつとは散々な扱いである。さざれちゃん傷付くう。


「取り敢えず、その二人がアンタの主なんでしょ。なら逆らうのは問題じゃないの」
「そりゃそーだけど、アンタを二人に会わせたって余計ややこしくなるだけじゃん」
「あんまさざれちゃんのこと舐めないで欲しいんだけどぉ」

むすっと膨れっ面をしてみせる。
男は眉を顰めて、言葉の続きを待っていた。

これでもつい数年前までは、それなりにきっつい世界で生きていたわけなんですよ、あたし。
二十年近くの人生をそこで費やしたのだから、それなりの知識や技術は未だにあたしの中に深く根付いている。
日常生活では使いようの無い、無駄な能力たち。


「アンタの主観を外して答えてよ。千秋ちゃんの基本的な性格は?」
「……大人しくて女らしい、でも時々お転婆な子だったよ」
「女らしいってのはお淑やかってこと?それとも色香のある子だったって意味?」
「お淑やかってこと」
「自分の事、アンタ、その旦那と大将の事は何て呼んでた?」
「自分のことはわたし、俺のことは佐助。旦那は幸村様、大将は武田様」

ふむふむ、と頭の中で千秋ちゃんのイメージ像を造っていく。
会ったこともない人間の振りをするのは初めてだけど、まあなんとかなるだろう。

「喜怒哀楽を表情に出す子?」
「そうだね、こっちが見ててつられそうなくらい」
「涙の頻度は?」
「すぐ泣く。嬉しくても哀しくても」
「そういえばこの子の立場って?」
「城仕えの女中として働いてた」
「ふうん。笑顔はこんな感じ?……それともこんな?」

花の咲くような笑み、少し控えめなはにかむような笑みを作ってみせる。
ぎょっとした顔で男は黙り込み、少しの間をあけてから。

「旦那達には前者をもう少し大人しくした感じ。……俺様には、後者を向けてくれてたよ」
「こんな感じ?」
「……うん」

急にテンション下げんなよと思いつつ、まあだいたいのイメージが固まったので少し目を閉じて集中する。

大人しく、お淑やかで、けれど時折お転婆な素を見せてしまう可愛らしい女の子。喜怒哀楽を表現することに何の遠慮もなく、感情を素直に表せる。人を想って涙を流す事のできる、優しい子。花びらをふるわすような柔らかい笑みを浮かべ、愛しい人にははにかむような笑顔を向ける。女中としての努力を怠らず、他人の助力となることを喜びに思う子。
……わたし、佐助、幸村様、武田様。


「――佐助、わたしね、たまには貴方と外を歩いてみたいの」
「……ッ!」

「ふむ。こんなもんでどうよ?」

反応を見る限りは良好と考えていいだろう。

男は見開いてしまった目をすぐに細めて、あたしを妙に悔しそうな視線で睨んだ。
あは、騙されてやーんの。

「幸村様と武田様がわたしに会いたいと言ってくださるのなら、行かなきゃ失礼になる。日取りは決まってるの?佐助。その時は……わたしと、手を繋いでね」
「……、千秋、ちゃん」
「ね、佐助」

はにかむように微笑んで、男の手を取る。
悔しくて悔しくて仕方ないと言った表情なのに、男は今にも泣きそうに声を震わせて、その手をやんわりと握り返した。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -