あたしと俺の今13 男に鼻先をこすりつける猫、猫の頭を疲れたように撫でる男。 そんな光景を眺めながら、呆れ気味な溜息を落とす。 この男にはきっと、狂っている自覚がある。 自覚があるから狂いきれなくて、自覚があるから、引き返せない。 千秋ちゃんを不幸にしてんのは自分で、でも、だけど、千秋ちゃんを失うのがただひたすらに怖くて、彼女が望むだろう幸せを与えることができない。 根拠はないけれど、当たっている自信があった。 その自信は、あたしとアイツが同じだからこそ湧くものなのかもしれない。 「前も言ったけどさ、あたし、アンタのこと割と好きだよ」 びっくりしたようにこっちを振り向いたのは、白い猫だった。ぶんぶんと首を左右に振る様が面白くて、にまにましてしまう。 可愛いなあこの子、と心底から思ってしまうのは何でだろう。 あたしと男が同じなら、惹かれる対象も似通うのか。 「俺様はアンタのこと大嫌いだけど」 「嫌よ嫌よも好きの内、ってね。結局人間って、自分のことは嫌いになれないもんなんだよ、猿飛佐助」 「……?何言って」 「あたしの名前、猿飛佐助なんだよね」 俗称だけど。心の中で付け足しておく。 さすがに男も理解するのに時間がかかったのか、数秒、静止した。 そして漸く絞り出すように告げられた「さざれじゃなかったの」の言葉に苦笑する。まさかこんなとこで初めて名前を呼ばれるとは思わなかった。 自分に自分の名前を呼ばれる、ってのも変な感じだ。常々自分のことをさざれちゃーんなんて呼んではいるけれど。 「あたしは猿飛佐助という名前で生きてきた。殺しもしたし、数え切れないくらいの人を破滅に追い込みもした。全部、金の為だけにね。あたしを導いてくれた二人の名前、言ってなかったよね?……武田信玄、真田幸村、って言うんだよ」 「――……、」 「あたしは四百年先の世のお前なんだよ、佐助」 沈黙が落ちる。猫ですらも、鳴くこともできずその場で固まっていた。 そのまま真顔を貫いていれば、不意に男が吹き出した。 吹き出すほど面白いこと言った覚えはないんだけど、と思いつつその様を眺めておく。げらげらと笑うのは初めてみたが、しかしこいつ、あたしと笑い方そっくりだな。 猫も男が大笑いするのは初めて見たのか、きょとんと男を見上げている。 「っはは、あっは!道理で俺様と同じ気配させてると思った!へえ、先の世ねえ。つーか何で俺様女になってんだよ驚くー!」 「……」 「――とでも言えば満足?」 「嘘か真かの見分けぐらいつくんでしょ」 再び黙り込む。 想像でしかないが、男はあたしの言ったことが真実だと理解しているだろう。認めたくないだけで。 あたしだって出来ることなら認めたくない。前世の自分が女の子軟禁してただなんてさー、認められる奴いるか?それにもっと前の世ではもっとはっちゃけた事しちゃってんですよこいつ。やんなるね。 いっそ戦国の世の猿飛佐助が女として産まれれば良かったのにと思うくらいだ。 「……俺様とアンタが同じだったからって、だから何なの。時代が違えばそれはもう別人だ。俺様とアンタには何の関係も無い」 「関係は無くてもアンタの所為であたしが不利益被る可能性はあるんじゃない。ほら、前世の因果がどうのこうのーって、有り得るじゃーん?」 「だとしても俺様には関係無い。アンタがどうにかすればいいだろ」 「っはー、さざれちゃん怒っちゃいそう」 怒りすぎて、こんなことしちゃいそう。 静かに立ち上がって、男に歩み寄る。静かに、素早く。音も立てずに。 そうして男の懐からクナイを掠め取り、距離を取って己の喉元に突きつけた。 その間、男は身動き一つとれず。 千秋ちゃんの身体にクナイが触れかけた瞬間に、跳ねるようにして立ち上がる。 「動いたら刺す」 「――ッ」 猫が怯えるように鳴いて、あたしと男の中間地点辺りで身を震わせた。にっこりと笑い、その笑みを男へと向ける。 「ねえ佐助、これは、貴方が招いた結末だよ。 わたしは貴方と幸せになりたかった。二人で町や森を歩いたり、買い物に行ったり、笑い合いながらそんな事がしたかった。佐助とわたしとの間に産まれた子を、武田様や幸村様に抱いて欲しかった。 わたしは佐助みたいに武で彼らのお力にはなれないけど、女中として彼らの、佐助の助けとなりたかったの。任務に向かう佐助をいってらっしゃいと見送って、帰ってきた貴方におかえりと言う。そしてお茶でも用意したら、貴方がありがとうって笑ってくれる。そんな生活をしたかった。 わたしには確かに力が無いよ。もし城に敵軍が攻めてきたら、呆気なく捕まっちゃうかもしれない。殺されちゃうかもしれない。 こんなこと考えたくないけど、武田軍が戦に負けたら、わたしは自分がどうなるのか……怖くて仕方ない。 佐助に守ってもらうことしか出来ないわたしが、貴方を縛ってしまうのはもう嫌。わたしがこの世にいることで、佐助が苦しむのを見たくない。 佐助は優しい人だから、わたしの気持ち、わかってくれるよね?」 「……ね、さすけ」 はにかむような、柔らかく、愛しげな笑みを貼り付けた。 ← → 戻 |