あたしと俺の今1


ちっさい頃からあぶなーいお仕事で食い繋いでる人のケツおっかけて生きてきて。
その人が呆気なーく死んじゃったから自分の力で暗ぁい世界で食い繋いで。
そんな生活もさるお方のおかげできっぱりぱったり足を洗ったのだけど、その人は老衰でぽっくり幸せに逝っちゃって。

だからあたしは今のとこ、若いときにたんまり溜め込んだお金で悠々自適な生活を送ってたのだけど。


「あんた、千秋じゃないでしょ。何が狙い?ほんとの千秋をどこにやった」


今日もさざれちゃん頑張ったー!なんてテンションで、まあ実際何も頑張って無いのだけど、もぞもぞ万年床に入り込んで眠りに就いたのが十時間と二十二分前。
寝過ぎたなーなんて目を覚ましてから、そろそろ布団干さないとやばいよなと考えた瞬間、自分を包む布団から爽やかなお日様の香りを感じたのが一時間と四十三分前。
自分のいる部屋が見知らぬ和風建築だと気付き、警戒を増したのが一時間と四十分前。
暫く室内をうろつき、なんとなくの事態を把握しこれからどうするかを考え始めたのが二十分前。

唐突に現れた男が、あたしの首にクナイをつきつけたのが、一分前だ。

(あっちゃ〜、これ絶対やばい奴じゃん。状況的にも、相手的にも)

「やだー何のこと?あたし全然わかんなーい」
「ふざけてんなら殺すよ」
「冗談通じない男ってやんなる」

ちぇ、と舌打ちをひとつ。

現状。あたしは恐らく過去の日本にいる。しかも身体はあたしのモノじゃない、見知らぬ女の姿だ。
筋肉量から考えて、やや貧弱な一般人。特に両腕と両足の筋肉は随分と衰えている。年の頃はあたしより五つ六つ下くらいだろうか。背はあまり高くない、脂肪もあまりない。自覚出来る範囲内になるが、病の類にもかかってはいないだろう。
髪は黒くしなやかで、手入れが行き届いている。アーモンド型のぱっちりとした目、小ぶりだが日本人の割に高い鼻、厚い唇。肌理の細やかな白い肌。鏡で見たわけではないが、触って確認した限りでは相当な美人だろう。爪まで綺麗な形の桜貝色ときた。

この部屋は彼女の自室なのだろう。襖の中にはもう一組の布団が仕舞われ、棚の中には男物の衣服と女物の衣服。夫がいるらしい。

そしてその夫とやらが、恐らく、目前のこの男だろう。明るい茶髪を掻き上げた、色気のあるイケメンだ。
得物がクナイであることと時代から考えて、忍だろうか。発せられる殺気はあたしの中からずるずると懐かしい感覚を引き出してくれる。別にそんなん求めてないんだけど。
この「殺す」としか考えてない目。その奥深くに見える女への執着と、弱さ。
あーあ、こんなん言ってあげたくないけど。

……たまんなく、おいしそう。


「質問に答えろ」
「そー言われてもさー、さざれちゃんも困ってるわけですよ。なに、この…千秋ちゃん?の身体に入ったのだって不可抗力だし。あたし、ただ寝てただけなのにさー」
「そんな言葉、信じると思う?」
「やぁっぱ信じてくんないよねぇ」

やれやれと両腕をあげて肩をすくめる。
男は更に殺気を増して、あたしの首元にクナイの先を埋めた。痛みには慣れているので、血の流れる感覚を得ながら冷たい視線を男に向ける。

「別に殺してもいいけど、この身体が千秋ちゃんのモノなのは事実だよ。アンタ、自分の愛しい女を死なせてもいいの?」
「――っ」

瞬間、男の身体が強張る。おお、弱い弱い。愛らしい坊ちゃんだ。坊ちゃんなんて年じゃないだろうけれど。
くすくすと肩を震わせる様は、確実に悪役だろう。そうは思っていても、男へ向ける笑みを止めることはできない。

だいたいは臭いでわかるっしょ。
暗ぁいとこで生きてる人間。自分や、自分の身の回りを害する存在を殺すためだけに生きている者。邪魔な奴らを殺さなきゃ生きていけない人。
そんな存在が、愛しい者を傍に置いて大切に愛でるだなんて、馬鹿げてると思わない?
見知らぬ誰かの大切なものを壊すのが、そんな奴らのお仕事なのに。


「あたし、アンタの事なんて全然知らないけど、これだけはわかるよ。この子が大切なんだよね?大好きなんだよね?喪いたく、ないんだよねえ?」
「ー……ッ、アンタ、何が望みなの」
「取り敢えずは当座の安全。あとはこの世の情報、衣食住ってとこかな」
「それに、千秋を巻き込む必要はないはずだ」

苦虫を噛み潰したような声。弱虫だけが漏らす音。

本当に、あたしはこんな男のことを、知らない。だけどどうにも似ているように思えてしまって、眉尻が下がった。
こんな男の元にあたしを送りつけるだなんて、あの人はあたしに何をさせたいんだろう。
この男があたしみたいにならないようにでもしてやればいいんだろうか。でも、それは千秋ちゃんとやらがいる時点で問題無いんじゃないか。

男と女が真逆になれば、辿る道も変わるのか。


「アンタさ、もしかしてこの子のこと、軟禁状態にでも置いてんの?」

はたと思いついて問うてみれば、男はやっぱり苦虫を噛み潰したような顔で、「だったら何」と答えた。

……っあは!なんて笑いが漏れる。
この身体が笑うのも珍しいものだったのか、男が僅かに瞠目した。中身が別だとわかっていても、反応してしまうのは惚れた者の性だろうか。

「アンタには関係無いだろ!早く、早く千秋の中から出てけよ!」
「うっわそんな人を悪霊みたいに。さざれちゃん傷付く〜。傷付きすぎて自殺しそう」

男の手からするりとクナイを奪い取って、胸元に宛がう。
男は顔を真っ青にして、あたしの手を弾いた。クナイが部屋の隅へと転がっていく。

おー痛って、と叩かれた手をさすっていれば、終いにゃ男がぐすぐすと嗚咽を漏らし始めた。おいおい大丈夫かにーちゃん、情緒不安定か。

「何なんだよアンタ、せっかく、千秋ちゃんを閉じこめて、俺様だけのモノにして、これでもう千秋ちゃんを傷付ける奴らはいないって、俺だけがずっと守ってやれるんだって思ったのに、何で、」

「……、」


なにこの男、めんど……と思わず目を逸らす。

本当に、あの方は何であたしをこんな目に遭わすのだろう。
あの人が死んでからそれなりに経っているし、この現象があの人の手によるものだなんていう確証はないが。でもあの人ならこんくらい出来そうなんだよなー。

似ていることに関しては頷ける。だけどこれは、あたしとこの男は、まったくの別物だ。

男女の立ち位置が逆転すると、こうもなるのか。
自分が女であったこと、そしてあの人が男であったことに感謝する。……まあまずあの人、結構な年齢だったし。年の頃も影響するのかもしれない。


「こうなんなくてよかった」

別に男を慰める理由も、宥めてやる理由もない。
立てた膝に頬杖をついて小さくぼやけば、男は暗く澱んだ瞳であたしを見つめていた。

おーこわ。あの頃のあたしもこんな目をしてたのかと思うと、あの人の苦労がよくわかるね。


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