あたしと俺の今11


やや慌て気味且つキレ気味の男が帰ってきたのは、日も傾き始めた頃だった。
畳の上に寝転がって、腹の上に乗せた猫を撫でていたあたしを見、安堵とも呆れともつかない溜息を漏らす。

「結界、壊した?」

ほぼ確信の問いだった。わかってんなら訊かなきゃいいのにと思う。

「香炉があるから何かなって思ったら、急に風が吹いて門からこの子が入ってきたんだよ。もうさざれちゃんびっくりしちゃった。何結界なんて貼ってんのさー」
「必要だからだよ。千秋ちゃんを守るために」

腹の上の猫がびくりと震える。宥めるように背中を撫でて、鼻で笑った。

「逃がさないために、の間違いじゃないの?さーすっけちゃん」

返事は、ない。


 *


その日の夜、なんとはなしに訊いてみた。
「千秋ちゃんの事を覚えているか」と。男は何馬鹿なこと言ってんのとでも言いたげな顔で、「当然だろ」と横目であたしを睨んだ。

唐突に語り出す千秋ちゃんとの思い出話を、仕方がないのでじっくり聞いてやる。
あたしの背に隠れている猫が、切なそうに喉を鳴らした。
思い出とは常に美しいばかりのものだ。嫌なことも、思い出という形で昇華ないし消化できれば、それなりに見られるものとなる。
男にとっても、千秋ちゃんにとっても、それは温かく輝かしい思い出なのだろう。

あたしにとってはどうでもいいことこの上ないのだが。
とりあえずは言葉の隅々に滲む雰囲気から、この男が前世の記憶は持ち得ていないことを察する。
ならば、まあ多少は動きやすかろう。
愛しい人を殺した記憶、愛しい人が死んだ記憶ほど、きっと狂いやすい切っ掛けはないだろうから。

うまくいけば、この男はまだやり直せる。


「にゃぁ……」
「んん?どうしたのかにゃー?」
「……つーかさあ、なんなのその猫。千秋の身体にひっかき傷でもつけたらどうするつもり」
「この子はそんなことしないから大丈夫だって。ねー?」
「にゃあう」

頷くように鳴く猫を見る、男の視線。
それはさっきまで訝しげなものだったけれど、次第に柔らかなものとなっていた。微かとはいえ、千秋ちゃんの気配を感じているのかもしれない。

「まあいいけど。じゃあ俺様任務だから、さっさと寝てよ!夜更かしなんかして、千秋ちゃんの肌に悪影響与えたら許さないから!」
「さざれちゃん夜更かしなんてしたことないもーん」

つーかお母さんかアンタは。


闇に溶けるようにして去っていった男を見送り、リラックスモードに入った猫の耳をくすぐる。

「ねえ、千秋ちゃんはアイツに、すっごく愛されてるんだね」

猫は複雑そうな声音で、小さく鳴く。

「……そうだね。千秋ちゃんは、飼い猫じゃあない。あたしや佐助と同じ、人だもんね」


これでいいと妥協するのがどれだけ楽かは知っている。
でも、これじゃいやだと現状を変えようとするのは、その人が生きる意志を持つ人間だからだ。それは我が儘でもなんでもない、確固たる、尊い意志。

「あたしは千秋ちゃんの味方になるよ。四百年先の世で、猿飛佐助として暗い世界を生き抜いてきたあたしがついてんだから、きっと大丈夫だって。このさざれちゃんが何とかしてあげる!」

ぎゅうと猫のほっぺを挟む。猫はよくわかってないような瞳をあたしに向けて、だけどしっかりと頷くように一鳴きした。


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