あたしと俺の今9


どこぞで鳴く鳥の声を聞きながら、そうっと障子を開く。部屋の主は時折歯軋りをしながら寝入っていて、その傍らに片膝をついた。
顔の上に、手をかざす。瞬間、ぱしりとその手を取られた。

「ん、佐助……、か?」

恐らく反射的なものだったんだろう。手を動かしてから目を覚ました男に、宵闇の中、笑みを向ける。
数回目をしばたいた男は、掠れ気味の声で、「なぜ」とだけ呟いた。

「こんばんは、幸村様。夜分遅くに申し訳ありません」
「千秋、殿?何故、此処に、どうやって……」
「少し、幸村様とお話したい事があるのです。佐助に内緒で」

にこりと笑む。千秋ちゃんの笑顔ではない、あたしの笑顔だ。

それだけで察せるのだから、この子は本当に頭が良い。眠気でとろりとしていた瞳に一瞬で力がこもり、警戒心を増しながら、あたしの手を強く握った。
今となっては、あたしの方が、手が砕かれてしまいそうだ。

「お主は、誰だ。千秋殿では無いようだが」
「んー、今は長く説明してる時間無いんだよね。でもこの身体が千秋ちゃんのモノなのは本当だよ。あたしの言葉を信じるか信じないかは、真田の旦那次第だけど」
「……、」

素に戻ってへらへら笑えば、幸村は黙り込んでしまった。
そうして、不意に警戒の色が消える。僅かな驚きで目を丸くするあたしに、幸村はやわく微笑んだ。

それは、上に立つ者の、全てを包容する微笑み。


「お主の名を、聞かせてはもらえぬか」
「……望月さざれ。とある場所では、猿飛佐助って呼ばれてたけどね」

正直、そっちのが呼ばれ慣れてる。そう告げはしたが、この幸村にとっての佐助はあの男ただ一人だろう。
ゆっくりと時間をかけてあたしの言葉を飲み込み、幸村はあたしの名前を呼んだ。「さざれ」と。
妙にくすぐったい気持ちになる。聴き慣れている声で、呼ばれ慣れていない呼び名をされているのだから、仕方ないのかもしれない。

「話とは、一体?」

さっきまで強く握り締めていた手を撫でさすり、幸村はあたしの瞳を覗き込んだ。
この子の、この真剣な瞳がどうにも昔から苦手だ。下手なことは言えないなって気持ちになる。

「佐助と、千秋ちゃんの関係。傍から見てあの二人がどういう雰囲気だったのかを、旦那には訊きたい。それと、どういう流れで千秋ちゃんがあの屋敷に住むようになったのか」
「……解った」

頷き、幸村は語り出す。

それはまるで、絵本の世界のようにかわいらしいお話だった。

傷を負った男を心優しい娘が助けた。しかし自分のあるべき場所へと帰ってしまった男を、娘は涙ながらに見送る。それから数年、互いに想い合い続けた二人は、娘が多くの苦労や努力をし、男の働く城へ奉公に来たことで再会を果たす。
二人はとても仲睦まじく、日々を幸せそうに過ごしていた。周囲も二人のことを祝福し、夫婦になれば良いと勧める。男は勇気を振り絞り、娘へと告白をした。
二人はめでたく夫婦となり、男が用意していた小さな屋敷で幸せに暮らすこととなる。

「しかしその日以来、某たちは千秋殿を見かけることすら無くなった」

お伽噺や絵本のように、現実の世界はめでたしめでたしじゃあ終わらない。

「佐助に訊いても、元気だ、問題ない、またその内とはぐらかされるばかりで、千秋殿が何故町にすら現れぬのかの理由を聞くことは出来なかった。そして佐助が、千秋殿に夫婦になろうと告げた日以来、妙に態とらしい笑みを浮かべるようになった理由も、聞けなかった」
「ま、旦那って色恋沙汰には基本疎いしねえ」
「そっそんなことはござらぬ!」
「どうだか」

へらりと笑ってみせれば、顔を赤くして俯く。ほら、そういうとこ。

まあでも、だいたいの事情はわかった。
千秋ちゃんがあの男のことを、ちゃんと好いていたんだろう事も。二人はきっと、選択肢さえ間違えなければ、幸せになれたんだろうことも。

「ね、旦那。あとひとつ、訊いていい?」
「何だ?」
「お館様の居場所、教えて」

そう告げた途端、わずかに空気がピリッとする。苦笑が滲んだ。

「某はまだ、さざれを完全に信用したわけではござらぬ」
「だろうね。でも、あたしがお館様に手を出すことはないよ」

幸村が怪訝そうに表情を歪めた。可愛らしい顔に吹き出して、鼻先を小突いてやる。
わたわたと慌てふためく様をさんざ笑ってから、呟いた。


「あの人は、あたしの全てだったから」


数時間にも思えるほどの沈黙の後、幸村が立ち上がる。
あたしの手を引いて歩き出す背中を眺めながら、初めて幸村と会った日のことを、ぼんやり思い出した。

「……ありがとう、ゆき」


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