あたしの過去2 「それがし!さなだゆきむらともうす!」 あたしが十七の頃、たかが小娘程度に渡すには莫大すぎる金を積んで依頼を持ってきたのは、その時八歳となったばかりの少年だった。 八歳の割には言葉が進んでいないようにも思えるが、やたら古風な喋りをする子供。 どこからあたしの存在を聞きつけてきたのか、馬鹿みたいにぱんぱんなリュックにややへたれた札束を詰め込んで、あたしの住居のドアを何度も叩いてきた。その時間帯、あたしは眠っていたというのに。 「せめてチャイムを鳴らして欲しかったなー?」 「もうしわけありませぬ!背丈がたらなかったゆえ!」 「ああそう」 ゆったりとしたTシャツにショートパンツという格好で少年を迎えれば、顔を真っ赤にしてあたふたとしていたのが面白かった。 こんな子供が、あたしが貯めるには一年半から二年はかかるだろうという金を持ってきたことにも、興味があった。 「きでんの名は、さるとびさすけどのでおまちがいなかろうか」 「はいはい、お間違えないですよ」 その頃、あたしはそう呼ばれていたし、そう名乗っていた。 猿飛佐助、誰がつけたかは知らない。架空とも実在とも言われる有名な忍の名前だ。他にも名の知られている忍は何人もいるし、霧隠や風魔なんて名前にも心惹かれはしたが。 あたしは猿飛佐助と呼ばれることを気に入っていた。 奇岩の露出する脆く崩れやすい地形を表す「猿飛」、下ないし脇に就き上の者の補いとなることを表す「佐助」。 こんなにも明確にあたしを指している名前は無いと思ったものだ。今のところ、誰の下にも就いちゃあいないが。 「きでんにおたのみしたいことがあるのでござる」 「……うん、まあそれはいいんだけど。なんか貴殿とかって呼ばれるの堅っ苦しいし、佐助でいいよ」 「!ではさすけ、たのみをきいてくれるのだな!」 いきなり敬語まで崩されてやや驚きはしたが、まあ子供の願いなんて大したもんじゃないだろう。 それでこの大金が手に入るのならしめたもんだ。 完全に悪の顔ではあったが、あたしは笑顔で頷いてやった。子供はあたしが出してやったオレンジジュースを両手に、ぴょんこぴょんこと嬉しそうに跳ねる。 埃が舞うからやめてほしい。 「んで、その頼みってのは?」 「お館様のやまいをなおしてほしい!」 「……は?」 おやかたさまのやまいをなおしてほしい。……お館様の病を治して欲しい。 いやいや、坊ちゃんちょっと待ちましょうや。 「そういうのは、病院に行った方が早いんでないの」 「お館様のやまいは、げんだいいりょうとやらではなおせぬものらしい。まだちりょうほうがかくりつしていない、と先生は言っていた」 「だからってあたしに言われても、しがない情報屋なんだよ、あたしは」 「だから!さすけにきけばくすりのこともわかるかもしれぬと、話をきいて……」 次第に子供の声は小さなものへとなっていく。 そうしてぐすぐすと鼻を啜り始められてしまっては、ああごめんごめん!と謝りながら子供の頭を撫でるしかあたしには出来なかった。 ほら、さざれちゃん優しい女の子だから? しかし、病に関する情報なんてのも確かに今まで扱ってはきたが、現代医学で治し得ない病の薬なんてものを用意すんのはほぼ不可能に思える。 ただまあ、医学に関しては日本より遙かに進んでいる国はいくつもある。日本も進んでいる方ではあるけれど、あと数歩足りないってとこか。医学が進んでも制度が追いつかないといった方が正しいかもしれない。 「ねえ坊ちゃん」 「さなだゆきむらにござる!」 「……真田の旦那、今の情報だけじゃあ、さすがのあたしにも何かを用意することは出来ない。少なくともそのお館様とやらのカルテが手に入って、本人の実際の病状を目にしなければ、あたしは何の助けにもなれないんだよ」 それらを見たところで、助けになれる可能性も限りなく低いが。 けれどあたしの言葉を聞いて、子供は潤ませていた涙を散らし、希望に満ちた笑みを作り出す。 その笑顔があまりにも眩しくて、僅かに身が引けた。 こんな、晴れた日に公園でサッカーでもしていた方が似合うだろう子供が、何故こんなところにいるんだろう。どこであたしの話を聞いたのだろう。 そして、このお金はどうしたのだろう。 気になりはする。気になりはするが、依頼人の私生活に踏み込まないのは暗黙のルールだ。 依頼人にしろ標的にしろ、近付きすぎないのが一番だ。やるべきことだけやって、終わればさっさとさようなら。それがいちばん。 「では!今からお館様のいえへと、まいりましょうぞ!」 「……は、家?入院してんじゃないの」 「お館様はびょういんしょくをすかぬゆえ、じたくりょうようをしているのだ」 「あ、そ……」 そんなこんなで、あたしは子供に手を引かれるまま、そのお館様とやらの家へと向かうことになる。 子供の手ってのは、こんなにも柔らかくて、あったかいものなのかと思った。 強く握ればすぐにでも砕くことが出来るだろう。それがわかっているから、あたしはどれくらいの強さでその手を握ればいいのか解らなくて。 ただあたしの手をぎゅうぎゅう握ってくる子供に、為されるがままとなっていた。 ← → 戻 |