次の日には体調も随分と楽になっていた。枕とクッションを重ね、ベッドの宮棚にもたれるように座っていた私に、佐助は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
お粥を作ったり、汗を拭いてくれたり、薄めたスポーツドリンクを飲ませてくれたり。終いには子守歌までやたらイケボで歌われた。そこまでのサービスは求めていない。
もう大丈夫だと何度言っても、もはや介護レベルの看病をやめない佐助は、きっと根っからの世話焼きなんだろう。
ただひたすら心配そうに見つめられてしまえば、私には「ありがとう」「ごめんね」としか言えなかった。


昼を過ぎた頃。
もう立ち上がれるくらいまで回復した私がシャワーを軽く浴びて部屋に戻れば、ほっとした表情の佐助に迎えられた。

「病み上がりなのにシャワー浴びるって聞かないんだから、心配してたんだよ」

私の髪をタオルで拭きながら、佐助はもう一度安堵のため息を吐く。
そこまで心配されるような年でも無いんだけれど、と思いはしたが、黙っておいた。
他人に純粋な心配を向けられるのも久しい。たまには何も考えずに受け取ったって良いだろう。罰が当たるようなことじゃないのだし。

ドライヤーで髪を乾かし終えたとほぼ同時に、私の頭に顎をのせるようにして抱き竦められた。
訝しげに声をあげれば、予想外に静かな声が降ってくる。

「ねえ、訊いてもいい?」
拒絶を恐れる、哀しげな声だった。


「なに」
「春佳ちゃんの背中の火傷、どうしたの?」
「……気付いてたんだ?」

停電の時にね、と返されて納得。もうこの火傷とは随分長い付き合いだし、背中にあるしで、油断していた。あの時は急な停電で混乱もしていたから、尚更。

別に隠すような理由があるわけじゃないけれど、少し言い淀んでしまった。
けど、たまには話してみても良いだろう。自分から言うような事ではないけど、訊かれたのなら。
目を伏せて、言葉を選ぶ。

「小学生くらいの時だったかな、二年か三年か……そんくらい。その頃姉さんは反抗期真っ盛りで、しょっちゅう母さんと喧嘩してた。あの日もやっぱり喧嘩してて、私は、やだなー、こわいなー、って思いながらそれを見てたんですよ」
「何で途中から稲川さんみたいになったの」
「いやふと浮かんだから……」

なんとなく茶化したい気持ちになったのは、思い出して気分の良い思い出じゃあないからだろう。
えへ、と笑ってみせる私を、佐助はさっきよりも強く抱き締めてきた。


――その日の喧嘩は、いつもよりちょっとだけ激しかった。二人は大声で怒鳴り合って、時折ヒステリックに物を投げたりして。
いつもなら姉さんが最終的に自分の部屋に篭もっておしまいなんだけど、何でだろうね。その日はなかなか、姉さんはリビングを出て行かなかった。
ストーブが出てたから、冬だったんだろうな。私はストーブの裏に隠れるようにして、半泣きで二人の声を聞かないように耳を塞いでた。早く父さんが帰ってきてくれたらいいのにって思ってた。

その時、どんって鈍い音がしたの。多分、母さんが反射的に姉さんを押しのけちゃったんだろうね。見てないからわかんないけど。
直後にがしゃんって大きな音がして、次の瞬間には私が大声で泣いてた。
母さんに押された姉さんがストーブにぶつかって、ストーブの上に置いてたやかんのお湯が私の背中にかかったから。……それが、背中の火傷の痕。

母さんは、ストーブに当たって腕を火傷した姉さんを、抱き締めるようにして庇ってた。やかんの中のお湯が少し飛んだのかな、母さんの腕も少し火傷してた。

そのまま母さんと姉さんは呆然としてて、私の泣き声だけが響く部屋に帰ってきた父さんは、多分すっごい驚いたんだろうねえ。
あの人、基本おおらかなんだけど。その時だけは叫ぶみたいに怒って、でも。
最初に心配したのは姉さんだった。母さんが庇ったのも姉さんで、父さんが心配したのも姉さんだった。


「……春佳ちゃん、」
「別に虐待とかそういうのじゃないんだよ。距離を考えれば母さんが私を庇うのは無理だったろうし、父さんの位置からは私の泣き声は聞こえても、ストーブで姿は見えなかった」

でもそんなの、まだ十歳にも満たない子供には、わかんないじゃん?

自嘲気味な私の言葉を受けて、佐助がすすり泣くような声を漏らした。実際に泣いてはいないんだろうけれど、泣き声みたいで少し笑える。
佐助が泣くような話じゃないだろうに。

「大きくなってから思い出してみれば、どっちも仕方のない事だった。でも小さい頃の私には、やっぱり私なんかより姉さんの方が大事なんだ、って。そう思わざるを得ない出来事だったんだよねえ。……そして、幼い頃に受けた印象は、大人になってからでも覆すのは難しい」

元々、私より姉さんの方が出来が良かった。
見た目も赤ちゃんの時から可愛くて、運動も出来て、勉強もそこそこ出来て、友達も多くて。昔っから部屋の隅っこで本を読んでるばかりだった私の取り柄なんて、"手がかからない"くらいだったと思う。

姉妹である以上、比べられるのは仕方のないことだろう。それに関しては今更どうとも思わない。出来の良い姉、そうでもない妹。別の人間なんだから差が生まれるのは仕方ない。
それに加え、反抗期真っ盛りの姉がストレスの捌け口に選んだのは、母もだけれどそれ以上に……私だった。姉という存在にとって、妹という存在ほど便利な絶対的弱者はいないだろう。
お陰で今でも私は、姉さんがちょっとだけ怖い。あの人は、自分に関心が向けられないことを厭うてる。自分より下であるはずの私に、周囲の関心が向くことを許容できない。……恐らく、無意識に。

「上月の家と連絡を取りたがらないのは、……家族が、嫌いだから?」

恐る恐るといった風に言葉を口にした佐助に、からりと笑ってみせた。

「嫌いだったら結婚式なんて行ってないよ。あの人達は私を此処まで育ててくれた家族だもの、嫌いになんてなるはずがない。姉さんと買い物に行ったりすんのも楽しいしね」
「春佳ちゃん、」
「連絡を取りたくないのは――…単に心配かけたくないだけ」


(それが本心じゃないことくらい、訊かなくても理解できた。
確かに春佳ちゃんの言う通り、春佳ちゃんは家族を嫌ってはいないんだろう。だけどキレイな建前だけを並べた言葉には、静かな拒絶が滲んでいた。
それはきっと、春佳ちゃんが自分を守るためだけに下した決断。そうしなきゃ自分を守れなかった子の、弱々しい決意。

春佳ちゃんは、家族に対して失望にも似た思いを抱いていたんだろう。それが長い年月をかけて少しずつ澱んで、濁って、こうなった。
……この子は、きっと――)


「ごめん、話してくれて、ありがとう」

そう告げて、佐助は私の身体を優しく抱き締めた。


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