七月も終わりを迎える頃。久しぶりの四連休となった私は、近所のチェーン店であるカフェでのんびり本を読んでいた。
テーブルには、半分ほど減ったアイスカフェオレと、二口だけ食べたオレンジのミルクレープ。足を組んでソファに深くもたれる。なんて優雅な午後だろう。
喫煙席には私の他に、イヤホンをしてノートパソコンに触れている青年しかおらず、とても静かだ。店内に流れる穏やかなクラシックのみが鼓膜をくすぐる。時折、禁煙席から聞こえてくる女子高生達の楽しそうな声も、ちょうど良いBGMだった。

ページをめくる。佳境へと入った物語は残り数十ページで終わりを迎えるだろう。
これを読み終えたらミルクレープを食べて、カフェオレも飲み終えて、買い物をしてから家に帰ろう。確か今日は六時から面白そうな番組があったはずだ。
またページをめくり、空いた手でカフェオレのグラスを持ち上げる。ストローを咥えたところでグラス表面の水分が足の上に落ち、一旦本から目を離した。


何かが、視界の隅で動く。


ペーパーナプキンを手に取りながら、自然と目がそっちに向かっていた。
太ももに落ちた水滴を拭き取り、そうして、私は凍り付く。


「……、」
ぞっとした。

視線は、こっちへと笑顔で手を振る人に固定され、ペーパーナプキンが床へと落ちていく。
トレーを片手に、手を振るのを止めたその人が、笑顔のままでこっちへと歩み寄ってくる。脳内には「何で」の言葉だけが浮かんでは消えていき、その問いに答えてくれるだろう人は、……目の前にしか、いなかった。

「久しぶり、春佳ちゃん」
「……お久しぶり、です」

「座ってもいい?」と、答えを待つこともせず、佐助さんは私の正面にあるソファに腰を下ろす。トレーを少し此方側に引けば、小さな丸テーブルに己のトレーを載せた。
トレーの上にはアイスコーヒーと、抹茶のスコーンが載っている。

「家にいないと思ったら、ここにいたんだ。良かったー偶然ここに来て」

なんともわざとらしい言葉に、ひんやりとした風が背筋を撫でる。さっきまでちょうど良かったはずの空調が、一気に寒すぎるものへと変わったような気すらした。
アイスコーヒーに開封したストローをさして、ブラックのまま飲んでいく佐助さんに、本を閉じて口を開く。

「何で、ここに?」

ごくんと喉を二回動かして、コーヒーを飲み込んだ佐助さんは、ストローを咥えたまま笑みを浮かべた。それを目にし、やっぱり寒気を感じてしまう。

私にとっての佐助は、幸村の側にいる存在だった。何があっても、幸村から離れない存在だった。
思い出されるのは結婚式での、母と武田さんの言葉。
だけどあんなの、ただの…その場の思いつきで、なんの力も持たない口約束のようなもので、だから。

「結婚式の時に美野里さんとお館様が言ってたじゃん、あと真田の旦那も。春佳ちゃんのお世話してあげてって。俺様その為にこの一ヶ月半、あっちで色んな仕事終わらせてきたんだよ」

だから、佐助がそんなものの為に、ここに来るわけが、なくて。

「まあこっちでも出来る真田での仕事はあるから、ずーっと春佳ちゃんの傍にいられるわけじゃないけどさ。これからは俺様が春佳ちゃんと一緒にいるから、何でも頼りにしてね?じゃないと俺様、美野里さんとお館様と旦那に合わせる顔ないし。あ、部屋なら春佳ちゃんの隣を借りたから安心して」

「……、そう、…なんで、すか」
落ち着いた声は、出せそうになかった。

私の返答を受けて、佐助さんはほんの少し眉根を寄せる。
表情をむすっとさせて何を言うのかと思えば、私の口元を指さしてきた。

「今日から俺様の主は春佳ちゃんになるようなもんなんだから、敬語禁止。佐助さんの"さん"もいらない。どうせ春佳ちゃん、佐助さーんだなんて、言い慣れてないでしょ?」
「佐助さんの主は、幸村さんでしょう」
「そうだけど、その旦那に春佳ちゃんの世話をするよう任されたんだから、今の主は春佳ちゃんなの」
「……、」

トンデモ理論を振り翳され、閉口してしまう。

色々と言いたいことはあった。
私が佐助さんを必要としたわけじゃない。急に現れて、これから世話をするなんて言われても困る。それに、他に、もっと。言い出したらキリがない、どうしようもない文句。

だけど佐助さんは、仕事を片付けて、部屋を借りてまで、此処に来たんだ。その状態で帰れとは言えない。
もし、本当に佐助を帰してしまえば、彼の言う通り佐助は武田さん達に合わす顔がないだろう。私も武田真田両家の好意を無碍にしてしまったことになる。それは、真田家と上月家の繋がりを考えれば……あまり良くない出来事のように、思えた。

外堀から埋められている気分だ。書店のカバーが巻かれた文庫本を見下げ、鼻から溜息のようなものを漏らす。

「わかった。佐助って呼ぶし、敬語も止める。慣れてないのは事実だし。……今日から色々お世話になります」
「うん!改めてよろしくね、春佳ちゃん」
「こっちこそ、……よろしく」

私は、今目の前にいる佐助の存在を、受け入れるしかなかった。
脳裏に浮かぶ伊達さんの言葉には……、目を伏せるしかない。


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