佐助に半ば引き摺られるようにして、どうやら大方の挨拶は終えたらしい姉さんと幸村さんの元に辿り着く。
そうしてまずは姉さんと、次に幸村さんと目を合わせれば、なんとも受け取りづらい笑顔を幸村さんに向けられた。釣られるように私も笑みを返す。

「改めて、結婚おめでとう。姉さん、……幸義兄さん」

それは、あらかじめ考えていた私の予防線――もしくは諂い――だった。
案の定とでも言えばいいのか。幸村さんは感極まったように口を大きく開き、引き結び、涙の浮かんだ瞳を私に向けて、両の手を温めるように握りしめてくれる。僅か、骨の軋む音がした。

「春佳殿……否、春佳。感謝致しまする!!」
「義理とは言え妹に敬語は、可笑しいと思いますよ」
「……そうだな。絢佳、某は嫁だけでなく、妹にも恵まれたようだ」
「あたしと一緒で、春佳も猫被ってるだけだけどね」
「ちょ、姉さん」

その場の四人が、朗らかに笑う。笑っている。それを私は喜ばしく思わなくてはいけない。
食道か、気道か、そのどちらか……またはどちらもが、ひんやりとしている感覚にも笑みが漏れた。

「春佳、これより某はそなたの兄となる。迷惑をかけることも、頼ることもあるかもしれぬが、どうか某と絢佳の助けとなってくれ。無論、春佳が困った時には、この真田幸村、是が非でも助けになりましょうぞ!」
「……、」

息が詰まって、一瞬言葉が出なかった。……これは悪い意味で、だ。

「ありがとう、幸義兄さん」

大きな声で笑いだしたくなるような吐き気を飲み込み、微笑む。
その言葉が嬉しいのは事実で、本音だ。でもそれは私の狭くて夢見がちな心では、許容でき得るモノではなかった。

「春佳ちゃん、大丈夫?なんか気分悪そうだけど」
「どうせ春佳の事だから眠いんじゃない?ちょっと外の空気でも吸ってきたら?」

佐助さんが私の顔を覗き込み、姉さんが今の私にとってはこれ以上なく便利な助け船を出してくれる。心配そうな表情となった幸村さんに苦笑のようなものを浮かべて、小さく頷いた。
「そうしようかな。じゃあ姉さん、義兄さん、またあとで」そう呟いて、付き添ってくれる佐助と共に会場を後にする。
佐助は真田の人間の中でもそれなりに上の方だろうに、残っていなくてもいいんだろうか。そう思いはしたけれど、特に何かを言うつもりも無かった。


 *


「大丈夫、人に酔っただけ」

一階に設置されていた自動販売機で買ったお茶を差し出してくれる佐助さんに、ほとんど言い訳みたいに伝える。
曖昧な笑みだけを返されて、あんまり悟られたくはないんだけどな、と肩をすくめた。仮に悟っていたとしても、佐助さんがわざわざそれを口にし、あまつさえ土足で心内に踏み込んでくる事などはありもしないだろうが。
自分ですらどう分別すればいいのかわかっていない感情を、勝手に悟られて、勝手に分別されてはたまったものじゃない。
嫉妬か、羨望か、諦念か、嫌悪か、はたまた今の私には考えられない他の何かか。別にそんなの、分かったところで意味なんて無い。それなら、知らないままでいい。

煮え切らない澱んだ"なにか"を飲み下すことには、慣れている。
それを、見て見ぬふりすることにも。

「式もどうせあと数分で終わるし、先に絢佳ちゃんの控え室に戻ってようか」
「ううん、大丈夫。幸村さんが心配するだろうし、早く戻りましょう」
「……幸義兄さん、って呼ぶんじゃなかったの?」

分かり切っていることをわざわざ尋ねるかのような言い方に、敢えて打算的な笑みを返してみせた。佐助さんは、わざとらしく肩をすくめる。
呆れているみたいだった。

「本人がいないとこで呼んだって、何の意味も持たないじゃないですか」
「俺様が告げ口するかもしれないのにー」
「別にそうなったらそうなったで。私は関係ありませんから」

何でか拗ねた表情で、佐助さんはちぇ、と小さな舌打ちを溢した。


戻った会場内では、母さんと姉さん、幸村さんと武田さんとが楽しそうに話をしていた。
父の存在を探せば、会場の隅の椅子に疲れた様子で座っている。新婦の父親がそんな状態でどうすんだとも思ったが、母さんにおいでおいでと手招かれてしまったので気にすることをやめた。
喉元が冷えているのに、熱を持っているような感覚。霜焼けになったみたいだ。ほぼ無意識に喉元を撫でれば、佐助さんが私を横目に見てくるのが視界の隅に映った。

「今ちょうど、春佳の話をしてたのよ」
「……私の?」

柔らかく微笑む母に、怪訝な顔を向けてみせる。他三人が別段悪い顔をしていないとこから考えると、私にとって不愉快な話ではないのだろう。
私の疑問符に、母は困っているというか呆れているというかな風で表情を作る。

「もう二十三歳なのに、春佳は彼氏が出来たとも言わないし。まあそれは別にいいんだけど、大学生の時から家事についても微妙なとこでしょ?連絡なんてひとつもしてこないし、送っても返ってくるのは稀だし。この前こっちに帰ってきたのなんて二年ぶりだったじゃん。もう春佳がちゃんと生きてるのか不安で」
「春佳、大学出てから痩せたよね。今何キロ?」
「いや体重は言えないけど……三キロくらい減ったかな」
「どうせまたバイトばっかりして、家のことなんて何もしてないんでしょ!ね、佐助くん」
「ああ、まあ。多少散らかってましたねえ」

不愉快とまではいかない、いかないが。あまり好んでしたい話題ではなかった。
何が楽しくてずぼらであることを幸村さんにバラさなくてはいけないのか。いや、それに関しては幸村さんも『あーわかるわかる〜』みたいな顔をしているので別段そこまで問題があるわけでもないのだが。『家事って出来ないよね〜』みたいな。
これは勝手な想像ないし妄想だけれども、実家を出ていた幸村は佐助と暮らしていたんではなかろうか。となると佐助さんが家事マスターなのも頷ける。

当事者であるはずの私をほっぽいて、五人はそれじゃいけないだのどうにかした方がいいだのと勝手な話し合いを初めてしまっている。
母は「ちゃんと生きているのか不安で」と言ったが、死んでたら今ここにはいないだろう。薄情かもしれないが、便りが無いのは良い便り、くらいに思っていて欲しい。

「ふうむ。ならば佐助、お主が春佳殿についてやれば良いのではないか?」

特大にも程がある爆弾を落としてきたのは、信玄公もとい武田さんであった。思わず口あんぐりとしてしまう私を放置して、母さんと幸村さんがその案に乗る。

「佐助が任されていたのは幸村の世話であろう?しかしそれは幸村の結婚によって絢佳殿の、そして幸村自身の任となった」
「そうだな!佐助が春佳を見守ってくれるとあらば、某も一安心だ」
「ちょ、ちょっとちょっとお館様も旦那も何言ってんの!俺様れっきとした男だよ?そんなのが春佳ちゃんの傍にいちゃあ美野里さんも、」
「佐助くんが春佳の生存報告をしてくれるのなら、私も安心だわ〜」
「「生存報告って」」

私と佐助の声が被る。
事態が思わぬ方向に転がりだしたのは私も不安でいっぱいなのだが、それ以上に黙り込んでしまった姉が恐ろしかった。早く、なるべく早くこの話を終わらせたい。結果がどうであろうと今の私にはどうでもいい、とにかく早く終わらせて、話題の中心に姉を置きたかった。
ちらと佐助さんを見上げる。先の声色に反して、彼は存外機嫌良さそうに口元を緩ませていた。……違和感。

「……ま、考えときます。今はまだ真田での仕事もあるしね」

佐助さんが話題を切り上げてくれたので、まだ何かを言おうとしている母さん、武田さん、幸村さんの言葉を半ば遮るようにし、姉へと話題を移す。
そうしてまた姉さんが口を開き始めたことに胸をなで下ろして、首筋に手を添えた。

冷たい、は無くなっている。ただただ痛かった。


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