夕食を食べ終え、お風呂を借りて、今私はソファーに座り雑誌を読んでいた。……読んでいたといっても、内容はほとんど頭に入ってきていない。

私は、こう言うのもなんだか可笑しい気がするけれど……失恋したんだろう。
恋敵が石田君の言う「前世」の私なのだと思うと、いっそ笑うしかない。それは確かに「みこと」なのかもしれないけれど、決して今此処にいる「私」では無いのだから。
石田君が私に尽くしてくれるのは、私がみことだからだ。彼の神様の生まれ変わりだからだ。
そうじゃなかったら、私がみことなんて名前に産まれていなければ。きっと石田君はクラスのみんなに接するように私にも接していたのだろうし、私は石田君を好きにはならなかっただろう。

「みこと様」、なんて。哀しい呼ばれ方をすることも無かったんだろうけれど。


私の後にお風呂に入っていた石田君が、浴室を出る音が聞こえてくる。
我に返って、私はまた雑誌に目を落とした。別段興味のある内容でも無いのだけど、どこか大きな会社の社長だという豊臣秀吉の名前には意識を持っていかれた。
やや不鮮明な写真に写っているのは、とても大きな人だった。その隣に立つ美人な……男性、が友人らしい竹中半兵衛さんだろうか。

石田君は一目見て私を「みこと様」だとわかったのだから、きっと過去の私も同じ顔をしていたんだと思う。でも私と、この写真の豊臣秀吉さんが、血が繋がっていたのだとは到底思えなかった。
顔かたちも似ていないし、体格なんて月とすっぽんだ。……お父さん似とお母さん似だったんだろうか。

「みこと様、お待たせしてしまい申し訳ありません」
「、おあがり、石田君……っ痛、」

なんとなく見慣れないTシャツ姿の石田君が、タオルを肩にかけて部屋へと戻ってくる。
顔をそちらに向けて返答したと同時に、雑誌で指先を切ってしまった。これ、結構痛いんだよね……と赤い一本線の入った指先に眉尻を下げる。

「っどうされたのですか、みこと様!?」

私の呟きにすぐに反応してくれた石田君が、駆け寄ってきて私の正面に片膝をついた。あまりの速さにびっくりしてしまいつつ、何でもないよ、と手を振る。

「ちょっと指を切っちゃっただけ」
「指、を……」

大した傷じゃないからと傷口を見せてみた瞬間に、石田君の表情が変わった。
全身が強張り、両目を見開く。唇が震えていて、ついさっきまでお風呂上がりだからか血色の良かった肌も、真っ白になっていた。ひゅっと息を呑む音が聞こえて、次いで、「あ、……嗚呼、」と喘ぎにも似た悲痛そうな声が漏れる。

「石、田…くん……?」

今までで一番震えている手で、石田君は私の指先に触れた。滲んだ血液が、石田君の指先につく。あ、と思っている内に石田君は私の血がついた自分の指先を見下げ、……叫んだ。
突然の咆吼にびくりと全身が震える。何を言っているのかよく聞き取れない石田君の叫びからは「こんな事があってはならない」「全て私の責任だ」「私の所為で、みこと様が」「みこと様、みこと様みこと様みこと様」といった言葉がなんとか聞き取れる。

涙を流して、震えながら叫ぶ石田君を、暫く呆然と見つめていた。
「みこと様が、また私の前から消えてしまう」そう言われて、漸く動きだした脳内が現状を理解する。

そういえば、「みこと様」は、石田君の目の前で死んでしまったのだと聞いていた。
それはきっと彼にとって、深い、深い……拭いきれない傷となっているんだろう。だから、こんな、絆創膏でも貼れば済むような傷でも彼は涙を流して心配してくれている。……異常なまでに。
やっぱりそれも私に向けられたものではなかったけど、今は自分のことより、石田君を落ち着かせるべきだと思った。
私の名前を何度も呼んで、だけど何故か触れようとはしない石田君。きっと彼は、石田君は……神様がいないと、生きていけないんだ。

「落ち着いて、三成」
「っ……みこと、様……、」

でもそれは私じゃないから、私はほんのちょっとだけ、神様のふりをした。
そうした方が、そうしなければ、彼は私の言葉に気付きすらしないだろうと思えたから。

視線が合った石田君に、やんわりと笑う。……上手く笑えて、いるだろうか。

「大した傷じゃないよ。こんな傷で、私は石田君の前から消えたりしない。いなくなったりしない。だから、ね?落ち着いて」
「ですが、みこと様、血が……」
「水で流して絆創膏を貼ったらすぐに治るよ。大丈夫」

石田君が、揺れる瞳で私を見つめる。もう一度、今度はちゃんと微笑めば、石田君はこくりと頷いた。
そうしてすぐに「申し訳ありません」と頭を下げ、絆創膏をとりに行ってくれる。

お礼を言ってから、その背を視線だけで追う。

石田君は臆病だ。みことという存在を喪いたくないあまりに、みことという存在に見放されたくないばかりに。
でもそれは、私も同じだった。だからどうすればいいのか解らなくて、こんなにも痛くなる。

「いたい、か……」
「ッみこと様、やはり痛みが……!」
「あ、いや違うの。大丈夫だよ」

私は、何処に居たいんだろう。


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