久方ぶりの外だった。
久方ぶりなのに、せっかくの外なのに、天気はあいにくの雨で。どんより曇った空からは大粒の雨があたしの頬をばしばし叩いてくる。
痛いなあ、なんて考えながら、あたしは森の中のぽっかりと空いた場所で膝を抱えていた。


半兵衛様たちがあたしを迎えに来てくれた日のことは、記憶に新しい。結局あたしは差し伸べられた半兵衛様の手を取らず、黒田軍に残った。今でもそれは自分の本心からの行動だったと思っている。……信じている。
だけどやっぱり、最後に半兵衛様が残した「そうか」の一言はあたしの耳にこびり付いていて、なかなか離れそうになくて。
官兵衛さんは変なとこで頭が良いから、きっと、あたしのそんな状態に気が付いてた。

だからきっと、あんなことを言ってくれた。

「……官兵衛さんのばか」

頭とお腹の中がぐるぐるして、漏れ出た声はものすごく拗ねていた。
わかってる、悪いのはあたしだ。

後悔してない、間違ってないって言い訳して、本当のあたしはきっとずっと、あそこに居たかった。豊臣の後継になりたいだなんて事は考えて無かったけど、三成さんが秀吉様や半兵衛様に重用される度に、嫉妬してた。
あたしが男だったのなら、って。何度も考えてた。わかってる。わかってる。

半兵衛様のお役に立ちたい。三成さんより強くなりたい。あそこに居たい。戻りたい。
だけど、官兵衛さんのことが好き。あの時はその場の勢いだったけれど、短くはない時間を二人で過ごして、官兵衛さんのことをちゃんと識って、本当に好きだと思った。あの人の傍にずっと居たいって思った。戻りたくない、帰りたくない、此処に居たい。

今のあたしは、最高に矛盾している。
だから官兵衛さんはあんなことを言った。あたしの為を想って、きっと。あの人は優しいから。


それを聴いて、反射的に逃げ出して、迎えに来てくれないかななんて考えながらこんなとこで踞ってるあたしは、本当に子供だ。


「やんなる……」

両膝に顔を埋めて、深い溜息。

武器も全部置いてきちゃったし、ここは豊臣の領地でもないし、もし敵兵に見つかったら割と危険だ。早く帰らなきゃって、わかってる。
でも、帰る場所がわからない。あたしは自分が、どこに帰りたがってるのか、わかってない。多分本当はわかってるんだろうけど。

自分って面倒臭い人間だったんだなあ、そんなことを考える。
雨に打たれていると、思考がどんどん悪い方悪い方へと進んでいく気がした。だけど動く気にもならない。このまま森と一体化できればいいのに。……半兵衛様に聞かれたら一笑に付されそうだ。

「官兵衛さん迎えに来てくんないし、雨痛いし、寒いし、もうやだ。三成さんの煎れたお茶が飲みたい」

泣いてるわけじゃないけどぐずぐず鼻を鳴らしながら、独り言を吐き出していく。

「三成さんのお茶って珍しいんだよね、半兵衛様と一緒じゃなきゃ煎れてくんないし、あたしが頼んだって「何故私が貴様に!」みたいなことしか言わないし。やっぱり三成さんはあたしのこと嫌ってるんだと思う。刑部さんも、会う度にあの珠ぶつけてくるし。無駄に楽しそうだし。女の子いじめて喜ぶって子供か」

ぶつぶつ、ぶつぶつ。豊臣にいた頃の文句って、言い出したらキリがない。
それに左近くんも、秀吉様だって、後藤さんもこわいし、つーかだいたい官兵衛さんも、なんてぶつくさぐちぐち言っていたら、不意に背後の草が揺れた。
次いで人の気配、……殺気を感じて、その場から飛び退く。目を白黒させながら自分が座っていた場所を見れば、見覚えのある武器が突き刺さっていた。

「んな、な……」

あまりにも突然すぎる事態に、うまく言葉が出ない。わなわなと震えるあたしを嘲笑うかのような表情で、木の陰から、後藤さんが姿を現した。

「オレ様が、何ですってぇ?」
「ウワ、ァ〜……お久しぶりです後藤さん、良い天気ですね」
「確かにお前の命日には、うってつけの天気ですよ、ねぇ!」

地面に突き刺さっていた奇刃を引っこ抜き、あたしに向かって投げてくる。うおわっと叫びながらなんとか避けて、なんだか既視感を覚えながらあたしは走り出した。何でこんなとこに後藤さんがいるんだ。

「閻魔帳第四位竹中鈴!お前は両手両足を切り刻んで達磨の刑だァ!」
「順位上がってる!!だるまは嫌ですう!」

あともう竹中じゃありません!って言いたかったけど、襲いくる奇刃に言う間を逃した。今は武器持ってないから弾くことも出来ないし、とにかく走り回るしかない。
ええと、下に降りる穴ってどこだったっけ、確か……あーさっき通り過ぎましたわー。

これはいよいよもってやばいかもしれない。自分の中でちゃんとした答えも出さずに、官兵衛さんに謝ることも出来ずに死にかねない。それは嫌だ。だるまも本当に嫌だ。えぐい。
だるまになった状態で後藤さんに蹴鞠のように遊ばれる図が脳裏にふっと浮かんで、ちょっぴり泣きそうになった。後藤さんの残虐趣味は理解できない。

「うわあん官兵衛さん官兵衛さあん!このままだと可愛いお嫁さんがあの世に旅立っちゃいますよお!!」
「およっ……!?どういうことですかぁ!」
「何でそこに反応するんですかあ!」

官兵衛さああん!と絶叫する。このままだとまじで死ぬ。嫌だ。なんにもわかってないまま死ぬのは嫌だ。

その時には半兵衛様のことも、豊臣のこともすっぽり頭から抜け落ちてて、あたしはただひたすらに官兵衛さんの名前を呼んだ。その度に後藤さんの奇刃は勢いを増してあたしを狙ってきてた気がするけど。
と、森が開けた瞬間。

「おうばっ!」
「ッ!?」

木の根っこに引っかかったあたしは派手にすっ転んで、そのままぐるぐるんと何度か回転し……――なにか、柔らかいものの上に着地した。……いや、受け止められた。
……何に……、誰に?

「おおう……痛い……」
「だ、大丈夫か?鈴……」

ハッとして顔を上げる。そこには何故か両腕をあげた官兵衛さんが居て、心底驚いた顔であたしを見下げていた。……手をあげているのは、あたしに枷が当たらないようにしたから、か。
二人して前髪に隠れた目をぱちくりさせながら、「な、何で官兵衛さんがここに」「呼んだのはお前さんだろう」なんて言葉を交わす。いや確かに呼んだけど、でもここ穴から随分離れたとこですよ。
何で、ともう一回問いかけようとしたところで察した。官兵衛さんの身体も砂や葉っぱにまみれていたからだ。

「なぁにオレ様放置してくれちゃってんですかぁ……」
「、又兵衛!」
「うわあそうでした官兵衛さん助けて!後藤さんにだるまにされる!あとさっきはごめんでした!」
「達磨!?そして今それを言うのか!」

頭上の木々を切り落として後藤さんの手元に戻った奇刃が、再びこっちに向かって飛んでくる。あたし以上に戦慣れしている官兵衛さんは、あたしを抱っこした体勢で器用にそれを鉄球で叩き落とし、奇刃と後藤さんとの間に立ちはだかった。
これで後藤さんはもう奇刃を使えない、けど後藤さんの手には鉤爪っぽい武器がまだ残ってる。

なのに、後藤さんは暫くじいっとあたしを睨んで、舌打ちをひとつこぼすと背を向けた。
何かを呟いたようだけど、雨音のせいで聞こえない。

「おい、又兵衛」

あたしを地面におろした官兵衛さんが奇刃を拾い上げ、後藤さんへと投げ渡す。背を向けたままそれを受け取った後藤さんに、官兵衛さんはちょっとだけ寂しそうに声をかけた。

「お前さんも、いつでも帰ってきていいんだぞ」
「……ハァ?帰るわけないじゃないですかぁ、アンタと……」

そいつが居るとこになんて。

さっきの言葉は聞こえなかったのに、一瞬静まった雨音の合間を縫って、その声ははっきりとあたしの耳に届いた。
ちらと横目で後藤さんがあたしを睨む。身に覚えが無いのに、後藤さんの閻魔帳第四位にまでなっちゃったのは、あたしが後藤さんに嫌われてるからなんだろうか。わからない。
何も言えないまま、森の中へと消えていく後藤さんの背中を見送った。あたしには、わからないことばっかりだ。誰も説明なんてしてくれない。

「あー……、鈴」
「うわ、はい」
「うわ、ってお前さんなあ……」

ぺち、と軽く頭を叩かれる。見上げた官兵衛さんは、口をへの字に曲げていた。今までであんまり見たことのない表情だから、その理由を察せない。

「豊臣に帰るにしろ、他の場所に行くにしろ、せめて武器くらいは持って行け。また次に小生が助けに入れるとは限らないんだぞ」

そうしてどこに持ってたのか、あたしの銃と刀を手渡される。いや、押しつけられた。
なんだかそれが「もう帰ってこなくていい、どこにでも行け」と言われているみたいで、哀しくなる。受け取りたくなくて両手を身体の横に垂らしたままにしていれば、半ば無理矢理持たされた。

「…――って、」

冷え切ったあたしの武器を握り締めて、呟く。
顔を俯かせるあたしと、ちゃんと話そうとしてくれたのか。官兵衛さんはしゃがみこんで、あたしの顔を見上げた。泣いてるのは、雨のせいで誤魔化されるだろうか。

「だって、武器持ってったら、かんべえさん、迎えにきてくんないじゃないですか」

涙は雨で誤魔化せても、涙声までは誤魔化せない。ぐすぐす嗚咽を漏らすあたしに、官兵衛さんが溜息をついた。脳裏に半兵衛様のお姿がちらつく。
官兵衛さんにまで見捨てられたら、あたしはどこに行けばいいんだろう。

「鈴、小生がお前さんに「鈴は鈴の好きなところへ帰ればいいんだぞ」って言ったのはな、何も小生のとこから出てけって言ったわけじゃないんだからな」
「……?」
「お前さんが豊臣を恋しがってるのも、小生のとこに居たがってるのも、小生は全部わかってる。その上で、鈴は好きにしていいって意味で言ったんだ。小生だってせっかくできた嫁さんをわざわざ捨てたくは無い」

好きにしていいってのは、どっちでもいいって事じゃないんだろうか。そう考える。
だけど、官兵衛さんの「全部わかってる」って言葉が何度も脳内の中で繰り返されて、妙に力が抜けた。
あたしがわかんないことも、わかってることも、官兵衛さんには全部わかることなのか。

「……あたし、半兵衛様のことが大好きです。だから半兵衛様の、豊臣の力になりたかったし、三成さんにも負けたくなかった」
「ああ」
「でも官兵衛さんのことも大好きです、離れたくない。あたしの帰る場所は、官兵衛さんの傍であってほしいし、官兵衛さんにもあたしのとこに帰ってきてほしい」
「ああ」
「って、言わせるために官兵衛さんがあんなこと言ったんだろうなって、今なんとなく察しました」

むすりと頬を膨らませてみれば、官兵衛さんはしてやったり顔で笑っていた。「さすがは半兵衛の一番弟子、ってとこか」なんて言われても、あんまり嬉しくない。


そのまま二人で穴蔵に戻れば、黒田軍の人たちに心配しただなんだとわんわん泣かれた。離縁の危機かと思っただとか、黒田軍から花が無くなるかと思っただとか、素直に喜ぶにはなんとも言えない言葉ばかりをもらったけれど。
それでも嬉しいのは嬉しかったから、あたしは「ただいま」ってみんなの前で笑って、「ごめんなさい」って頭を下げた。
官兵衛さんはそんなあたしを見てにやにやしてたから、とりあえず軽く小突いておいた。


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