チャンスというのは、意外にも突然に訪れるものだ。
わたしはじゃらじゃらと不快な音を鳴らさない足首を見下げ、そして顔を上げる。

昨日から石田さんは少しふらふらとしていた。恐らくわたしの風邪が移っていたのだろうことは理解できたけれど、それをどうするつもりもなく。律儀というか真面目な性格らしい石田さんは、それでも今朝、しっかり大学へと向かっていった。
トイレに立った後のわたしに、鎖を繋げることを忘れたまま。そしてなんと、部屋の鍵まで閉め忘れて。

「……」

どうするべきか悩みながらも、わたしはとりあえず部屋の扉を開く。
まだ数週間しか経ってないだろうに、もはや住み慣れた家のようにリビングを闊歩し、まるで空き巣のように数少ない棚やクローゼットを漁った。そうしようと思って行動したわけではないが、自然と身体が動いていたのだ。

目的は、この足枷の鍵。
それは存外簡単に見つけることができた。元よりこの部屋には驚くほどに物が少ないのだ。家具も片手で足りるほどしかない。

素材が一緒なのだから、きっとこれは足枷の鍵なんだろう。
試してみて、開けばよし、あかなければまた家捜しを始めればいい。そのはずなのに、わたしは鍵をテーブルの上に置くと、それと睨めっこをしはじめた。足首は未だずしりと重く、そこに枷があることを如実に語ってくる。

石田さんが風邪にふらついているとしても、足枷の鎖と部屋の鍵を閉め忘れたことに気が付けばすぐに帰ってくるだろう。そしてあの人はきっと、その事にすぐに気が付く。
そうしたらわたしに、こんなチャンスは二度と巡ってこない。
今、この部屋を出なければ、わたしは永遠にあの人の人形のままだ。
だけど逃げたとして、わたしは自由になれるのだろうか。あの人の事だ、そうそう簡単に諦めてはくれないだろう。どこまでも、地の果てまでも追い掛けてきて、わたしを殺すか、はたまた再び閉じこめるか。そうしたら今度はきっと、こんな待遇ではいられないだろう。寝転がることも出来ない檻の中かもしれない。

逃げるにしろ、逃げないにしろ、その未来は所詮想像にすぎない。
もしかしたらわたしは石田さんを愛するかもしれないし、石田さんはわたしを追い掛けてはこないかもしれない。わたしに未来がどう転ぶのかなんて、わかるはずもない。


わたしはじっと鍵を見つめ、考える。
きっと時間に余裕は無い。すぐに決めて行動に移さないと、わたしはどちらの未来にも転がれないまま現状を悪化させるだろう。それはわたしの思考回路で考え得る、最悪の未来だ。
逃げることも、逃げようとしたことを隠すことも出来ず、「逃げようとした」事実だけを石田さんに知られる。それだけは避けたかった。彼がどんな怒りを、嘆きを見せるかが容易に想像できるからだ。そしてあの人はその想像を遙かに上回り、わたしを追いつめるだろうと思う。

まるで博打だ、と指先で鍵をいじくる。

逃げた先に自由があるのかもわからない。ここに留まって平和を得られるのかもわからない。わたしには、分からないことばかりだ。
自分の感情も、石田さんの願望も。


「――…、よし」

覚悟を決めて、椅子を後ろに引き立ち上がる。手にはしっかりと、例の鍵を握りしめて。
きっとどこかにわたしの携帯や、誘拐された日に着ていた服なんかもあるんだろう。そう思いはしたが、それを探すような気力までは持ち合わせていなかった。
わたしが立ち上がり歩を進めたことで、白いワンピースの裾がふわりと揺れる。

目の前には扉。掌の中には一本の鍵。


そして、わたしは――


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