突然だが風邪を引いた。
げっほごっほと色気の欠片もない空咳を頻繁に漏らし、ぐわんぐわんと脳内を揺らす頭痛に苛まれ、ついでとばかりに腹も痛い。あとすっごい寒いのに汗がやばい。
昨日晩から微妙に調子は悪かったのだけど、寝てれば治ると思えばこの様だ。わたしを抱き締め眠りについていた石田さんも、わたしの体調の悪化っぷりにさすがに驚いたらしい。今は慌てた様子でわたしを抱き締めている。暑い。

「ともこ、ともこっ、大丈夫か」

返答する元気もないのでとりあえず頷いておく。もちろん大丈夫ではないがこの人に心配されたいわけがない。
しかし頷いたところで見るからに体調が悪そうなのでまったく意味はなかった。石田さんは今にも泣きそうな顔でわたしの頭や背中を撫でさすっている。鳥肌は増すばかりである。
ほっといてくれればいいものを、石田さんはスマホでなんらかの操作をするとそれを放り捨て、わたしの身体を撫でさする仕事にまた戻った。さっきのは多分、大学を休むとかそういう連絡でもしてたんだろう。まさか誰かに買い物を頼んで、この部屋に人をいれるわけにもいかないだろうし。

そういえばわたしの存在が消えたことに関して、誰か心配はしてくれているのだろうか。警察沙汰にでもなっていたとすれば、この人はいつか逮捕されるのか。だといいなあと思う。
結構な日数を共に過ごしているが情が湧くはずもなく、けれど早く解放されたいという気持ちもなぜか湧かず。わたしは自分がどうしたいのかいまいちわかってはいない。
この人に対して嫌悪に似た感情を抱いているのは確かなのだけど、口をききたくないほどのものではない。とりあえずやっぱり鳥肌だけは止まらないので早く離して欲しい。

「ああ、ともこ……ともこ……!私はどうすれば、ともこ、何かして欲しいことはないか。何でも言え、私がすべて叶えてやる」
「……、」

じゃあ今すぐ離してくださいと言いたかったが、熱に浮かされる頭でもそれはタブーだと理解していた。
ので、おかゆかゼリー飲料と、あるのならば頭痛薬をお願いする。石田さんはわたしの願いを耳にすると、わたしの額に口付けてからすぐさま部屋を出て行った。いっそこのまま帰ってこなければいいのにと思いつつ、わたしはベッドに深く沈む。


 *


私が粥と薬、水を手に部屋へと戻ってくると、ともこは寝入ってしまっているようだった。名前を呼び、僅かに肩を揺らしてみても反応はない。
時折つらそうな吐息を漏らす唇へと、自然、目がいく。上気した頬にきつく寄せられた眉根が、どこか情事を思い起こさせて腹の奥が疼いた。

「……ともこ、」

確かめるように、名前を呼ぶ。
反応は無い。


 *


片手の違和感に、はたと意識が戻ってきた。どうやら眠ってしまったらしい。
が、この左手の感触は何だ。ぬるぬるとした熱いなにかを掴んでいる感じ。それをさするわたしの手の上から、多分わたしより大きい掌が押さえられている。
目を閉じたまま思案し、すぐに気が付いた結論におさまったはずの頭痛がぶり返してきた。
やばい、気持ち悪い、あの人今わたしの手ぇ使って自家発電に勤しんでる。だって完全にこの手の中の感触はアレだもの。何かっていうかナニかだもの。しかしこの場合自家発電って言うのだろうか。いやそんなことはどうでもいい。
わたしは今、目を開けるべきなのだろうか。それとも終わるまで閉じたままでいるべきなんだろうか。
左手の平からはリアルにアレの感触が伝わってきて、全身が粟立つ。別に触れたり見たりするのが初めてなわけではないのだけど、自分の与り知らぬところで触らされてるというのがマジで恐怖だった。
久しぶりに全力でこの人の事を気持ち悪いと思った。本当にぶっ飛んでる。

「っ、く……ともこ……っ」

いやあああ喘いでるう……恍惚そうな声出してるう……。
鳥肌が更に酷くなったと同時に、思わず全身がぶるりと震えてしまった。あまりの気持ち悪さに。不自然な力が入ってしまったせいか、石田さんはびくりとアレを震わせて、小さな吐息の後に手にぬるぬるしたあったかいものがかかった。
もうどうにでもなれと思いながら、おそるおそる目を開ける。

「……ーっ!」

近っ!声にならない叫び声をあげ、ついつい身を引いてしまう。石田さんはそんなわたしの反応なんて気にも留めず、わたしの目尻に口付けた。
「目を覚ましたか、」と告げられる声はとてつもなく優しいものであるし表情も柔らかだけれど、下半身丸出しである。残念なイケメンってこういうのの事を言うんだろうかと今更なことを考えた。

「なに……してるんですか」
「すまない、ともこの眠っている姿を見ていたら我慢が出来なかった」

そうしてまたわたしの、今度は鼻先に唇を寄せる。
最近思うのだが、この人はとりあえず謝れば許して貰えると思っていやしないだろうか。謝ればいいんだろ謝れば、みたいな感じではなく、素でそう思っている気がする。謝れば許してもらえるのが当然、的な。タチ悪いにもほどがある。

ねばっこい液体のついた左手をどうしたものか、とりあえず半身を起こしてそれを見下げた。忌々しげな目つきになってしまうのは仕方がないことだと思う。
と、石田さんは何を思ったのか、わたしの手首を掴んできた。掴んでどうするのかと石田さんを窺う。するとあろうことかこの人は、ねばっこい液体の絡むわたしの左手を、わたしの口元へと近付けてきた。
青臭さが鼻をつき、眉が寄る。顔を背けようとすればわたしの頭は石田さんの反対の手によってホールドされてしまった。全身がコールドである。

「、な、何を」
「……舐めろ、ともこ」
「は……、」

舐めろ、ともう一度だけ、とても静かに告げられた。真剣すぎる眼差しが彼の本気度を物語っている。
石田さんから自分の左手、そしてまた石田さんへと目を泳がせる。首を振りたかった、拒否したかった。だけど、わたしの手首を掴む石田さんの力が、それを許さなかった。

「……っ」

これを口にするのは初めてじゃない。石田さんのは初めてだけれど、これがどういう味をしているのかは知っている。もちろん、その味を好んでなんかいるわけがない。苦くて微妙に酸味もあって、臭くてどろっとしてて、こんなの吐き出した相手が好きな人間じゃなきゃ飲めるはずがない。

石田さんはわたしをじっと見つめている。有無を言わせない視線で、ただじっと。
……これだから頭おかしい人間は嫌なんだ。行動が唐突すぎて、自分勝手で、ついていけない。
がんがん揺れ始めた脳内の激痛はもうひどいものになっていて、今にも吐きそうだった。

「……ああ、ともこ……」

弱々しい動作で舐め取ったそれを飲み込んだ瞬間に吐いてみせれば、この人はどんな顔をするのだろう。

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