三成は家康のことを覚えていない、というか、知らないのだろう。
ソファに座る家康を見る視線は怯えを含んだもので、そこにかつては浮かんでいた怒りや憎しみなんてものはまったく見えなかった。
家康もそれに対して、違和感に近いものを覚えているように思える。近いもの、といったのはただの違和感では無いからだ。おそらく、私と同じように。

「三成は、元に戻らない……のか?」
「家康は元の三成に戻って欲しいと思う?」

眠たかったのだろうか、さっきまでぐずぐずと泣いていた三成は、今やすっかり寝入ってしまっている。
涙のにじむ目尻を拭ってやりながら家康に問いかければ、家康はほんの少し怒ったような顔で私を見つめた。大人しく謝罪して、三成の頭を撫でる。

「当然だろう。あの三成が、望んでこんな状況にいるはずがない」

そうだろうと私も思う。
三成は私の理解できる域を超えて秀吉公を崇めていたし、それだけ家康にも怒りを向けていた。そんな三成が、こんなぬるま湯のような状態を是とするはずがない。
それにプライドもそこそこに高かった三成のことだから、私に泣いて縋るだなんてしたいとも思わないだろう。私の手を強く握り、膝の上ですやすやと眠っている現状を、私の知っている三成が知ったらどう思うのか。想像するだけで苦笑が漏れた。

「でも、そうとも言い切れない可能性が、あるんじゃない?」
「……どういうことだ?」
「家康、話したくないのならいいんだけど……関ヶ原の戦いは、どう決着がついたの?」

史実じゃなくて、私達の世界の、関ヶ原は。

家康は言葉を詰まらせ、三成へと視線を向けた。
その瞳に焦燥のようなものが見て取れて、私はそっと目を伏せる。

「……仮定の話だけど。もし三成が、秀吉公も半兵衛殿も喪ってしまった三成が、唯一の友である刑部をも喪ったら?怒りを向ける事で生きる目標としていた、あなたまでも喪ってしまったら?……三成は、生きていけないんじゃない?」

私の言葉に、家康は一瞬開きかけた口を噤んで、先の私のように目を伏せた。
きつく握られる両の手。僅かに震えるそれだけでさっきの質問の答えがわかってしまって、唇を柔く噛んだ。

「佐羽の言った通りだ……。ワシは、三成に負けた。三成に負けたワシの仇をとろうと、忠勝が最後の力を振り絞って槍を投げたんだ。それは三成を庇った刑部を貫いた」
「……、…そう」

その後のことは、家康にもわからないだろう。死んだのだから。

けれど、私の予想が当たってしまった。
三成はきっと、独りを拒んだんだ。あれは独りでは……、誰かに依存しなければ、生きられない人間だったから。
秀吉公を喪っても、ぎりぎりのところでどうにか“石田三成”という人間の形を成していた核も、刑部と家康を喪ったことで、壊れてしまった。壊れた三成を守ろうとして、本能的に精神が退行したんだろう。何も喪っていない、……いや、何も得ていない時の三成まで。

「……佐羽、この事は、他の誰かには話したのか?」
「話せるわけないでしょう?刑部の住んでいる場所は遠いし、秀吉公や半兵衛殿なんて生まれ変わってるのかすらもわからない。長曾我部の事も浮かびはしたけど、今も昔も私と彼の関係は希薄だしね。三成のことで頼れそうなのなんて、家康くらいしかいなかったもの」
「そうか……そうだな」

そうは言ったものの、ただ私は身近な誰かを巻き込みたかっただけだ。
贖罪のために三成を拾ったはいいけれど、こんな大きな問題を一人で抱え込めるはずもなかった。この状態の三成とずっとひっついていて、私が正常でいられる自信も無い。

頼ったのが家康だったのは、家康には悪いけれどちょうど良いと思ったからだ。
現代の私と比較的親しい間柄だし、三成のことも放ってはおけない。三成に対してなんらかの負い目を抱いたまま、この世にいる。フットワークも軽い。
それにこの人は、頼られて断るなんてことが、出来ない。

「三成は元の世界に戻るべきだと思う。ちゃんと、元の三成に戻って。でも、私にはその術がわからないの」
「……ああ」

ごめんね家康、巻き込んで。

私は口を開く。お願い、一緒にその術を探して、と。
そう伝えようとした言葉は、けれど家康の手によって遮られた。

「ワシにも、この三成がどうすれば元に戻るのか、どうすればあの時代に帰るのかはわからない。……三成は決して弱い人間ではない。ただ知らないだけで、本当は誰かに依存なんてしなくても生きていける人間のはずなんだ。三成の周りには、刑部以外にも友がいたはずなんだ。そんな三成が、このままでいることを望むはずがない」
「、家康……」
「佐羽だけに任せるわけにはいかないさ。ワシも、二人の助けになろう」

三成はワシの助けも、望みはしないだろうがな。
そう言って曖昧に微笑んだ家康に、私も笑う。そうね、そうだろう。三成はきっと、私の助けも望んではいない。

だからこれは、私と家康のわがまま。
何年経っても結局、私たちは救われたいと思い続けているんだ。来るはずがなかったチャンスに、つい縋り付いてしまうほどには。


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