自分の部屋に辿り着き、濡らしたタオルで血を拭ってみれば、三成自身の怪我はそう大したものではなかった。
なんだほとんど返り血か、と、切り傷よりも殴打や裂傷の痕が目立つ三成に簡単な処置を施してから、床に寝させておく。
三成についていた血でべっとりと汚れてしまったダウンとジャージを、お湯をはった浴槽に放り投げてから、部屋の暖房にスイッチを入れる。台所とリビング兼寝室を繋ぐ扉の辺りの壁にもたれ、さっき買ったばかりのカフェオレを喉に流し込んだ。

三成は、目を覚まさない。

血塗れの甲冑はどうすべきかと、まるで殺人現場のような風呂場に口を曲げながら考える。日本刀もだ。
この国には銃刀法なんちゃらなどという法律がある。あれを手にしているだけで私はめでたく犯罪者だ。たまったもんじゃない。
とりあえず血は拭い、洗えるものなら洗って、干して、厳重にしまっておくしかないだろう。
この三成が元の時代に帰るのか、……帰ることが出来るのかはまだわからないが、もし帰るとするならその時に必要なはずだ。

「……、う」
「っ、」

小さなうめき声に肩を跳ねさせ、三成に視線を落とす。
眉根を寄せ、苦しそうに顔を歪めた三成が、ゆるりゆるりと瞼を押し上げた。頭上できらめく電光に眩しそうに目を細め、頬を撫でる温風を煩わしそうに避けている。

「三成」
「――…っ!?」

静かに声をかけてみれば、それは面白いくらいの反応を見せて私を見上げた。
けれどすぐに視線が泳ぎ、理解が追いつかないのか周囲を見渡して、また私に視線を戻す。
その瞳に不安と恐怖が浮かんでいて、私は片眉を上げた。

「こ、こは、どこだ。きさまは、……?」

そうしてすぐに、私は片手で頭を抱える。
まさか、まさか。記憶喪失だって言うのか。こんな面倒な事があってたまるかと深い、深い溜息が漏れ出る。びくりと震える気配を三成から感じた。

「……わたし、は」

くしゃりと泣きそうに表情を歪める。これがあの三成だなんて、まったく思えない。
あれはいつもいつも怒ったような顔ばかりをしていて、時折、本当にごく稀に、無って感じの顔しかしなかった。笑った顔も泣いた顔も、私は一度も見たことがない。
こんな弱々しい声を漏らして、泣きそうな顔で怯えている三成なんて、見たためしがない。

一瞬目を閉じ、もう一度だけ深い溜息を吐いて、やや荒々しく冷蔵庫を開けた。
中からペットボトルの緑茶を取り出し、コップに注いで、無言で三成に差し出す。
三成はまたびくりと震えて、コップ、それから私に目を向け、またコップに戻した。怯えている様は小動物のようにも思えるが、見た目がそれなりに成長した男であるために可愛らしさを感じることができない。いっそ恐怖すら覚える。

「飲んで」

ぶっきらぼうにそれだけを伝えれば、恐る恐る、といった風に三成はコップを両手で受け取った。子供か、とツッコミたくなるが黙って見守る。
こくりと喉仏が震え、僅かに顔を顰め、三成は更に二口飲み込んでから緑茶が半分ほど残ったコップを床に置いた。
そして私を見上げる。無言で。

次はどうすればいい?と問いかけられたような気がした。

「……自分の名前。わかる?」
「佐吉」

ワオ、と心の中で呟き、じわじわと感じ始めた頭痛に再び頭を抱えた。

「そう……佐吉、ね。年は?元服はまだでしょ」
「六になる」

数度頷き、頭痛が増した。
私の記憶が正しければ、私が死んだ時点で彼は十八歳前後だったはずだ。それが六歳だとは。この見た目で、己を六歳と自称するか貴様、といった気持ちである。

「……佐吉、よく聞いて」

こてん、と首を傾げられる。
その様に余計頭痛が増して、額に手を当てながら私は膝を折り、三成に視線を合わせた。

「ここはあなたがいた場所とは違う時代なの。あなたを知っている人は誰もいない。あなたの居場所も無い」
「そ、……んな、」
「それにあなたの身体、自分でわかる?六歳の身体じゃないってこと。佐吉はもうとっくの昔に元服して、名を石田三成と改めている。……どうやらあなたは、あなたが一番大切にしている記憶をなくしたみたい」

そこまで告げて、ぎょっとした。
ぽろぽろと、三成が涙を流しているではないか。三成と、透明に澄んだ涙、というのがどうにも私の中で一致しなくて、現状を飲み込むのに時間がかかる。
どうせなら血の涙でも流してくれた方がいっそ理解できるものだ。

私は、わたしは一人、なのか。だれも、わたしを知らない。私は、どうすれば、わたしは。なぜ。
そんな言葉を涙と一緒にぼろぼろ溢しながら、三成はしゃくり上げる。両手で目元をごしごしと擦っている。ああ、もう、そんなにしたら目が腫れる。


どうやら、この三成は記憶を失っているだけでなく、幼児のようなものになっているらしい。
私は秀吉公の元にいた時の三成しか知らないから定かではないが、まさかあの三成がこんなに子供らしいわけもないだろう。想像がつかない。
あれは例え六歳でも、毅然としていそうな男だ。

精神が幼児と大差ない、三成、か。
こんな拾いもの、予想外にもほどがある。私一人で抱え込めるだろうか。


「……佐吉」
「、っひ、う、」

泣き続ける三成の頭を、ゆるく抱える。
乗りかかった船だ。というか、自ら片足突っ込んでしまった泥沼だ。もうこうなったら全身突っ込むしかない。

約束を違え、三成より先に死んでしまったことは、喉につっかえた魚の小骨のように、私の心をずっと蝕んでいた。
だからこれは、勝手な私の贖罪だ。罪を償う機会が来たのだと思えば、そう嫌なことでもない。

「私はあなたのことを知っている。だから、私があなたの居場所になる。ここが佐吉の、今居る世界だよ。それを覚えて」
「ここ、が。……貴様、が?」

記憶をなくしていても他者のことを貴様、なんて呼ぶのか。子供らしくない。

「私は佐羽。そう呼んで。それと私は、あなたのことを佐吉じゃなくて三成と呼びたいのだけど」
「佐羽……佐羽。……三、成」
「そう、私が佐羽。あなたは三成。……三成、それがあなたの、今の名前なの」

わかった?とじっくり事実を飲み込ませるように、問いかける。
私は三成の元服前を知らない。幼名で呼ぶのは、こちらが慣れない。
これから衣食住すべてを提供してやるのだから、それくらいは折れてもらいたかった。

「……わかった。私は三成、きさまが、佐羽」
「そう。良い子だね」

頭を撫でてやれば、嬉しそうに三成は顔を綻ばせた。


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