私と、わたし


蜜奈、と静かな声で名前を呼ばれて、振り向く。そこには見慣れた姿が立っていて、わたしはぽてぽてとゆるい動作で歩み寄った。相手はただ顰めっ面でそれを眺めていて、正面に立ったわたしを見下げる。
こうしてみると、随分と身長差があるなあ。何の用なのかきょとんと見上げるわたしに、相手はひっそりとため息を吐いた。隠したつもりなのかもしれないけれどバレバレである。つられるようにわたしも息を吐きだす。

そこでぱちりと目を覚まして、どんな夢だよとツッコミを入れた。
どうせ夢なら幸村辺りと団子屋に行く夢が良かった、と脳裏で幸村と団子を頬張る想像をする。現実にならないから妄想である。はいこの話終わり。


――…


「蜜奈よ、われは三成の嫁にするのならば、ぬしが適任だと思うのだが」

本日はお日柄も良く。珍しくわたしと大谷さんと三成と左近の四人で朝餉を食べていたら、大谷さんがそんな爆弾発言を落とした。左近が口あんぐりになっている。
ところでこれは本当にどうでもいいんだけど、朝餉って聞くと味噌汁しか浮かばないよね。どうも現実逃避です。

「……何を言っている、刑部」
「同文」

からんからんと箸を落としてしまった三成が、その箸に目もくれず大谷さんに問いかける。まったくもって同意見だ。何を言っているんだ大谷さん。

「いやな、われはこのまま三成が、嫁をとることもなく子も成さず生きていくのはおもし、……哀しいなァと思うたのよ」
「この人今「面白くない」って言おうとしましたよ三成さん」
「言わずともわかる」
「やれ、蜜奈が現れてから三成は舌が回るようになった」

ヒヒヒと笑う大谷さんに小さい溜息をついて、三成は落としてしまった箸を拾い上げる。
そんな三成を横目に眺めながら、もし三成と結婚して、子作りでもする羽目になったら、と想像してみた。……アッだめだなんか頭痛い。わたしの妄想力が仕事放棄してる。

「ていうか無理ですよ大谷さん、どう考えても」
「なぜそう思う?われはぬしと三成、相性が良いと思うがなァ」
「だってちょっと想像してみてくださいよ、」

この場にいる四人の中では周知の事実だが、わたしと三成はそこそこの期間を入れ替わって過ごしていたのだ。しかも中身だけ。
つまり、三成にとってわたしの身体は一時期だけとはいえ自分の身体だったのだし、それはもちろんわたしにも同じ事である。

「そんな身体とヤろうとして、勃つモンも勃たないでしょう?」
「蜜奈ちゃん女の子がそんなん言っちゃいけませんよ!」
「それはごめん」

わたしも言ってから「これ朝食時にする話じゃねーな」とは思った。
三成にもおもっくそ頭はたかれたしな。

「まずぬしには勃つべきモノが無かろ」
「刑部!?」
「刑部さん!?」
「ああ、それもそうでした」
「だから蜜奈ちゃん!」

スパァンと二度目、わたしの頭から小気味いい音が鳴る。いや今のはわたしじゃなくて大谷さんが悪いだろ。
むしろ「じゃあ濡れるモンも濡れませんよ、ですね」って言おうとしてすんでのところで止めたわたしを褒めて欲しい。わたしだって好きこのんで痴女ぶりたいわけではない。

「ハアもう蜜奈ちゃん、俺の心臓が持ちませんて……」
「ていうか元々なんの話だったっけ?」
「蜜奈、いらんことを掘り返すな」
「三成と蜜奈がくっつけばわれも安心という話よ」

ああ、うん、掘り返すべきじゃなかった。
だから言ったろこの馬鹿と言わんばかりの三成の視線を受け流し、朝ご飯だったお吸い物を飲み干す。ぱちんと箸をおいて、ごちそうさまですと小さく口にした。

「大体くっつくもなにも、わたし三成の妹って設定じゃないですか。近親婚はだめですよ」
「実際血は繋がっておらぬのだから問題なかろ」
「大谷さんって意外と適当に生きてますよね」

さてなァと大谷さんは空笑う。
わたしと大谷さんの会話を聞いていた三成が眉間の辺りをおさえ、ゆるく首を左右に振った。頭痛が痛そうですね。

「……私は妻を娶るつもりは毛頭無い。石田の血ならば私がおらずとも続いている」
「ふうむ……さようか。では、蜜奈の血ならばどうだ?」
「うん?」

その瞬間に三人の視線がわたしに集まって、一気に居心地が悪くなった。
言われてみればまあ確かに、この世にわたしの血が続くことはないんだろう。いや、まあ元を辿ってみればどこかしらかにわたしの家の血は流れているかもしれないけれど。
というかそもそもわたしはこの世の人間じゃないわけで、子供を成すことが出来るのかどうかは些か疑問に思えた。この世でわたしが子供を産めば、なんか、こう、いろいろアレなんじゃないだろうか。いろいろなことが。うん。
うまく言葉が見つからないけど。

「蜜奈は親兄弟を持っておらぬ。そうよな?」
「まあ、そんなとこです」

元の世界に帰ればいるのだが、それは叶わぬことだろう。
なのでこの場合、大谷さんへの返答はイエスである。

「ならば蜜奈の血は残さねばなるまい。見目も悪くなし、戦も出来、頭を働かすことも出来る。度胸もあるゆえ、蜜奈の子はさぞ優秀に育つであろ」

それが三成との子であれば尚更、と大谷さんは口角を上げた。そういえば頭巾被ってないなこの人と今更ながらに気が付きつつ、わたしは現状の危うさに冷や汗を流す。
最近冷や汗流してばっかじゃないかわたし。
……なぜ危ういかって?三成が「ハッ……!」みたいな顔してるからだよ。大谷さんの口車に乗せられて謎の義務感を抱き始めているからだよ。

「別にわたしの血なんてどうでもいいですし、それこそ三成みたいな人の血を残すならわたしよりよっぽど優秀な人なんてごろごろいるでしょう」
「とはいえ、われらは戦に負けた身なのでなァ……そう嫁ぎたがる娘もおるまい」
「あー……」

気の抜けた声が出た。そりゃそうだわ。
ちらと三成を盗み見る。三成はひどく真剣な顔で、じっくりと考え込んでいた。そんな考えることでもないんだけどなあと思うが、この人はくそ真面目な人間なのである。致し方ない。
それをわかっていて大谷さんはぺらぺら喋ってんだから、タチが悪いのだ。わたしが結局のところ、大谷さんにも三成にも逆らわないことを理解している。

「……蜜奈、貴様は私にとっても重要な人間だ。その血が絶えるのを、私は良しとしない」
「喜べばいいのか絶望すればいいのかわからん台詞をどうも」

三成に大事だって言われるのは、そりゃ、まあ、嬉しいさ。三成のことは大好きだし、それは今も昔も変わらない。
だけどそれとこれとは話が別なわけで。
あー続き聞きたくなーい。

「刑部がそう言うのなら、そうするべきなのだろう」

そう告げた三成の顔は、真剣と言えば真剣なのだがどこか顰めっ面で、今朝に見た夢を思い出させた。
なんとも言えず口元をもごもごさせるわたしを、大谷さんと左近までもが食い入るように見つめてんのが、びしびし刺さってくる視線の痛さでわかる。

端的に言えばわたしは兄(という設定の人)にプロポーズされていて、どうやら周囲はわたしの返答を待っているようだった。
しかしわたしは空気を読みたくはなかったので、へらりと笑う。

「わたしと三成って、結構身長差あるよね」
「……?突然何を言っている」
「いや、三成と比べたら、わたしって小さいんだなあと思って」

思い出すのは、わたしの身体に入った三成と出会った日だ。
わたしは自分があんなにも小さくて、軽くて、か弱い存在だとは思ってもみなかった。なんか自分で言うと気持ち悪いな。
パンチの一発にもろくな重みが無いし、抱え上げれば簡単に持ち上がるし。三成がわたしをはっ倒すことなんて造作もないんだろう。そう思うとわたしはこの体格差が、怖くも嬉しくも思える。複雑な気持ちだ。

「私には、貴様が小さくは見えないがな」

そう言った三成が存外優しい顔をしていたので、さっきのプロポーズも多少考えてみるくらいはしてもいいかもな、とぼんやり思う。
ゆるく笑みだけを返せば、三成も少しだけ口角を上げた。


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