鶴も鳴かずば [92/118] ※死亡表現有 朱と紫は、鶴姫と孫市をうまく誘導し、朱と鶴姫、紫と孫市となるよう別れた。 二対二で戦う方が良いかもしれないとは思ったが、二人がゲームをしていた頃からの癖のようなものである。 一対一となった状況は、鶴姫と孫市にとっても少なからず都合が良かった。 ――… 鶴姫は朱と向き合う。互いに今は武器を構えていない。 真っ直ぐすぎる眼差しで鶴姫は朱を見据え、振り絞るような声で訴えた。 「朱さんが言ってくれたんです、何かがおかしいと思ったら、誰かに相談するようにって。だから私、孫市姉さんに相談しました。本当に西軍は、大谷さんの言う通り国を思って戦っている軍なのかって。国や民の為となる戦なんてあるのですかって」 「……うん」 「孫市姉さんは沢山のことを教えてくれました。私にはあんまり、難しいことはわかりませんでしたけど、西軍は、大谷さんは悪い人だって。西軍が勝ったら、きっと不幸になる人がいっぱいいるって。私は、騙されていたんですね」 そうだね、と小さな声で朱は鶴姫の言葉に同意した。 ショックを隠しきれない様子で、鶴姫が唇を噛む。 「っどうしてですか?朱さんは、とっても優しい人です!私があのまま騙されないよう助言をしてくれました!なのに、何で西軍に居続けるんですか!」 西軍は悪い人なんでしょう、なのに、どうして。私、わかりません。 鶴姫の声は次第にか細く、震えていく。 その様子を見て、朱は緩く微笑んだ。 ああ、やっぱりこの子はとっても優しい子なんだと。敵だと理解して尚、あたしの為に涙を浮かべてくれる。 だからこそ、扱いやすい羅針盤。 朱の思い浮かべるシナリオ通りに動いてくれた鶴姫に、朱は心の中でお礼を言って、そして――……。……それを口にすることは無い。 「良いか悪いかで言ったら、確かに西軍は悪い方になるんでしょうね」 「ならっ、どうして!」 「でもそんなの、外野がどうこう言ってるだけじゃないですか。あたしにとっては大谷さんも三成様も、石田軍の兵も、他の西軍に属してくれる軍の人たちも、みんな。あたしの大好きな、大切な人たちなんですよ」 「――だから、西軍を悪く言うことは、許せない」 朱に鋭く睨めつけられ、鶴姫は一瞬身を竦ませる。そして、身を守るように胸元で握り締めた手を、ゆっくりと下ろした。 その手が少しずつ、鶴姫の得物である弓矢へと向かっていく。 「あたしがあの場で鶴姫さんに全てを知らせなかった時点で、あたしも同罪だよ。あたしも君を騙してた。悪いのは西軍だけじゃない、あたしも一緒」 「……そうですね、やっぱり私は騙されていたみたいです」 弓矢を構えた鶴姫の標的は、朱となっている。 朱はさした傘をくるりと回し、柔らかに微笑んだ。 「朱さんは、優しい人だと思ってました!」 「じゃあ次からきっと、鶴姫さんはそう簡単に騙されなくなりますね」 射られた矢から避けるように身を翻し、朱は影へと沈む。鶴姫は息を呑み、どこから朱が現れてもすぐに動けるよう集中を増した。 気配を消した朱が、鶴姫の影から姿を現す。手で鶴姫の足を払い、バランスを崩した背中に肘を埋めた。 鶴姫の口から、苦しさを耐えるような声が漏れる。朱も僅かに表情を歪めはしたが、すぐに追い打ちをかけるように影から抜け出し、回し蹴りを鶴姫の腹部へ向けた。 「っ!」 「うおわっ!?」 身体をくの字に曲げて衝撃を和らげた鶴姫が、身を翻しながら矢を放つ。 間一髪の所でそれを避け、朱は小さく息を吐き出した。 背中へと向けた攻撃には手応えがあった。事実、鶴姫はややふらつきながらなんとか立っている状態にある。 心が痛まないわけじゃない。しかし、朱はずっと前から決めていたのだ。 ――誰も彼もを救えるほど、自分の掌は大きくない。ならばこの手は、三成をすくうためだけに。 「殺したくない、が罷り通るなら戦なんて起きない。あたしは、三成の生を、勝利を邪魔する可能性があるモノなら、全部殺していく」 それが間違った行動だろうと、自分の存在意義のために。 朱の独白を聞いた鶴姫が、無意識に身を引こうとする。朱の視線に、今までは込められていなかったはずの明確な殺意が見えたからだ。 しかしその身体が動くことは、なかった。 「っ、え、何で」 「……影、踏ーんだ」 その状況に場違いな軽く弾むような声に、鶴姫は全身を震わせる。……震えることすら、出来なかった。唇だけが戦慄き、体中の血液が凍り付くような感覚を抱く。 「あたしは紫ちゃんみたいに毒を扱えないから、眠るように死なせてあげることが出来ないんだよね、鶴ちゃん。せめて苦しまないようにするから」 一歩一歩、静かに近付いてくる朱が、今の鶴姫には恐怖の対象でしか無かった。 あの日、伊予河野の船で自分に笑みを向けてくれた、忠告をしてくれた朱とは、まったくの別人に思える。 やっぱり騙されていたのか、それとも。 鶴姫が、それ以上を考えることは無かった。 朱の仕込み刀が、その命を断ちきったが故に。 「――…、」 たった三文字の、自己満足で、重すぎる言葉を、朱は飲み込んだ。 |