運命的な偶然 [86/118] 紫は気晴らしに、と小田原の城下に買い物をしに来ていた。 小田原での生活は特にこれといった不便もなく、北条の人たちも優しくしてくれる。紫と官兵衛にとってはこれ以上なく心地の良いぬるま湯だった。 もちろん紫は、それが官兵衛の望むものではないと理解している。自分自身ですら、それを心の底からは望んでいない。 しかし、どうしても心の片隅で考えてしまうのだ。 こんな生活がずっと続けばいいのに、と。 それが叶わぬ願いだと知っていながら。 ――… 小田原の城下は結構平和だと思う。こういう街……商店街?みたいなとこになると、どこもこんな感じなんだろうか。 ここが戦国時代だなんて微塵も感じさせない、活気、笑顔。 あちこちの店から漂ってくる、何のかはわかんないけど美味しそうな匂い。色んな人の笑い声。 官兵衛さんと来たかったなあ……でもあの人の鉄球、目立つしなあ……。 そんなことを考えながら、ぼんやり歩く。 でも官兵衛さんと来るよりは、朱ちゃんと来た方がずっと楽しかっただろうな、と思う。きっとそれは思っちゃいけないことなんだろうけど、どうしても考えてしまった。 反物の柄を見て可愛いと言い合ったり、簪を見てどれが似合うかを言い合ったり、少し疲れたら甘味処でお茶をしたり。きっと、とても楽しいだろう。 いつだったか、元の世界で楽しく遊んでいた頃みたいに、話せたら。 ――やめよ、この思考。 あ、あのお饅頭おいしそう。官兵衛さんに買って帰ってあげようかな。それと氏政さんや風魔にも。 はたと立ち止まって、左手にあるお店を眺める。ほくほくとした湯気をあげているお饅頭はとても美味しそうだ。思わず口の中に唾液が溢れてくる。 よし、と決めてお店へと歩を進める。 次の瞬間、どんと誰かにぶつかった。 「うわっ、と、」 たたらを踏む私の手を、ぱしりと誰かが掴む。そのおかげで転けずにすんだけれど、その手の先を見てしまって、私は硬直した。 「Sorry,大丈夫か?」 「……あ、いえ、こちらこそごめんなさい」 驚いたの、バレただろうか。 ぶつかってしまった男は、くすんだ青の着流し姿で私を見ている。目線は、そんなに変わらない。 何でこんなに見つめられてんだろうとほんのり訝しんでいれば、男は私の全身をゆっくり眺めて、不躾な笑いをこぼした。 あ、ちょっとイラッとした。 「Holy moly!アンタ、背が高いんだな」 「貴方が小さいんじゃないですか」 即答。どうせ言われんのはそういう系だろうと思ったからだ。 にしても、こんなとこでこの人に会うとは思わなかった。格好から見て、お忍びだろうか。家康のとこにでも行く途中だったのかな。 私の返答を受けて、男……伊達は、ムッと顔を歪める。先に喧嘩売ってきたのはそっちだろと思う。 私の背が高いのは事実だけど、それをはっきり口にされるとなんかちょっともにょっとする。今まで会った人……三成や金吾さん、官兵衛さんはそんなこと言わなかったけど。 つーかほりもりって何。 「……イイ性格してんな、アンタ」 「それはどうも。ではこれで」 すいすいと伊達を避けて、お饅頭のお店へと向かう。何個買おうかなあと、完全に伊達の存在なんか忘れてたところで、「Wait!」と叫ばれた。 思わず立ち止まり、「何で待たなきゃいけないんですか」とやや睨みをきかす。 振り向いた先の伊達は、目を丸くして私を見つめていた。 「おま、南蛮語がわかるのか!?」 「わかりません」 「でも今解ってたろ!」 「知りません」 これあかんやつや。変に気にされてしまった。 ぴーちくぱーちく話しかけてくる伊達に対して「知りません」「わかりません」「気のせいです」を連呼しつつ、お饅頭を売っているお店のお姉さんに饅頭を五つお願いする。 お金足りるかな、と氏政さんがくれたお小遣いを数えていたら、ばん!と伊達が店先にお金を置いた。 お饅頭を包んでいたお姉さんも、私も、びっくりして固まる。 「俺が払う。だから話、させろ」 「嫌です」 久しぶりにこの発言したな、と思いつつそのお金を手にとって伊達に突き返し、自分の懐からお金を出す。饅頭を渡してくれたお姉さんにお礼を言って、店と伊達に背を向けた。 後ろからうぇいとうぇいと聞こえてくるけど、私ちょっと英語わかんないんで……。 「……っお前、ただの町娘じゃねえだろ!」 追いついてきた伊達に、後ろから手を取られる。しつけえ。 けれど言われたことは気になったので、止まってやった。元々歩幅は大して違わないんだから、逃げたとこで逃げ切れる自信もない。 危なくなったら浮毒で眠らせればいいや、と心の隅で物騒なことを考える。 「何でそう思うんですか?」 「その前に名前、教えろ」 「……貴方が名前を教えてくれるのなら」 そう返せば、伊達はしばらく沈黙する。お忍びで来ている自覚くらいはあるらしい。 これはあくまで想像だけど、どうせ小十郎さんの制止も振り切って来たんじゃなかろうか。ああ小十郎さんの苦労がよくわかる。お疲れ様です、会ったことないけど。 「……藤次郎だ」 「じゃあ私は菫です」 「じゃあ、ってお前……」 本名を名乗られなかったので、自分も適当に作った偽名を告げる。ああでも伊達の仮名って藤次郎なんだっけ?じゃあまああながち嘘でも無いのか。でもまあ仮の呼称であることに変わりはない。 それに、本名を教えるような必要も無いのだし。 「Oh,well……菫、アンタ何者だ?」 「何者だと言われても」 生ものですけど、と答えたい衝動を飲み込んで、さてどうしようかと頭を捻る。 伊達の目からはそれなりに警戒の気配と、好奇心を感じた。どちらかというと好奇心の度合いの方が強い。まったくもって面倒な話だ。 早く官兵衛さんと、このお饅頭食べたいのに。 |