他愛に蒙昧なひと [84/118]


明け方になって、どうやら自分が寝てしまっていたらしい事に気が付いた。
適当に服を着てから部屋を出る。湯浴みは出来ないだろうから死ぬほど寒いだろうけど水浴びをして、その後で大谷さんのとこに行こう。
文句のひとつでも言ってやんなきゃ気が済まない。あんな行動、理由は知らないけど、三成の為になるはずがない。


――…


「予想以上に寒すぎた……」

この時代の衣服を着るのも億劫で、元の世界から持ってきていた長袖Tシャツの上に厚手のパーカーを羽織る。下はジャージの長パンを履く。それに加えストールも肩を覆うようにして巻き付けた。それくらい水浴びは苦行だった。
でも、頭は少しすっきりした。冷静になれた気もする。

タオルを頭にかけたままの格好で大谷さんの部屋を訪ねれば、見慣れないあたしの姿を見て大谷さんは僅かに驚いたようだった。多分、あたしの表情を見て驚いたのもあるんだと思う。
冷静になれたと言っても、それは怒りや憤りが静まっただけのことで。あたしの目はひどく冷め切っていただろう。

「今、大丈夫です?」
「……入りやれ」
「失礼しまーす」

大谷さんの事だから、あたしが何の用で来たのかは解っているはずだ。だからかいつもみたいにお茶と茶菓子が用意されることはなく、大谷さんは座布団の上に胡座をかくあたしをじっと見つめている。
何から問いかけようかを暫し頭の中で整理して、とりあえずはこれだな、とあたしは口を開いた。
自分で思ってた以上に、冷えた声が出た。

「大谷さん、三成様に何を言ったんですか」

やっぱりその話か、といった様子の大谷さんに軽く笑みが漏れる。

「われはただ、紫の残映に悩まされるのであれば、似たものを代わりに据えればよかろと告げたにすぎぬぞ」

その答えは察していたのだけど、だとするとおかしい。
三成は、あたしが紫ちゃんの代わりになんかなるわけがないって言っていた。つまり、大谷さんの言葉にただ従ったわけじゃないってことだ。

「それだけですか?」
「それだけよ」

……じゃあ何で、三成は、あたしを?
そう問いかけたかったけれど、その答えを大谷さんが知っているとは思えなかった。
きっかけは大谷さんの言葉だったかもしれない。けど、あの行動は三成自身が考えた上で起こしたものだってことになる。その理由はきっと、本人にしか知り得ないものだろう。
勿論、それを本人に訊きに行くような勇気は、持ち合わせていない。

「朱」
「はい?」

考え込んでいれば、どことなく不安げな大谷さんの声音に現実へと引き戻される。
いつの間にか下げていた視線を向ければ、あの大谷さんが戸惑っているかのように瞳を揺らしていた。
ふと脳裏を掠めたのは、自分の求めるものが解らなくて、家康へと曖昧な問いを投げかける大谷さんの姿である。

「ぬしは、幸へと至らなんだのか」
「……は?」
「三成に想われる事が、ぬしの幸では無いのか」

……他に、どう表現すればいいのかわからないのだけど、……眼球が落ちそうになった。もしかしたら落ちたんじゃなかろうかとくだらないことを考えてしまうくらいには、そんな気持ちだった。

「われは……ぬしを傷付けたのか、」

何で大谷さんが、そんなに哀しそうな声を出すんだろう。
我が儘になっていいのなら、泣きたいのはあたしの方だ。自分勝手になっていいのなら、喚きたいのはあたしのはずだ。

トリップしました、最愛キャラは友だちに惚れていました、自分は嫌われています、恋愛感情を抱いてない人に薬を使って無理矢理犯されました、友だちとは決別しました、好きな人に愛情以外の気持ちを向けられたまま理由も解らず抱かれました。
こう書き連ねれば、あたしはいくらでも悲劇のヒロインぶることが出来る。特に一番目と三番目。携帯小説さながらのドラマチックぶりだと思う。我ながら笑える。

「……紫が三成の元から去り、暗の元へと行ったのならば、三成の目をぬしに……朱に向けることも出来るやもしれぬと思ったのだ、われは、間違っていたのか」

らしくもなく震えている声に、あたしはもう笑うしかなかった。
声は出なかったから、眉をハの字にして、目を細めて。……浮かんだのは、呆れ笑いだ。

「馬鹿じゃないですか、大谷さん」

全部全部、三成の為だと思ってた。この人はあたしよりも三成を優先させるべき人だから。
でも今回に限って、大谷さんは三成よりもあたしを優先させた。平等な不幸を望んでおきながら、あたしを幸福へと導こうとした。

紫ちゃんがいなくなったからって、そんな単純な計算じゃあるまいに、あたしと三成がくっつくはずもないのに。
パズルのピース同士は、間が抜けたところで、隣り合うことは出来ないのに。

「ばかですよ、大谷さん、ほんとに馬鹿」
「……朱、」
「あたしは、三成様が好きです。嫌われてても好きです。でも、あたしの言葉を聞いて三成様が刀を納めてくれた時、初めてあたしは報われたんだと思いました。あたしは、三成様に好かれたいんじゃなくて、あの人に認めて欲しかっただけなんです。……あたしが、三成の為に生きている事を、信じてもらえれば、それで満足なんです」

もちろん、好いてもらえたら嬉しいと思う。好きだと言って貰えて、触れ合えれば、それはきっととても幸せなことなんだろう。何の許可も必要なく、隣にいられたら。……きっと、あたしはそこから抜け出したくないと願う程に、そのぬるま湯を愛しむと思う。
だけど、そんなたらればは起こり得ない。起こっちゃいけない。

あたしが好きになったのは、想い人がいなくなったからといって、すぐに他の女に鞍替えするような人じゃない。

「大谷さんは、人の心の機微には疎いんすね」

茶化すように告げる。
あたし以上に大谷さんが泣きそうな顔をしていて、これはレアだなあなんてひっそり考えた。それくらいは許されると思う。

でもきっと大谷さんはそんな顔を見られたくはないだろうから、歩み寄って、大谷さんの首に腕を回した。
薬と、微かな香の匂い。大谷さんの後ろ髪に頬を擦り寄せ、目を伏せる。

「大谷さんにこうして触れられて、三成様があたしの生を認めてくれるのなら、それがあたしの幸せです。傷付きました、嘆きました。でもそれは大谷さんの所為じゃない」


「……大谷さん、あたしの為を想ってくれて、ありがとう」


ほんの僅か、肩口が濡れたような気がした。

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