湖上の朧月 [83/118]


「何、考えてん、ですか」

思いの外震えた声が出てしまって、胸の内で失笑する。
頭の中にはあの日の事が浮かんでいて、全身が凍り付くような気持ちだった。

あの時は結局、大丈夫だった。生理がきた時には、誰にも言えないけど、体中から力が抜けるような気持ちになって、少しだけ泣いた。
良かったと思った。安心した。あの日から生理が来るまでの間は、どんなに笑ってても暗闇に足首を掴まれているような心地だったから。もし、できていたら。自分がどうなるのか、どうすればいいのか、何もわからなくて死にそうな、死にたいような思いだったから。

全身が冷え切っていくのを感じて、鳥肌が立つ。きっと顔から血の気も失せているだろう。
吐き気にも似た感覚は眩暈となって、あたしの脳をぐわんと揺らす。
中に出されたからって、できると決まったわけじゃない。わかってる。だけどそれはもう、あたしの中ではトラウマのようなものになっていて、目の前の人が何でそんな事をするのかも理解できなくて、ゆるゆると落としていた視線を上げる。
怪訝そうな目と、あたしの視線が、絡んだ。

「もし、子供ができたら、どうするんですか……」

それは責任をとってくれるのかという意味の問いではなく、自分の行いを彼が理解しているのかどうかの確認だった。
ずるりとナカから抜け出ていくそれと、一緒に流れていった液体が、布団に染みを作る。

「産めばいいだろう」
「は……、」

唇から漏れたのは、声というよりは、音に近いものだった。

至極当然な事のような物言いに、視界が揺れる。

三成が好きなのは紫ちゃんだ。あたしじゃない。
なのにあたしを抱いて、抱きしめて、中出しして、できたら産めばいいと言う。
覗き込むように、三成の瞳の奥を見る。そこに何が映っているわけでもないけど、そうしたらこの人が何を考えているのかが解るんじゃないかと思った。解る、はずがなかった。
三成の瞳に映るのは、泣き笑いのような顔で震えている、あたしだけだ。

なんだかとても、馬鹿馬鹿しいことのように思えてきた。
……三成は器用な人間じゃない。何が嘘で、何が本当かもわからない癖に、嘘だけを嫌って生きている。時には真実を拒んで生きている。
紫ちゃんの代わりにあたしを抱くだなんて発想も、三成には出来ないんだろう。そして、ただの性欲処理にあたしを使うような人でもない。

おおかた、大谷さんが何かを言ったんだろうとは、今更だけれど察しがついた。
その「何か」は知り得ないけれど、それは三成を動かすに足るもので、そして。

あたしを突き落とすには、充分過ぎるものだった。


「……私は、」
「三成様」

強めの口調で遮れば、三成は僅かに口を開いたまま、静止する。
その表情に、驚きが滲んでいた。

「今日は、これで失礼します」

はだけたままの格好で、影の中に身を沈める。目の端に伸ばされた手が見えたけれど、それはきっと気のせいで。
頬を伝う液体が膝の上に落ちる。真暗闇な自分の部屋で、どうしようもない、自分でもわからない気持ちに苛まれて、あたしはただただ宙を眺めていた。


……ねえ、どうしよう、何も視えない。

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