出発前夜 [54/118]


部屋に戻ろうとしていれば、背後から三成に呼び止められた。私が朱ちゃんと軍を引き連れて、雑賀荘へと向かう三日前の事である。
確か明日には三成と刑部の軍は出発するらしいし、お別れでも言いたいのかな。
どうせなら朱ちゃんにも言ってあげればいいのにと思いはしたけれど、それは私がどうこう言うことでもないし、まず朱ちゃん既に刑部のとこ行っちゃってるし、まあいいんだろう。あっちはあっちで楽しくやってんじゃないだろうか。私も三成より刑部がいい。

「三日後、雑賀荘へ行くと聞いた」
「はい」

廊下で立ち話をしつつ、でも思考は目前の三成ではなく、座敷牢の官兵衛さんへと向かう。
雑賀荘に行って、一旦大阪城に帰って、それからすぐに尼子のとこに行く。となると官兵衛さんにはなかなか会えない日が続きそうだ。切ない。
……ていうか官兵衛さん一人ほっぽって私と朱ちゃんと三成と刑部、四人とも大阪城を留守にしていいんだろうか。大阪城奪還戦起こりそう。私あのステージの官兵衛さんはあんまり好きじゃないんだよな〜それでもかわいいけど。官兵衛さんかわいいよ官兵衛さんうふふ。

「……聞いているのか、紫」
「え?ああすみません、聞いてませんでした」
「……」

沈黙。
てへぺろこつーん、と誤魔化してみようかとも思ったけど、三成がそこそこにショックを受けた顔をしていたからやめた。そんなしょんぼりすんなよ、私のせいだけど。

「まあいい。……紫、ひとつだけ言っておく」
「何ですか」

どうせ裏切るなとか嘘をつくなとか、そんなとこだろうと考える。
でもそう言われたとこで「ハア」としか言えない。ごめんやで三成。

「……傷を負うことは、許可しない」

ぽつりと告げられた言葉に対して、「あれ、予想と違ったわ」というのが私の感想だった。

とは言え、そう言った三成の心情を汲まないほど私も非道な人間じゃない。
恋愛的な興味はまったくもってこれっぽっちも無いけれど、それなりの時間を一緒に過ごしてきた相手だから多少の情は湧いている。官兵衛さんか朱ちゃんと天秤に載せれば、一気にすごい音を立てながら官兵衛さんか朱ちゃん側に傾くくらいのものだけれど。霞レベルだけど。

「わかりました。三成さんも、気をつけてください」
「貴様に言われるまでもない……が、感謝する」

うっすらほっぺが赤い三成に苦笑して、じゃあおやすみなさい、と私は背を向けた。


――…


「無茶はするでないぞ」
「大谷さん、それ三回目っす」

大谷さんの部屋でお茶を飲み、おやつの大福に口をつける。
もっちりとした皮とあんこの絶妙なハーモニーにうっとりとしていたら、はらはらと粉が膝の上に落ちた。
そんなあたしに呆れたような表情を向け、大谷さんが懐紙を手渡してくれる。お礼を言って懐紙を受け取り、膝の上にのせた。

「ぬしはわれが目を離せば、すぐに無茶をするゆえなァ」

話を戻した大谷さんに、もごもごと大福を咀嚼しながらそうかなあと考える。
……うん、まあ概ねその通りだった。でもそこまで無茶はしていないつもりなんだけど。あくまであたしが出来る範囲内での、無茶しかしていない。

「まるでどこぞのやや子のようよ。手がかかって仕方のない」
「それ三成様のことです?怒られますよ」
「誰も三成だなどとは言うておらぬ」

ヒヒッ、と大谷さんが笑う。「つまるところ、ぬしは三成をやや子のようだと思うておるのか」との言葉に、ぶっふと咽せた。
気管に入りかけた粒あんにげっほごっほ咳き込んで、じんわり目尻に浮かんだ涙を拭う。

「勘弁してください、嫌だわあんな赤ん坊」

目つき悪いわ前髪面白いわ海老反り眉毛だわ。融通きかないし疑り深い癖に依存心強いし無駄に馬鹿正直だし妙に速いし。あれが赤ん坊だったら思わず放り投げちゃうレベル。
脳裏には三成の顔に赤ん坊の身体をくっつけた謎の生き物が「ばぶー」と鳴いている図が浮かんでいる。まったくもって可愛くないどころかいっそ恐怖心すら芽生えた。あと一ミリくらいの殺意。

目つき悪いわ〜から妙に速いし、までを聞いていた大谷さんがヒヒヒと笑って、ちろりとあたしへ視線を投げる。なんぞや。

「ぬしは三成をよおく見ておる」
「……あんくらいは誰だって思うでしょう」
「そうでもないぞ?」

片眉を上げて怪訝な顔をするあたしに、けれど大谷さんはそれ以上何も言わなかった。
ならば仕方ない、と喉も落ち着いてきたので大福を口に含む。はくりと最後の一口を飲み込んで、指についてしまったあんこや粉を軽く舐め取ってから懐紙の隅で拭いた。
行儀悪いとわかっていても指についたものってつい舐めてしまう。
懐紙を畳んで膝からおろし、喉元に残った大福をお茶で流し込む。
その様をじぃと見つめて、大谷さんがゆっくり口を開いた。

「朱よ」
「なんすか」
「無茶はするでないぞ」
「四回目。大谷さんはあたしの耳にタコでも作りたいんすか」

いい加減聞き飽きましたしわかりましたよ、とぼやくあたしの口端に、大谷さんの指先が触れる。
びっくりしてつい固まれば、その指先にはうっすらと大福の粉がついていた。
ああ、なんだ、拭ってくれただけか。ばくばく五月蠅い心臓と、ひやりとしてしまった背筋になんとも言えない気持ちになりながら、ほっと息をつく。

「……われはぬしが心配でならぬのよ、心配でな」
「それ、は……ありがたいですけど」

からかい気味の声だったのなら笑い飛ばしてやったのだけど、大谷さんの声はとても静かで、言葉に詰まった。
心配して貰えるのは、まあ、そりゃ嬉しい。心配されない程度の強さとか、そういうのがあれば良かったのにとも思うけど。

「朱はわかったわかったと言うばかりで、無茶をせぬと約束はせんなァ」
「あー……わかってました?」
「わからぬはずがなかろ」

ですよねえ、とついつい苦笑。
だけど、出来ないだろうことを約束したくはない。必要があれば無茶をするし、まず大谷さんにとっての無茶とあたしにとっての無茶が、同じ範囲内だとは限らないわけで。
あたしはあたしのやりたいように、出来ることをするしかない。相手が孫市なのだから、無茶も必要かもしれない。

「ぬしは三成よりも手がかかる」

溜息混じりの言葉に、「それ三成がやや子だって認めたようなもんですよ」と返して、お茶をすすった。
苦いなあと思うのは、大福を食べたばかりだからだろうか。

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