泣き虫けむし [45/118]


紫が、「大谷さんのバカァァアアア!!」と絶叫し走っていく朱を見かけたのは、昼も過ぎた頃だった。
城内の庭でぼーっと一人竹刀を振っていた自分に気付くこともなく、紫のすぐ側を走り抜けていった朱を呆然と見送り、近くの部屋からのんびり出てきた吉継に目線を向ける。

「……どうしたんですか」

無自覚に驚いていたのか紫の発音は妙なものだったが、吉継はそれに対し曖昧な、返事ともただの溜息ともとれる吐息を漏らして、頭を抱えた。

「反抗期よ、ハンコウキ」
「は、はあ……」

未だに遠くの方からは「刑部なんか嫌いだアアア!」と絶叫する朱の声が聞こえてくる。
あの朱が吉継のことを敬称も付けず役職名で呼んでいるのだから、その怒りも相当なものなのだろう。
紫はそうあたりをつけて、再び吉継へと視線を戻した。

――何したんだこの人。


――…


ウッウッぐすぐすと泣きながら、木陰から現れたあたしに城門に立っていた門番の兵たちはおっかなびっくり、警戒と心配と疑問が混ざりまくった視線を向けてきた。
ずびずびと鼻を鳴らしながら、「石田軍の者です真田幸村殿に文を届けに参りましたあ」と完全に涙声で伝える。
一人はあたしを監視するため残り、もう一人がそれを伝えに行こうとした瞬間に小さな風が吹いて、気が付いた時には誰かにほおずりをされていた。
誰かなんて見なくてもわかる。こんなことするのはあの人しかいない。

「朱ちゃんじゃーん!数日振りだね。何で泣いてんの?」
「ほっといてください……それより真田幸村殿に文ですよ」
「ふうん?ま、いっか。いいよ、通して」

はっ!と声を揃えて返答する門番に会釈をして城門を通る。
佐助は嬉々とした様子であたしの手を引き、何かいろいろ言ってた気がするけれどあたしには右耳から左耳だった。


そもそも、あたしがこの上田城に来たのは大谷さんが原因である。
佐助にキスされたとわんわん泣いてたあたしを笑いつつ慰めてくれたあの日の大谷さんは完全にトラップだった。騙された。刑部マジ許されない。
月影戦から数日後、佐助が生きていることを知った大谷さんと三成は石田方から真田に同盟を申し込むことを決めた。
実際に同盟を組む際には石田三成、真田幸村の両者が揃ってなんか話したり書類書いたりみたいな事が必要らしいのだけど、それをするにもまず同盟組んでくださいっていう文を相手に届けなければいけない。
大谷さんは、それを、あたしに頼みやがっ……訂正、頼んできた。
あたしが佐助に会いたくないと断固拒否の姿勢をとっているにも関わらず、否応無しに文を押しつけてきた大谷さんをあたしは絶対に許さない。こうなったら今度一週間くらい毛利んとこに家出してやる。


結局は断り切れずに文持って大阪城を飛び出てきたわけなのだが、こうして改めて顔を合わせた佐助は存外普通の態度だった。
パーソナルスペースすごい勢いで侵してくるけど。若干歩きにくいのだけど。これもう佐助に抱えられた方が早いんじゃね?って思うレベル。そんなのは絶対に嫌だが。

「ちょうど良かったねー、さっき溜め込んでた政務終えたとこだから、大将と話す時間あるよ」
「さいですか……」

いい加減涙も枯れてきたので、ぐすぐす鼻を鳴らすのをやめることにする。
さすがに初対面の女がいきなり泣きながら現れたら幸村もびっくりするだろう。それが石田軍からの使者だと知ったら余計に。
無駄な混乱は招かないが吉である。

「俺様の分身が大将にはもう話通してるから、安心してね」
「そりゃどうも、助かります」
「んで、何でわざわざ朱ちゃんが来たの?あんなに俺様に向かって怒ってたのに〜」
「気にすんなください!」

朱ちゃんはおこですよ!と心の中で地団駄を踏む。日本語がだいぶ怪しくなったが気のせいだ。
あたしはさっさとこのお仕事を終わらせて安芸に家出したい。家出の暁には「頭を冷やすため九州の安芸へ上京します」って文を大谷さんに送るんだ。ああでも元ネタ知らないからただの馬鹿だと思われそう。それはつらい。

そうこうしている内に幸村が待っているらしい部屋へと辿り着いて、ほんの少し緊張をしながらごちゃごちゃした思考を全部頭の隅に追いやった。
大谷さんにはまだムカついてるけど、これは石田軍にとってとても大切な仕事だ。しくじるわけにはいかない。
「入るよー?」と言いながら既に障子を開けてしまっている佐助に、こいつまじかの視線を向けつつ、引っ張られるままに幸村の前へと出た。

畳の敷かれた広い部屋の真ん中、上座寄りの場所に悠然とした態度で腰を下ろしている幸村は、凜とした表情であたしへ目を向ける。
うわ、かっこいい。
予想以上にしゃんとしている幸村に少しの驚きと感慨深さを感じながら、とりあえず自己紹介すべきかと口を開こうとした。
開こうとしたんだ、あたしは。

「なっ、は、おなご、は、破廉恥でござるぅぅううあああっ!!」

ズザッッダァン!とものっそい勢いであたしから距離を取るように後退していった幸村に遮られ、あたしはただポカンと間抜け面を晒すだけに終わる。
「じこしょうかいしようとしただけなのに…」と完全にひらがな発音で思わずぼやけば、佐助がくはっと小さく吹き出して、あたしの肩をぽんと叩いた。

「ごめんね、うちの大将、女と見たらすぐああなっちゃうんだ」
「……知っててもなかなかキますね、精神に」

壁にべったりと背中を貼り付けた幸村は「佐助!女子だとは聞いておらぬぞ!某を騙したのか!!」ってわんわん叫んでいる。
凜としてるとか悠然とした態度でとか思っちゃったあたしの感情返せよ。かわいいからいいけど。

「大将、落ち着いて。確かに朱ちゃんは可愛い女の子だけど、ちゃんとした石田軍の人間なんだから。大将がそんなんでどうするの」

あたしから離れていった佐助が、今度はぽんぽんと幸村の背を叩いている。
この居辛い感じ、どうすればいいんだ。ぼーっとそんな二人を眺めていたあたしと、幸村の視線が絡まった。
きゅっと幸村が唇を噛み、何をするかと思えば両手で自分の頬を叩く。ぱしぃんと良い音が室内に反響して、ほんのり、物理的に赤くなった頬で幸村は姿勢を正した。

「某、真田源次郎幸村。今は武田軍にて大将を務めておりまする。使者殿、見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ござらぬ」
「、いえ……」

なんだかんだ、やっぱりしっかりしてんだよなあと思いながら、あたしも幸村からやや距離をおいた正面に姿勢を正して腰を下ろした。
佐助は既に、幸村の斜め後ろに控えるようにして片膝をついている。

「あたしは朱と申します。石田軍でお世話になっている兵士です。此度は我が軍の石田三成、大谷吉継から真田幸村殿へ、同盟に関する文を届けに参りました」

文を畳の上に置き、そっと手で押し幸村へと渡す。これが正しい渡し方なのかどうかは知らない。
幸村はうむと頷きそれを受け取って、文をゆるく、けれど大切そうに握りしめた。

「しかと受け取り申した」

多分、読むのは後にするんだろう。
文を服の中にしまい、幸村はちらりと一瞬佐助を見やる。
そしてすぐにあたしへと視線を戻すと、にこりと人懐こい笑みを浮かべた。

「朱殿、大阪からの長旅で疲れたことだろう。今宵は我が城にてゆるりと休んでいかれよ」
「え、と……」

これってどうすればいいの、と悩みはしたが頼れる相手がいないので、思わず佐助に縋るような目線を送ってしまう。
佐助はちょっとだけ笑って、「従うのが礼儀だよ」と口パクで教えてくれた。サンクス!

「では、御言葉に甘えさせていただきます。感謝いたします、幸村殿」
「うむ!この上田の城には温泉もある故、ゆっくりと休んでくだされ」

温泉だと……!?
思わずガタッと立ち上がりそうになるのを必死に抑え、「では佐助、朱殿を部屋へと案内して差し上げろ」「承知しましたよっと」なんて会話を聞き流した後、佐助に連れられ部屋を出る。
幸村には深く頭を下げてから部屋を後にしたから、多分失礼にはなってないだろう。なってないといい。
それより温泉とかめっちゃ入りたいんですけど!うわあ紫ちゃんも一緒に連れてくれば良かったなあ……。

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