身籠もる聴覚 [39/118]


朱と紫の二人が帰阪したのは、現代での午後七時頃だった。
そのままの足で二人は吉継の元へ向かい、四国攻めが滞りなく終わったことを報告する。
報告を受け、二人に労いの言葉をかけた吉継は手元の既に冷め切ったお茶に口を付け、ゆるく目元だけで笑んだ。

「しかし紫よ、ぬしは大層使える女子であるなァ」
「「……は、」」

突然の猫なで声に、朱と紫はぽかんと間抜け面を晒して、吉継の言葉を脳内で反芻させる。
そんな二人の様子に胸の内で笑いながら、吉継は言葉を続けた。

「すらりとした体躯に、目元も涼やかではあるがぱっちりとしておる。礼儀もなっておる上、戦もこなせるとはな。いやぬしほどの美人であれば、三成や暗が夢中になるのも仕方なかろ」

吉継が何を思っていきなり紫をベタ褒めしだしたのか、朱にはまったく理解が出来なかった。
が、一連の褒め言葉を聞き、複雑な胸中で紫へと視線を向ける。

紫は両耳を両手で押さえ、ぷるぷると震えていた。

「どうした、紫?われの声は聞くに、」

耐えぬか、と続けようとした吉継の嘲りを含んだ声は、唐突に踞った紫の行動に遮られた。
あーあと笑みのようなものを浮かべ、朱が紫からそっと目を逸らす。

「耳が孕んだッ!!」

次の瞬間、吉継の部屋に響いたのは喜色に塗れた紫の叫び声だった。
紫を褒め倒して遊ぶつもりだった吉継も呆気にとられ、今、紫は何を言ったのかを理解しようとする。

――耳が、孕んだ、とは。

しかし現代の、しかも一部の者特有である発言を吉継がすぐには理解できるはずもなく、暫くの間の後、吉継は考える。
耳とは、孕むものであったか。
もちろんそんなはずはなく、所謂比喩表現のようなものなのだが。そしてそれを一応の理解はしているのだが、どういう意味合いでその言葉が発されたのかは、やはり吉継には理解できなかった。

一連の流れを目にし、朱はけらけらと久方ぶりの哄笑を漏らす。
最初は何のつもりで吉継が紫を褒め倒しているのかがわからず、またどちらかと言えば紫より自分の方が吉継と共にいた時間は長いのに、と嫉妬にも似た気持ちを抱いていたのだが。
そんな気持ちは、未だに踞ったまま「はあ……刑部まじイケボ……耳が幸せ……」なんてぶつぶつ言っている紫と、そんな紫を唖然と眺めることしか出来ていない吉継の姿にかき消えた。
今はただ、面白いこともあるもんだと笑うことしかできない。

「っはー……あーひっさびさに笑った。喉と腹いってえ〜…。紫ちゃんも、大谷さんが良い声してんのはわかってるからそろそろ止めな、大谷さん素でびびってるから」
「だって刑部にいきなりあんな褒められるとか……耳が孕むしかないじゃん……」
「さらっと呼び捨てにすんなよ」

ようやく起きあがった紫と、目尻に涙を浮かべて必死に笑いを押し殺す朱。
対して未だにぽかんとしている吉継に、朱は苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべ、紫の背中を軽く叩いた。

「大谷さんもそろそろしっかりしてくださいよ、面白い顔になってますよ」
「いやしかし、耳とは孕むものであったか……」
「そこ真面目に悩んじゃうんだ!?」

ひぃっ、と朱は喉を引き攣らせて笑う。
あーもーほんと大谷さん最高、と笑い混じりに呟いて、「耳が孕むってのはめっちゃ良い声に聞き惚れちゃったってのの比喩ですよ」と、やはり笑い混じりに説明をする。

説明を受けて尚、吉継は理解が出来なかった。
となると、つまり紫は吉継の声に聞き惚れた結果、あのような言動に出たのだという事になる。
己が良い声をしているなどと言われた試しは無く、朱だけでなく紫までこのような、無条件に近い好意を向けてくるとは思いもしなかった。
それに対して覚えるのは、違和感というべきか、こそばゆいと言うべきか。

「……大谷さん?」
「、ああ……気にしやるな。しかし、紫もなかなかに愉快な女子よな」
「耳が孕っ」
「それはもういいから」

吉継は己でも気付かないほどに小さく、口角を上げる。
三成が拾った女、己が拾った女。
まだこの拾いものが吉と出るか凶と出るかはわからないが、それでも吉継はこれらを拾って良かったのではないかと心の片隅で考えていた。

「あ、でも紫ちゃんにちょっと勘違いして欲しくないんだけど、大谷さんは紫ちゃんよりあたしを可愛がってくれてるから!大谷さんはあたしの飼い主だから!」
「それは別にいいけど、ペット自称してることに果たして朱ちゃんは気付いているのだろうか……」
「……ハッ!」
「ヒヒヒッ」

愉快、ユカイ。吉継は笑いを漏らす。
二人は目を見合わせ、そんな吉継に合わせるよう、笑った。

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