にじむ微苦笑 [38/118]


とぷん、と抜け出た影の向こう側で、官兵衛は布団のようなものにくるまりすやすやと眠っていた。
平和そうな寝顔になんとも言えない気持ちになっていたら、あたしの半歩後ろにいた紫ちゃんがゆっくり、あたしの前に出る。

「紫ちゃん?」

その表情が満面の笑みであることに恐ろしさを抱きつつ、呼びかけるも返事は無し。
何をするんだろう、とそのままの姿勢で紫ちゃんと官兵衛を見守っていれば、がんっ!と勢いよく紫ちゃんは官兵衛の腹部を蹴り飛ばした。……紫ちゃん!?

「ぅぐっ!な、何だ!!?」
「おはようございます官兵衛さん」

がばりと勢いよく起きあがった官兵衛は、痛むのかお腹を押さえながらきょろきょろと周囲を見渡している。
満面の笑顔のまま官兵衛に挨拶をした紫ちゃんと、そしてあたしとを視界に入れ、官兵衛はお腹を押さえたまま「何でお前さん達が……」と唖然としていた。
そして自分のお腹と、紫ちゃんと、あたし、の順番で目線を向け、あたしのところで不思議そうというか怪訝そうに表情を歪ませる。
「もしかして蹴ってきたのこいつか?」の顔である。違います、言いがかりも甚だしいです。

「なんだか官兵衛さんの顔が見たくなって、来ちゃいました」
「え、お、おお!そうか!小生もお前さんに会いたいと思ってたとこだ!」

紫ちゃんのために黙っておくが、官兵衛よ騙されるな。その子だぞお前のこと蹴飛ばしたの。黙っておくけど。

ぱああ、と紫ちゃんに向け笑顔らしきものを浮かべた官兵衛の表情は、けれどすぐに翳った。
すんと鼻をひくつかせ、さっき以上に怪訝そうな表情であたしを見やる。

「朱…と言ったか。お前さん、血の臭いがするな」
「……」

返事はせず、にこりと笑みだけを向ける。

紫ちゃんは返り血を浴びていなかったし、殺していった敵も血を出してはいなかったから、多分血の臭いはしないだろう。
あたしも一応、着替えたりしたんだけどなあ。わかる人にはまあ、わかるか。

「一応、兵士なんで」
「……ああ、そうだったな」

そうして官兵衛は、ちらと紫ちゃんへ視線を向ける。
一緒にいるということは、お前さんもか、と言いたげな表情に見えたけれど、あたしはやっぱり黙ったまま一歩下がった。
紫ちゃんも気付いてはいるだろうけど答えることはせず、ぱっと表情を変えて官兵衛の傍に膝をつく。

「そんなことより官兵衛さん!少しなら時間あるんで、お茶でもしませんか?美味しいお茶と茶菓子、買ってきたんです!」
「ん、ああ……そうか!それはありがたい。こんな穴蔵じゃあろくなモンが食えないからな」

ふ、と二人の会話に笑みを浮かべた。

あたしは官兵衛に対して、特に何も思ってはいないけど、この人は良い人だ。
北条とのことで無血開城をしているのもあるし、それだけはわかる。
今も、色々察した上で、何も言わないでいてくれた。
優しい人だと思う。だからあたしは、黙って、笑っていられる。

紫ちゃんも官兵衛を蹴飛ばした後、なんとも言えない…けど安心したかのような表情で笑っていた。
官兵衛に負い目を感じさせずにすんだと、何も知らないまま終わらせることが出来て良かったと、どうせそんなことでも考えてんだろう。
それに関しては、あたしも良かったと思うし。

「じゃあお邪魔虫は退散しますかね。一刻後くらいに迎えにくるから、お二人でごゆっくり」
「うん、ありがと朱ちゃん」
「お前さんは気が利くな!三成とはえらい違いだ」
「官兵衛殿にそう言われるとなんかちょっとイラッとします」
「なぜじゃ……!」

くすりと笑んで、あたしは影の中に落ちる。
紫ちゃんが官兵衛とゆっくりしている間、あたしは毛利のとこに報告にでも行こう。時間は有効に使わないと。
少し申し訳なさそうに手を振る紫ちゃんと官兵衛の姿にちょっとだけほっこりして、あたしはゆっくり、薄墨の中を漂った。


――…


「もーりさん」
「、……朱か。どうした」

日も落ち始めた時刻、突然に現れたあたしにほんの少しだけ驚いて、毛利は元から綺麗な姿勢を正す。
文机に向かっていたから、政務でもしていたのか、手紙でも書いていたのか。まあそこら辺は興味無いけれど。

「四国の件、さっき終えてきました。滞りなく」
「……左様か」

ほんのり複雑そうな表情で、毛利は目を伏せた。
アニキと毛利の事に関してはあたしも深くは知らないし、その表情の意味を察することは出来ない。しようとも思わないが。

毛利はさっきの官兵衛と同じように少しだけ鼻をひくつかせ、伏せていた目線を上げる。視線が、絡まる。

「怪我は無いか」
「はい」
「そうか。……ならば良い」

茶でも飲むか、と続いた問いかけに、じゃあ少しだけと笑みを返す。
どことなく嬉しそうな表情で毛利は女中さんにお茶と茶菓子を持ってくるよう伝え、また二人きりになった室内で少しだけ、あたしに近付いてきた。
さっきよりも近い距離で、毛利はじっとあたしを見つめている。……さすがに、照れる。

「貴様はこの先、どうするつもりぞ」
「……紫ちゃん連れて帰阪する予定ですけど。大谷さんにも報告しなきゃいけませんしね」
「また、大谷か」

溜息混じりの声に、苦笑。
毛利の中ではきっと、あたしは大谷さんに恋慕している事になってんだろうなあ。目の前であんな告白しちゃったのだし。
あたしは大谷さんに懐いてはいるけれど、あれが愛だの恋だのという気持ちじゃないってことはわかっている。まあ、大谷さんともしくっついたら、多分楽だろうなあとは思うけど。

「朱、」
「はい?」
「此処にいられるのは、あとどれだけの時間だ」
「そうですねえ……一刻くらいです」
「一刻、か」

短いな。

なんとも言えない表情で小さく笑う毛利に、あたしも曖昧に笑うことしか出来なかった。
こうやって、毛利の気持ちを知っている上で中途半端に優しくしているあたしは、ずるいだろうか。

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