満たして削る [31/118]


「絶対またすぐに会いに来ますから!絶対ですから!」
「ああ、小生は待つさ!お前さんが来るのを、いつまでも……っ!」

という涙ながらの別れをした紫ちゃんと官兵衛をものすごく生ぬるい目で見守ったのは、数時間前の話だ。

今は本州へと戻る船に乗って、あたしと紫ちゃんだけが甲板の隅の方に向かい合って座り込んでいる。
話す内容は、四国について。

「……じゃあ、四国攻めはうちらでするんだね」
「うん。六日後にアニキが四国を発って、そっから二、三日は帰らないって言ってたから七日後くらいに四国に行く感じかな」
「そっか……よかった」

小さく笑う紫ちゃんに、あたしも軽い笑みを向ける。

これで官兵衛が、負い目を感じることはなくなる。
それはほんの些細な事で、官兵衛が知ることもないけれど、紫ちゃんには大切な事だった。だからもちろん、あたしにも。
紫ちゃんと官兵衛がこの先どうなっていくかはわからないけど、まあ、多分悪い方向にはいかないだろう。
この二人はなんというか、割と相性が良さそうだ。

「でも朱ちゃん、…ほんとに良いの?」
「何が?」

紫ちゃんが少し心配そうに表情を歪め、「長曾我部のこと」と呟く。
……ああ、と納得したあたしは、へらりとまた、軽く笑んだ。

「確かにアニキも好きだけど、大丈夫だよ。何回も言ってんじゃーん、アニキは絶望してからが本番だって」
「朱ちゃんがそう言うなら、いいけど…」
「……本当に大丈夫だよ、大丈夫」

罪を背負う覚悟はある。
アニキを騙したこと、四国の……長曾我部軍の人たちだけでなく、ただの一般人をも手にかけてしまうこと、アニキだけじゃなく三成をも、騙すこと。
全部、覚悟の上だ。それが必要な事だとあたしは思っているから、迷ったりなんかしない。

「それよりなんか、ここ、息苦しくない?」
「え?いや、私はそんなことないけど…むしろ海の上だし、空気だいぶ澄んでるよ」
「そう、かな。なんか……ッゴホ、」
「朱ちゃ、え、大丈夫!?」

不意に襲ってきた息苦しさと、身体のだるさ。
頭痛と吐き気で視界がぐるりと回転して、胃の中身を吐き出さないよう必死に耐えながら、口元を覆って咳き込む。
「顔真っ青だよ!?」と慌て気味な紫ちゃんがあたしの背中をさすってくれる、のだけど、その度にじくりじくりと、背中から寒気が染みこんでくるような気がして、思わずそっと紫ちゃんの手から避けた。

「、朱…ちゃん?」
「ごめ、わかんな、けど、…紫ちゃ、もやが」

吐き気と戦いながら、口内にさらさらとしたほんのり甘みのある唾液がたまっていくのを感じつつ、とぎれとぎれに伝える。
紫ちゃんを包む薄紫のもやが少しずつ広がって、あたしと紫ちゃんの周囲を漂っていた。
あたしの言葉で漸くそれに気付いたのか、紫ちゃんはさっと顔を青ざめさせて、あたしから一気に距離を取る。

頭痛も吐き気も変わらないけれど、それだけで息苦しさが、少し抜けたような気がした。
紫ちゃんは今にも泣きそうな顔で、ごめん、ごめん、と何度も謝っている。
謝って欲しいわけじゃ、ないんだけど、今は頭痛と吐き気が酷くて何も言えない。

謝り続ける紫ちゃんの声が聞こえたのか、甲板に三成がほんの少しの焦燥をその表情に滲ませながら出てきた。
血の気の失せた顔で全身を震わせながら頭と口元を押さえ倒れているあたしと、それを遠巻きに眺めながら真っ青な顔で謝り続けている紫ちゃんの姿を見て、「何が起きた!」と紫ちゃんの肩を荒々しく掴む。
それに紫ちゃんはびくりと震えて、三成からも、距離を取った。

「っ、紫……?」
「ごめん、ごめ、朱ちゃん、私のもや、わかんないけど、朱ちゃんを傷付けたみたいで」
「もや……?これの、事か」

紫ちゃんの周囲を未だ漂っている薄紫のもやを見つめ、三成の視線がちらりとあたしに向けられる。
っは、は、と浅い呼吸を繰り返すあたしの姿に、さすがに正常じゃないと理解したのか、三成は数人の兵を呼びつけた。
あたしの姿を見て驚いている兵達が駆けつけてくれるのをぼんやり、にじみ出した視界に捉えながら、紫ちゃんへ視線を向ける。

「多分、毒、だと思う。紫ちゃんなら、ちゃんと使えるから、」

謝んないで。
へらりと笑って、あたしは意識を途切れさせた。

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