欲するがまま [22/118]


吉継の斜め後ろの位置に控え、朱は複雑な表情で事の流れを見守っていた。

――「朱を此処へ置いて行け」
元就が静かにそう告げたのはほんの数秒前の事で、もしかしたらという可能性を朱は抱いていたけれども、まさか本当にそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
朱自身には元就の所に留まるつもりなど微塵も無く、早いところ吉継と共に大阪城へ帰りたいと思っている。
が、万一吉継が「あいわかった、朱、ではな」なんて言ってしまったら。
……残るしかないんだろうなあ。
何も言わないままの吉継の背を見つめ、朱はどんな顔をすればいいのかわからず、眉を寄せた。

「われの手駒になぞ、興味無いのではなかったか?」

それから更に数秒後、やっと口を開いた吉継の声は嫌みったらしい笑いを含んだものだった。
元就はその声に顔を顰め、舌を打つ。

「同盟の際に兵を渡す事など、至って普通の事であろう。我はその女を使えると思った、故に欲した。それまでの事ぞ」
「さようか。さて、われは困った。朱、ぬしはどうしたい?」
「えっ」

まさかそこで自分に振られるとは思わず、朱は素っ頓狂な声を出して吉継を見やった。
にやにやとした表情で横目に自分を見つめている吉継に、ほんの少しの頭痛を覚える。
ああ、この人愉しんでる。朱はすぐにそう気が付いた。

「あたしは……、」

朱がちらと元就を見やれば、真一文字に結んだ唇を小さく震わせながら自分を見つめている。
真剣そのものの表情に「嫌です」とはっきり告げるのは憚られて、開きかけた口を噤んだ。
どう言えば良いものか、朱は適当な言葉を見つける事ができない。

「……ぬしにとって悩むほどの事であったか、そうか。ぬしがわれを好いておるというのはとんだ空言であったのか」
「「なっ……!」」

よよよ、と目元を押さえ涙ぐむ振りをする吉継の言葉に、元就と朱の声が被る。

「違いますよあたしめっちゃ大谷さん好きですもん!!」
「な……」

慌てて叫んだ朱に、ついさっきまで怒り顔だった元就の表情が一気に暗くなった。
まじかよ……といった声が聞こえてきそうな程の表情の変化っぷりに、吉継は喉を引きつらせて笑う。

「そういうわけで、すまぬな毛利。朱はぬしにやれぬ」

吉継は子供を褒めるかのように朱の頭を撫でながら、したり顔を元就へ向けた。
鋭く吉継を睨み付ける元就とは裏腹に、吉継から触れて貰えたことに朱はにこにこと嬉しそうに頭を撫でる手を享受している。
そんな朱を眺め、元就は再び舌打ちをこぼしたあと、小さく息を吐いた。

「……まあよいわ」

今にも小さな花を辺り一面にまき散らしそうなくらい幸せそうな朱の表情は、己が引き出すことは出来ないだろうと元就は理解できていた。
自分には安芸と、日輪さえあれば良い。それがわかっているはずなのに。
それでもやっぱり、目の前の女子が欲しいのだと。己の欲が喉元を引っ掻いているのが、元就には少し腹立たしくて、どうにも腹の奥辺りが痛かった。

吉継はそんな元就の姿を見やり、心の中に浮かんだ驚きを隠す。
まさか此処までとは思わなんだというのが本心であり、あの毛利をそうまでした朱の存在には、ますますの興味を抱く。
とはいえ朱と出会ってからの日が浅い元就に朱を欲されるのは、やはりどうも面白くなかったので、吉継はもうひとつ釘を刺しておくことにした。

「言うたであろ?これはわれが大層気に入っている子猫だと」
「見れば分かるわ」

元就はもう隠しもせず、大きな舌打ちをこぼした。


――…


朱に関する話し合いは円満とは言えなかったが解決し、朱と吉継は大阪へ帰ることとなった。
毅然とした態度で二人を見送る元就に、吉継はほんの少し表情を歪め、ぼそりと呟く。

「やはり毛利とぬしは少し似ておる」
「……やはりって、前から思ってたんすか」

どこをとってそう思ったのかまでは吉継は口にはしなかったが、朱は吉継の言葉に眉を寄せ、背後の元就へ視線を向けた。
まだそんなに離れていない距離。
元就と朱の視線が合い、元就はきつく唇を結んでいた。

「……はー…、大谷さん、ちょっと待っててください」

吉継の返答も聞かず、朱は軽く元就へ駆け寄る。
「まだ何か用か」とほぼ無表情な元就に朱は溜息をつき、「ちょっとだけ」と返した。

「あたしが影の中を移動出来るって話はしましたよね。それ使えば此処まで来るのも簡単ですから、何かあったら文でも寄越してください。手が空いてたら来ますんで」
「…………そうか」
「じゃあ、またどこかで」

小さく頭を下げ、朱は吉継の元へと戻っていく。
影に沈む二人の姿を見送り、元就は傍に控えていた兵士へ声をかけた。

「すぐに、紙と筆をもて」

さて何の用事で呼びつけてやろうかと、ゆるく弧を描く口元を元就はそっと隠した。

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