紫陽花 [21/118]


所変わり、大阪城。
紫は朱のいない城中で暇を持て余しながら、ほぼ強制的に三成と多くの時間を過ごしていた。

朝食を食べ終えた頃に三成は紫の部屋へ訪れ、鍛錬に誘う。
鍛錬を終えれば、紫だけは昼食代わりのおやつを食べつつ、三成の部屋で政務を見守る。
夕食は共に摂り、少しばかりの談笑をした後、別れる。

そんな生活がもう一週間も続き、紫は辟易していた。
三成が嫌いな訳ではない、が、ぶっちゃけ紫にとって彼はどうでもいい存在である。
いた方が良いんだろうけど、いなくてもまあそこまで問題はない。そんな程度。
そして何より、紫は朱が三成大好きな事を知っていた。だからこそ余計に、朱のいない中、三成と二人きりで過ごすのはどうも精神的に色々と問題があったのだ。

紫も、これでも最初は「紫!鍛錬に付き合え」「嫌です」、「貴様はそこにいろ、拒否は認めない」「嫌です」、「紫がいるのならば夕餉を食べてやらなくもない」「嫌です」と、拒否の姿勢を全力でとっていたのだが。
なかなかめげない三成と、どちらかと言えば三成に協力姿勢である城の兵士や女中に途中で諦め、こうなった。

面倒臭い、寝たい、といったひどく私欲にまみれた願望と、朱への妙な罪悪感で、紫はもう疲れ切っていた。

「寝たい」

この日も、三成の政務を何をするでもなく部屋の隅で茶菓子をつつきながら眺めていた紫は、思わずそう、ぼんやり呟いた。
紫を一目惚れとはいえ、その頃にはもうかなり心の深いとこで想っていた三成がそれを聞き逃すはずは無く、三成はゆっくりと紫の方へ振り返る。

「眠いのか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど」
「……?疲れているのなら、眠ればいい」

三成は部屋の隅に畳んで置いてある布団を指さした。
それをもう隠すつもりが微塵もない、げんなりとした表情で眺め、紫は溜息を吐く。
――違う、そうじゃない。
そう言ってやりたいがそういうわけにもいかず、取り繕うように「大丈夫です」と微笑んで首を振る。
ほんの少し怪訝そうにはしたものの、三成はそうかと頷き、文机へ視線を戻した。

基本的に、三成は鈍い。
紫が実のところ三成にほとんど興味を抱いてない事も、朱が三成を好いている事も、彼はまったく気付いていないだろう。紫はそう思う。
自分のことで手一杯なのか、今この場にいる紫が暇を持て余している事にも、きっと。
傍に置くだけで何を話すでもなく、何かを与えるでもなく。
恐らく三成は紫が傍にいるだけで満足なのだろうけど、紫はそうじゃない。

はっきり「好きだ」という類の言葉を向けられたわけでは無いが、あの三成がこのような態度をとるのだから、紫には好かれているだろうことが分からないはずが無かった。
特に何かをした記憶は無いし、どうやら自分が大阪城へ連れてこられたきっかけは三成のようなので、多分一目惚れなのだろうけど。
それがここまで持続してるんだから、恋は盲目だよなあ、と紫はまた、溜息を吐くのだった。

「そういえば、朱ちゃんと刑部さんいつ帰ってくるんですかね」
「……知らん」

表情は背中を向けているのでわからないが、あからさまに声が不機嫌になった事に紫は思わず吹き出しそうになってしまった。
吐き捨てるような声音は、恐らく朱の所為だろう。
こっちへ来てすぐの頃、「なんかあたし三成に嫌われてるみたいだわ」と昨日見たテレビの話をするかのような口調で、朱がぼやいていた事を思い出す。

「……三成さんって、朱ちゃんの事どう思ってるんですか?」

特に何も考えずに訊いた言葉だった。
しかし三成は紫のその言葉を耳にし、そっと、筆を置く。
振り向いた三成は鋭い視線で紫を射抜き、静かに口を開いた。

「あれは嘘を、何とも思わず、息をするかのように口にする。容易に人を欺き、裏切る。私は嘘を許さない。いつ裏切るかもわからない人間を、信じるはずも無い」
「、……そうですか」

それは私も同じなんですけどね、と付け加えたかったが、やめた。
紫だって嘘は吐く。朱と比べて表情が柔らかい分、パッと見にはマシかもしれないが。
隠したい事は隠すし、必要があれば嘘も吐く。そうした方が楽だと思ったら、それこそ三成の言うように、息をするかのように。
今までだって、三成には何度も嘘を吐いている。三成が気付こうとしないだけで。

「でも、朱ちゃんは、三成さんを裏切ることは無いと思いますよ」

何故か縋るような声が出て、紫は顔を伏せた。
三成は紫の言葉に鼻を鳴らすだけで、答えることもせず、視線を逸らす。

――三成を裏切るとしたら、多分私の方だろうけどなあ。

思うだけで、もちろん口にはしなかった。

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