結んで千切って [105/118]


流血表現有


下がってろって言われてもなあ、とどう動くべきか思案していた朱の身体が、不意に頭上へと引っ張られた。
「うひい!?」と変な声を上げ、朱は己に何が起きたのかを探る。周囲を網のようなもので包まれており、身体は宙に浮いていた。見上げれば、どこから吊り下がっているのかわからない縄が伸びている。
朱の様子に気が付いた元就は荒々しく舌を打ち、元親を睨めつけた。

「ちょこまかされると困るんでね。そこで大人しくしといてくれや」
「貴様……」
「……なるほど」

これが四縛か、と朱は小さく独りごちた。いざ実体験してみると、なかなかに厄介かつ意味わかんない技である。朱自身の影に対してもそれは言えるのだが。
まず身体に力が入らず、思考回路まで正確に仕事をしない。だらだらと生きている時ならこの状況は昼寝にもってこいかもしれないが、戦場では格好の的だ。
どうにかしなきゃとは思うが、どうにかするための策が何も浮かばない。身体に力が入らないから、傘の仕込み刀を使って網を切ることも出来ない。

「毛利さん……これ……」

仕方なく縋るような目線を元就に送るが、元就は逡巡の後に「まあ良かろう」と呟いた。
良くない良くない、と働かない頭で朱は精一杯首を左右に振るが、元就は朱から顔を背けてしまう。

「我が此奴を倒すまで、そこで大人しくしておれ」
「ええー……」

瀬戸内の意見は妙なところで一致してしまったらしく、朱は網の中で項垂れるしかなかった。

辺りをぐるりと見回してみればいつのまにやら暁丸は破壊されていたようで、毛利軍兵士に石田軍兵士が加勢している。この様子だと長曾我部軍の兵士たちはそう時間もかからずに全滅するだろう。
何人か、朱の状態に気付き助けへと向かおうとした兵がいたが、しかし朱を助けることだけに集中できるほどの状況ではない。
助けはまだ見込めないなと理解して、朱は元就と元親へ視線を戻した。

先までは僅かに元親優勢と見えた戦況も、元就が冷静さを取り戻したことによってほぼ互角となっている。
ただ、まだどう転ぶかはわからない。伊達主従対官兵衛・紫戦でも官兵衛と紫が優勢に思えたのに、結果勝利したのは伊達主従だった。
戦場というこの場で、何をきっかけに戦況が変わるかはわからない。朱はそれを、よくよく知ってしまっていた。

「思えばアンタとも長い付き合いだったな」
「それがどうした?死門をくぐる前の昔語りでもしようと言うのか」

討ち合いの最中、元親と元就の対話は続く。
また元就が激昂したらどうしようと、ひやひやとした気持ちで朱はそれを見守っているのだが、存外元就は冷静なままだった。
元親に「俺の進む未来に、アンタの影は欠片もねえ」と断言されても、鼻で笑い飛ばすのみ。

もしも、本当に吉継の言う通り、朱と元就が似ているとするのならば。
朱は考える。自分が三成に、死んでも忘れないと、何度でも思い出すと言ってもらえたらと。そんなたらればは起こり得ないと解っているけれど、もし、そう言ってもらえたとすれば。

元就がそんな風に思ったかどうかなんて、朱にはわからない。わからないけれど、それが自分だったなら、それは想いが通じることよりもずっと幸せに思えた。
好きな人の記憶の中に自分がいる。それはとても、嬉しいことだから。


――…


粗方の長曾我部軍兵士たちが倒れた頃、石田軍の兵士たちが朱の元へと駆け寄ってきていた。
何人かは敵が来ないよう警戒をし、三人の兵士が網と格闘している。
中にいる朱に怪我をさせないよう、見た目よりも遙かに頑丈な網を切るのはなかなかに困難な作業だった。

「今暫くお待ちください、朱様!このような網、すぐに切ってみせますゆえ」
「なんかほんとすみません」
「謝るようなことではありません!朱様は我らの光なのですから」

そう言われるとなんだかこそばゆいなあと思いつつ、朱は礼の言葉を口にする。
出会って最初の頃は朱の「ありがとう」という言葉に疑問符を浮かべていた兵たちも、今となってはそれが感謝の言葉なのだと理解出来るようになっていた。
それだけの時を、朱と共に過ごしていた。

「さあ、もうすぐ穴ができます。そうしたら、毛利殿の加勢へ行きましょう。そして長曾我部軍を下し、三成様の元へ!」
「……そうですね」

うん、そう、そうだ。心の中で何度も頷く。
こんなとこでもたもたしている暇は無い。三成はきっと一人ではないだろうけれど、ここは戦場で、いつ誰が死ぬともわからない場所なのだから。
自分の知らないところで三成が怪我をするのだけは嫌だ。朱はそう考え、力の入らぬ身体を必死に捩った。少しでも兵たちが作業をしやすいように。

「――ッ元就様!!」

不意に、焦燥を滲ませた耳を劈くような悲鳴が辺りに響いた。
弾くように朱は視線を、禄に動かぬ身体を、元就へ向ける。

そこには片膝をついた元就と、碇槍を振りかぶる元親の姿があった。

「――…っ、」
「朱様!開きました!!」
「ありがと!」

朱はタイミング良く破れた網の隙間から抜け落ち、そのまま影の中へと沈んでいく。
今度は元親の背後へと気配を消して現れ、両手でその足を掬った。バランスを崩した元親は朱の姿を視界に入れつつ、地面に転がる。
その隙を逃さず、朱は元就の身体を抱いて再び影へと潜った。毛利軍の兵士たちがいる場所へと浮かび上がり、元就の状態を確かめる。
脇腹に深く、抉るような傷跡ができていた。それだけでなく、全身が傷だらけである。
全身が傷だらけなのは元親も同じではあるが、元就は脇腹の傷からの出血が多く、まともに歩くことすら難しそうに思えた。

「毛利さん……」
「朱……大人しくしておれと、言ったはずであろう……貴様は、朱には……傷を負うてほしくは、ないのだ……、」

よほど重傷らしい、と朱は胸の内でぼやく。
日頃なら照れて言えないような、途中で照れ隠しに暴言を吐いてしまいそうな台詞を、いとも容易く口にしてしまっている。

小さな溜息を吐いて、身体を起こしこちらへと向かってきている元親へ視線を向けた。

「毛利さんをお願いします」
「……はっ」
「待て、朱、長曾我部は我が手で……」

朱は肩をすくめ、苦笑混じりに元就の頬を撫でた。

「そんな傷で馬鹿言わんでください。毛利さんがあたしに怪我してほしくないのと同じように、あたしだって毛利さんの怪我は見たくないんですよ」

元就の顔が強張る。それにまた苦笑して、朱は立ち上がり元就に背を向けた。
傘を広げ、ゆっくりと歩きだす。

元親とぶつかるのも時間の問題だ。と、そう思った朱の腕が、何かに……誰かに、強く引かれた。
元親の姿が視界から消えないように、半身で腕を引く者に視線を向ける。向けるまでもなく、朱にはそれが元就だとわかっていたが。

「行かせぬ、彼奴は、我が手で葬るのだ」
「……」

睨み合う二人を元親から守ろうと、毛利石田両軍の兵たちが壁を作る。
それを横目に、朱は片膝をついて元就と視線を合わせた。

「多分だけど、毛利さんの怪我はそのまま死んでもおかしくないです。今この場では止血くらいしか出来ません。その傷で長曾我部さんの相手をしたら、葬られるのはあなたかもしれませんよ」
「そのような事は起こり得ぬ」
「……あたしだってそりゃ、瀬戸内の因縁に首突っ込むのはどうかと思いますけどさあ……」

唇を噛み、朱は言葉を探す。どうすれば元就を納得させることが出来るのか、どうすれば元就を下がらせることができるのか。
……答えは、見つかりそうになかった。

自分だって伊達主従を相手取った時に、傷を理由に下がれと言われたって下がらなかっただろう。自分の目の前で、他の誰か……例えば吉継にでも、伊達主従を倒されたとしたら。
それはあまり、気分の良いものではない。

「我は死なぬ」
「……それ、割と死亡フラグです」

肩をすくめた朱は、元就が立ち上がるのを手伝い、そっと身を引いた。

「今死んだらソッコーで毛利さんのこと忘れますからね」
「出来るのか?」
「そういう反応されると腹立ちますわあ」

元就にしては珍しい悪戯っぽい笑みを残し、元就は朱に背を向け、歩きだす。
輪刀を手に、長曾我部元親の元へ。長年の決着をつけるために。

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