秘やかに並べる。 [101/118]


朱の立ち去った西軍本陣内で、吉継は静かに官兵衛と紫の姿を見下ろしていた。

眠るように、などと生易しい表現は出来ない紫の姿。二人の足下には夥しい量の血液が流れており、それを吸った地面は浅黒く様子を変えている。
吉継が只それを眺めていれば、不意に官兵衛が身動いだ。枷に囚われた両腕を器用に動かし、抱いたままだった紫の身体を、そっと……地面へと横たわらせる。
瞼を閉じ、色のない肌をしている紫は、まさしく死体であった。現実逃避の余地など一切残さぬほどに、それは呼吸を辞めた亡骸であった。
重く、暗く、その現実が官兵衛と吉継の身にのしかかる。

「……哀れよなァ、紫も」

思わず吉継が溢した言葉に、常の官兵衛であったならば激昂しただろう。
しかし、自責の念を抱く官兵衛にはその言葉への返答は浮かばず、ただ黙するしかない。

――哀れ。
確かにそうなのかもしれない。否、己だけはそう思ってはいけないのだが、そう思わずにはいられなかった。
こんな場所で、己の為などに亡くしていい命ではなかった。もっと普通の世で、普通の男と恋をして、子や孫に見守られながら、淡い色の花にでも囲まれながら、生を終えるのが似合うはずの命だった。こんな、無惨な死に方をしなければならない命では、なかった。

「暗の代わりなどせねば、死なずに済んだであろうに」

吉継は小さく言葉を漏らす。
あの日、己の声を聞き、「耳が孕んだ」などと喜色に塗れた顔で言ってのけた女。朱と並び、純粋な好意のみを伝えてきた女。
それは吉継にとっても特別な存在だった。その喪失を惜しむ程には。

「どういう、意味だ……?」

呆然と紫を見つめていた官兵衛の視線が、吉継へと向けられる。
先の言葉は、額面通りに受け取るならば『官兵衛を庇わなければ』という意味に思える。しかしそう受け取るには、些か妙な物言いだった。
そういう意味で言うのならば「庇わなければ」と率直に言えばいい。「代わりになどならなければ」でもいいだろう。だが吉継は「代わりなどせねば」と口にした。それが官兵衛には、どうにも引っかかって思えた。

「ああ、すまなんだ。ぬしは何も知らぬのであったなァ」

官兵衛を見下げる吉継の目に、恨みにも似た嘲笑の色が映る。

紫の命を奪ったことへの、吉継なりの仕返しともとれる言動。それを紫が望むとは到底思えなかったが、そうでもしなければ腹の虫が治まらない。
言ってみればそれは、ただの八つ当たりだった。

「何が言いたい……?」
「いいや何も。われはただ、紫が哀れだと思えてならぬだけよ」

不運の星に好かれた男の傍などに居なければ、その男に代わろうとしなければ。紫まで不運の星に憑かれることもなかったろうに。

喉の奥を震わせて、吉継は嗤う。
これ以上何を問うても、吉継は何も応えやしないだろう。ただただ不気味に嗤い、無知な官兵衛を嘲るばかり。
だが、その何かを臭わせる辺り、吉継はそれを官兵衛に気付かせたがっているようにも思えた。それが吉継なりの仕返しなのか、紫を思ってのことなのか、はたまた官兵衛を憐れんでの行動なのかは、官兵衛には知る由もないことだが。


官兵衛は、紫へと視線を戻す。
その表情は妙に満足げで、無性に泣きたい気持ちにさせた。

自分を庇うことで、紫は満足できたのかもしれない。それは確かに、誇りある死だろう。己の信念をまっとうできた事だろう。
……だが、遺された小生は、どうなる?
そう考えてしまうのは、小生が生き残ったからだ。あのまま、紫を庇って小生が死んでいたら、志半ばではあるが小生もきっと満足していた。愛した女を守って死ねたのだから。あの時の自分は、遺した紫の事なんざ考えてもいなかった。

「全部、自己満足じゃあないか」

小生が紫を庇ったのも。紫が小生を庇ったのも。互いのことなんて考えちゃいない、自己満足だ。
自分が愛した人間を、命がけで守った。
そんな綺麗事の自己満足で、喪えるような関係だったのか。捨てられる未来だったのか。
小生の嫁になってくれるんじゃなかったのか。まだ婚儀もしていないのに。そんな簡単に、諦めてしまえる未来だったのか?紫にとって、小生はその程度の男だったのか?

――解っている、こんなのただの八つ当たりだ。紫を守れなかった不甲斐ない男が、ただ何も出来ず、何も知れずに拗ねているだけだ。


「――…教えろ、刑部。紫は何を隠してた?いつ、小生の代わりをしたんだ」
「はて何のことやら。……いつ、という問いへの答えはあるぞ?つい先程のことではないか。ぬしはもう忘れたのか?」
「そうじゃない、もっと前……紫と小生が会うより前の事だ!紫は小生のことを知っていた、あの日以前に!紫が小生に隠している何かがあったはずなんだ!」

それを訊いてどうなる、と自問する。
吉継はただ、感情の浮かばぬ目で官兵衛を見下げるだけだ。官兵衛はただ、訳の分からぬ感情に突き動かされるままに吠えるだけだ。

だが、このまま、何も知らぬまま生き存えたくはないと思った。
今更紫の隠し事を知ってどうなる。それを紫は望んじゃいない。わかっている。理解している。……納得が出来ないだけで。
官兵衛は知っている。これは、ただの我が儘だと。

「確かにわれは全てを知っておるぞ?紫の隠し事とやらをなァ。しかしそれをぬしが知る必要はあるまい。紫もそれを望んではおらぬ」
「わかってるさ、それくらい解ってる!!」
「……やれ、手負いの熊はよう吠える」

肩をすくめ、吉継は三成と朱の駆けていった方角を見やった。
"まだ"大丈夫だとでも言う風に、朱の残していった影の蝶々がふわりと揺れる。二枚の瞬きが、「話してあげてもいいんじゃないすか」という朱の声に聞こえた気がした。
勿論、そんなものは幻聴でしかないのだが。

「これが知れたら、紫は大層われに腹を立てるであろうな……」

官兵衛の傍らで眠り続ける紫を横目に、吉継は再び肩をすくめた。

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