慈悲に溺れる [95/118]


死亡表現有


金吾の死体から目を背け、紫ちゃんと天海の方へ少しだけ近寄る。
何をするわけでもない。あたしはいつぞやかの尼子戦のように近場の陣に腰掛けて、二人の争いを観戦し始めた。

あたしが金吾戦にあまり時間をかけなかったからか、二人の戦いはさほど進展していないように見える。
どちらも多少の傷を負っているけれど、さしたるダメージではなさそうだ。
この距離なら、……声も聞こえてくる。

「やはり貴女は、とても愉快な方ですねえ」
「そんな御言葉を言って頂けるなんて光栄ですう!」

……ああ、となんとも言えない溜息が漏れた。
大谷さんと話してる時のあたしみたくなってら、とは思ったが、多分紫ちゃんのそれはあたし以上で。紫ちゃんは嬉しそうに身を捩りながら器用に天海の攻撃をかわす。喜色満面といった表情に、まさかこの世界に来て友人の知られざる一面を目の当たりにするとは思わなかったよなあ、なんてついつい遠い目をしてしまった。

尼子の時と言い、天海の時と言い。
こう、彼女の状況を見ていると、なんかの間違いで紫ちゃんと官兵衛が敵にならなくて良かったな……と心底思う。

「安心してください天海様っ、貴方は私が殺してあげます!貴方の最期を私が看取ってさしあげますよ」
「おやおや、それは有難いですね。しかし、私が貴女を看取る方がずっと面白い」

紫ちゃんはどうやら浮毒を使っていないらしい。ゆらゆらと特徴的な動きを見せる天海に向けて、毒の刀を横に薙ぐ。
それを、なんというべきか、ぬるりとした動きで避け、天海の鎌が紫ちゃんの懐へと向かった。

「これも、慈悲ですよ」
「ーっ、ぐ、」
「どうです、痛いですか?苦しいですか?」

天海の高笑いが辺りに響く。浮きかけた腰を、数瞬の迷いのあとに下ろして、鎌に突き刺された紫ちゃんの様子を注意深く窺った。
苦しそうに身体を震わせながら、けれど口角を上げている。

恐らくアレは天海の吸収技だろう。生命力的なものが可視化されて、鎌を通り天海の身体へと吸い込まれていく。それは、あたしの記憶では緑色をしていたはずなのだけれど。

あたしの目には、薄い紫の靄に見えた。

「……っ、あ……ぐっ、…!」

次の瞬間には天海の顔が歪み、鎌を振って紫ちゃんを投げ飛ばした。
地面に転がりながらも体勢を立て直した紫ちゃんが、愉しそうに天海を見上げる。

「ね、天海様。……美味しかったですか?私の毒」
「っく、ふ、ふふ……っ。ええ、とても」
「嬉しいです」

互いにふらつきながらも、再び刃を交わし始める。

恐らく紫ちゃんはさっき、己の体力と共に身体の中へ廻らせた毒を天海に吸収させた。本来なら澄毒によって紫ちゃんの体内には悪影響のある毒を廻らせられないはずだけど……あたしが知っているのは石田軍にいた頃までの紫ちゃんなのだし。そこら辺はどうにかしたんだろう。
だけど、体力を吸収されたのも事実だ。紫ちゃんの顔色は少し悪くなっている。その上、鎌で刺された物理的なダメージもある。
天海にも毒でのダメージがあるとはいえ……。

にしてもあの子、相手によっちゃ戦闘狂みたいになる節があるなあ。あたしもそういうとこが無いわけじゃないけど、どうにも不安になる。
戦うのを楽しんでいるのはいいんだけど、無駄な怪我は増やさない方が良かろうに。


かと言って、二人の戦いに手を出すわけにもいかず。
あたしは視線を彷徨わせてから……、あちこちに散らばる影人形へと意識を向けた。

特に、大谷さんに憑けている影人形と、官兵衛にこっそり憑けた影人形へと。

「……、ううん」

喉の上の方を震わせるようにして、唸る。
石田軍、黒田軍共に、あと少しで戦場へと辿り着きそうだったからだ。これは、あたしが想定していた時間よりも少し早い。
特に黒田軍がもうすぐそこまで来ている。となると、此処に辿り着くのも時間の問題だろう。

手を出すわけにはいかなかったけれど、口は挟まなきゃいけなくなった。


相も変わらず愉しそうに戦っている二人へ視線を向ける。
紫ちゃんも、この様子を官兵衛に見られたくは無いだろう。あの子、だいぶ猫被ってるし。

「紫ちゃーん、そろそろ時間。早く終わらせてー」
「エッまじで!?せっかく良いとこだったのに!」
「そうですよ、まだ時間はあります。もっと愉しみましょう!」

天海の言葉と、時間との挾間で揺れる紫ちゃんに肩をすくめる。

「官兵衛、もうすぐ来るよ」とだけ告げれば、紫ちゃんの表情がすっと冷え切った。
その変化に気付いたのだろう、天海が僅かに眉を寄せる。

「……申し訳ありません、天海様。愉しい時間は、終わりがあるからこそ尚愉しいものとして遺るんですよ」

そこから先は、あっという間だった。
今まで浮毒を使っていなかった紫ちゃんが辺りに靄を撒き散らしはじめ、恐らく強心毒も使ったのだろう、あたしですら一瞬追えなくなる速さで天海へと迫り、その心臓に毒の刀を突き刺した。
深く、深く突き刺さった刀を引き抜き、おまけとばかりに首をも一文字に切り裂く。
……意図せずして、烏城組の死体が似た形になってしまった。

天海は両目を大きく見開き、ゆるゆると紫ちゃんをその瞳に映す。

「ッ……信、長…公……」

そうしてぐるりと瞳が上向いて、天海は前へと身を倒した。
紫ちゃんがそれを、ややふらつきながら受け止める。

二人に歩み寄って、落ちた鎌をなんとなく拾い上げた。


「……天海様、やっぱり最期は、信長公の名前を呼ぶんだね」
「紫ちゃんの名前呼ばれなくて、残念だった?」
「ううん。そうだろうと思ってたし。……この人の最期の人になれただけで、充分」

そっか、と頷いて鎌を元の場所に戻す。
紫ちゃんはこれ以上なく静かに、そうっと、天海の身体をその場に寝かせた。

今回は聖遺物とらないのかなと、天海の傍らで膝をつく紫ちゃんを見つめる。
と、紫ちゃんはさっきあたしが置いた天海の鎌を手に取り、髪を一房切り取った。……びっくりした、首級でもとるのかと思った。
切り取った髪束を紐で纏め、懐にしまう。その様子を眺めて、やっぱり何かしらはとるのかとほんの少し思考した。

「あ、官兵衛ついたっぽい。ここ来るのも時間の問題だね」
「そっか。私は先行くけど……朱ちゃんどうする?」

わざわざ官兵衛を迎えに行くよりは、自分が先に行って少しでも敵を減らした方が良い。紫ちゃんが考えてるのはそういうことなんだろうとあたりをつけて、大谷さんに憑けた影人形へと意識を向けた。
石田軍が到着するのも、時間の問題だ。

「あたしは一旦、西軍本陣になるだろう場所に向かうよ。一応偵察って体で来てるから報告しなきゃだし」
「じゃあここでお別れだね」
「……だね」

少し前に抱いた、妙な……嫌な予感は、まだお腹の辺りでぐるぐると渦巻いている。
だけど、それが何かは解らない。

「うちら何回お別れするんかねえ」
「関ヶ原の結果によっちゃこれが永遠のお別れになるかもね?」
「はっは、笑えないっすわ紫ちゃん」
「いや笑ってるよ朱ちゃん」

最後に傷は大丈夫なのかとの確認だけをして、止血はしたから大丈夫だと言う紫ちゃんの言葉を信用して。
あたし達は軽いハイタッチをしてから、別れた。

紫ちゃんは先に進み、あたしは影の中へと落ちる。

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