うつつ   




「あなたに会うのは、2回目ですね」

緑豊かな自然があふれ、川はせせらぎ、名前も知らない鳥が楽しそうに澄んだ青空を飛び交っている…そんな世界。
ここに来るのも2回目だと、少女――美遊は、申し訳なさそうに小さく微笑んだ。彼女の前に立つ1人の青年、六道骸もまた、同じように小さく微笑む。

「ええ。まさかまた、ここで君と出会う事になるとは思いませんでした。――自分の意志で、ここに?」

こくりと頷き、美遊は骸を見上げる。

「だって、あたしの記憶を消してくれたのは、あなたでしょ?」
「…おや、よくわかりましたね」
「あの時、ここに来たこともうっすらとだけど覚えてる。何で骸…さん、がいる世界に来たのかは、わからないけど…」

うちのおチビがいたく気に入ってる娘がいるようでしたので、ね。そう笑って、骸はいつの間にか現れた白くて小さなテーブルとチェアーに近付き、テーブルに乗っていたカップを手に取った。

「まあ立ち話もなんですし、どうですか?ティータイムでも」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」

2人は椅子に座り、紅茶を啜る。こんなのんびりしてていいのかなあと思いつつも美遊は、目前の骸を見上げて小さくため息を吐いた。この人は急かしたところで本題に入ってはくれないだろうと、そう思ったのだ。

カップの中の紅茶が半分くらいになったところで、美遊はカップをテーブルに戻し、手を膝の上に揃え、骸に目線を向ける。

「まずは…ありがとうございました」
「何がです?」
「…正直、白蘭のところに行って、あたしの精神はボロボロでした。ほんと白蘭って鬼畜ですよね、甘く見てたなあって、心から思います。だからそんな、ボロボロのあたしがフランのところに戻ったら、きっとフランはもっと傷ついていたと思う。フランだけでなく、スクアーロさんやベル、リア姉さんも。だから、骸さんが忘れさせてくれて、良かったと思うんです。結果的にフランのことはやっぱり傷つけてしまったけど、それでも、記憶のないあたしの方がよっぽど、マシだった」

「どうですかねえ、おチビ的には精神がボロボロでも、目を覚ました瞬間に泣きながら自分の名前を呼んでくれるような展開の方が、傷つかずにすんだかもしれませんよ?」

やっぱり骸さんも意地が悪い、と心の中で笑いながら美遊は紅茶を一口啜る。そして少し考え込んで、小さく首を振った。

「あの時のあたしがフランのそばで目を覚ましたとこで、フランをフランだと認識できたかどうか怪しいですし。それくらい、骸さんならわかりますよね?」
「…ただの小娘な割には、イイ性格をしているようですね」
「ただの小娘だからこそ、ですよ」

骸はそんな美遊を見て、クハッと笑いをこぼす。どうしてこうなったのかも、どうしたらいいのかも、どうしたいのかも、全てわかった上でこの娘はここにいるのだと理解している。だからこそ本当にそれでいいのか聞きたくて、ほんの暇つぶしくらいのつもりで、骸はここにいるのだ。
予想以上に面白い娘だ、骸は自分の弟子が彼女に執着する理由が少しだけわかった気がした。

「あたしは、もう大丈夫です。さすがに思い出してすぐは混乱するだろうけど…骸さんのおかげでだいぶ落ち着けました。もう大丈夫。それこそ、泣きながらフランの名前呼んでやりますよ」
「君はきっと、忘れたままの方が幸せだと思いますけどねえ」

「…そうかもしれません。でも、わたしが、わたしじゃダメだって言ってるんです。あたしじゃないと、フランを笑わせられないって。あたしは、美遊は、フランが大好きなんです。ばかばかしいけど、フランがいないと、生きていけないくらい、愛してるんです。だからあたしは、記憶を取り戻して、あたしに戻って、フランに会わなきゃいけない。フランの名前を呼んで、あの子を抱き締めてあげなきゃいけないんです」
「…男前ですね」
「そうですか?」

「まあ、君がそうまで言うのなら止めはしませんよ。ですが幸矢美遊、これからこの世界はミルフィオーレとの戦いで更に酷い物になります。ヴァリアー邸も襲われるでしょう。そしてその時、君は、フランの足手まといにしかならない。そして下手をすればまた、白蘭の玩具になってしまうこともあります。それをわかっているんですか?」

真剣な眼差し。美遊は骸と視線をしっかりと合わせ、頷こうとし…、どうでしょうかね?と、首を傾げた。思わず、骸はがくりと椅子から落ちそうになってしまう。

「わかってはいるんです。ミルフィオーレの…白蘭だけでなく、顔を覚えてる兵士や医療班の人、そういう人たちに会ったらきっとあたしは何も考えらんなくなる。それに、平隊士の人たちにさえ敵わない一般人のあたしがヴァリアーといることがどれだけ危険か。わかってます。でも、足手まといには足手まといなりの動き方があるってことを、不本意ながら白蘭に教わりましたから」
「ほう?」
「あの人暇人なんですかね、実験の傍らぺちゃくちゃずっと力のない人間が生き残るためにはーみたいな話をずっとあたしに聞かせてたんですよ。あ、骸さん、もしいつか白蘭に会うことがあったらその理由、聞いててくださいよ」
「嫌ですよめんどくさい」
「…まあ、冗談ですけど。だから大丈夫だと、思いたいです。甘いって思われるかもしれませんけど。あたしは死にませんし、ヴァリアーの荷物には…まあなるでしょうけど、せめて軽めのお荷物になるよう努力しますから」

にっこり、笑う美遊に力の抜けた骸は、はあとひとつため息を吐いて、美遊の頭をやんわりと撫でた。次に目を覚ますとき、美遊は記憶を取り戻しているだろう。そして、その時にはフランがそばにいる。だから安心すればいいと、その意を手のひらに込めて。

「――ありがとうございます、骸さん」
「別に君のためじゃありませんよ、幸矢美遊」

ゆっくりと骸は美遊から手を離す。それと同時に霧のように消えた美遊の身体。

そして、椅子の上に1人の少女の姿が残った。


「ありがとうございました、骸さん」
「そう何度もお礼を言われるとさすがに困るんですが」
「ごめんなさい、でも全然困ってるようじゃありませんよ」

消えた少女と現れた少女、その姿は瓜二つ…というよりまったく同じで。それもそう、彼女は美遊の、記憶を失っていた時の人格なのだから。
記憶の無い美遊は、美遊が記憶を取り戻した次点で、その人格も記憶も思いも全て…消えてしまう。なにか残るモノはあるかもしれないが、それも美遊次第なのだ。
少女は美遊の飲み残した紅茶を一口のみ、ふわりと、静かに微笑んだ。

「これで、フランさんは笑えるようになりますよね。フランさんは、幸せになれるんですよね?骸さん」
「僕に訊かれてもわかりませんよ。おチビとあの娘次第でしょう」
「…でもきっと、わたしじゃないあたしなら、大丈夫だと思います。フランさんが、あんなに好きになる人なんだから」

ぽたり、ぽたりと、雨も降っていないのに白いテーブルクロスに小さな染みがいくつもできはじめた。それを眺めて、骸はどうしたものかと頬杖をつく。
しかし少女は、今にも消えそうに透けている腕で目元をごしごしと拭うと、ぱっと、晴れやかな笑顔で骸を見上げた。


「それに、フランさんは、あたしだけでなくわたしも、惚れさせた人ですから」

「…そうですね」


すうっと、空気に溶けるように少女の姿が消える。
真っ青な空の下、1人になった骸はテーブルクロスに残った染みをぼんやりと見つめ、その滴のあとをなぞった。じんわりと濡れた感覚が指先に伝わる。やれやれ、と彼が首を振った時にはテーブルも椅子も消えていて。


「――…、」

少女に向けた骸の言葉だけが、その世界にぽつりと、響いた。



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