ゆうりょ   



朝日に照らされ、ゆっくりとまぶたを開いた。
わたしの目に映るのは、わたし以外誰一人いない、無意味に広く、豪華な部屋。
ふと目元に手をやれれば、そこは濡れている。

「、夢…」

誰かから、逃げる夢。
誰かを、探し回る夢。

そんな夢を、見た気がした。
でも詳しいことは覚えていなくて、わたしが泣いている理由はまったくわからない。
半身を起こし、くしゃりと髪を掴んだ。

「…フランさん、帰ってくるの、明日だっけ…?」

ルッスーリアさんと2人で仕事に行っているらしい、フランさん。
何の仕事かは、わからない。

それでもフランさんがいないってだけでなんだか寂しく感じたし、明日帰ってくるんだって思うと嬉しく思えた。
…きっと、記憶を失う前のわたしは、フランさんのことが大好きだったんだろうな。
そして、ベルさんの言うことが本当なら…フランさん、も。


ぎゅ、と右手を握りしめた。

早く思い出さなきゃ、いけない。
ここにいる優しい人たちが悲しんでいる姿は、見たくないから。


――…


何か思い出すきっかけになるモノは無いかな、と、あてもなく大きな屋敷の中を歩き回る。
ふわふわのカーペットのおかげか足音なんてものは響かない。
広いここは見たことない物ばかりで、どことなく淋しさを覚えた。

まるで、ここにわたしの居場所は、ないような。

「…何、してんだぁ」
「うひゃっ!?」
「ゔおっ!」

突然、後ろから聞こえてきた声にびっくりしたあたしは、そのふわふわなカーペットに足を取られて、前につんのめった。

うあっ、こける…!

そう覚悟して目をぎゅうと瞑る、けど、ぱしりと右手を掴まれて、わたしはなんとかこけることなく終わった。
おなかに回された腕にひかれてちゃんと立たされると、後ろにいた人…私に声をかけた人は、はあと呆れ混じりのため息をついた。

「呼ばれただけでこけるとか…どんだけ鈍くせぇんだよ…」
「すみ、ません…ありがとうございます」
「…いや、まあ、元はと言えば俺が悪いんだしなぁ。大丈夫か?」
「っあ、はい」

そうかぁ、にかっと笑った長い銀髪のその人は、そのままの表情でわしゃわしゃとわたしの頭を撫でた。
頭を押さえつけるように撫でられるから、下からちらりと視線だけを向けてみる。

目前のその人は、今にも泣きそうなほど悲しい顔で、微笑んでいた。

「あ、の。スクアーロ…さん?」
「!何…で、名前」
「、え?あれ、何でだろ…」

わたしの頭を撫でる銀髪の人の手に触れたときに口をついて出たのは、覚えていないはずの名前。
でも、この人がスクアーロさんだろうとは、思った。
泣きそうな顔に、声に、よくわからない罪悪感のようなものが、胸を占める。

でも、目の前で呆然としているスクアーロ…さん、は何故かとても嬉しそうに、かあっと頬を赤く染めた。
見た目に似合わず可愛い人だな、なんて、ぼんやりと思う。

「…美遊、」
「、は、い?」

がしっと、頭をさほど強くない力で掴まれた。

「…いや、何でもねぇ。今、会えて良かった」
「?…わたしも、スクアーロさんのおかげで、一歩前進できたような気がするんで…良かったです」
「そうかぁ…。早く思い出せると、いいなぁ」
「、…ありがとう、ございます」

へらりと曖昧に笑って、スクアーロさんに背を向けた。
これ以上ここにいちゃいけない気がして、ほんの少し早歩きに。

もう結構離れただろう、そう思った頃に、わたしの名前が通路に響いた。
呼んだのは、スクアーロさんで。
振り向いて、スクアーロさんの姿を視界に入れる。
表情はわからないけど、切なげな雰囲気が、漂っていた。


「ごめん、な」


聞こえるか聞こえないかギリギリの、言葉。
スクアーロさんに謝られるような理由のないわたしは一瞬ぽかんとしてしまうのだけど、すぐにその言葉を向けた相手は、わかった。

記憶を失う前の、わたしに。


どうしていいかわからなくて、とにかくわたしはくしゃりと笑みを浮かべた。
どうして、今のわたしに?それを言われても、わたしにはあなたが何で謝るのかがわからない、けど。

「その言葉は、全て思い出した後のわたしに、言ってあげてください」
「…、」
「でも、少なくとも、今ここにいるわたしは、スクアーロさんに謝ってもらいたいなんて、思ってないですよ」

それはきっと、思い出したって同じこと。

わたしの言葉を聞いて、安心したようにスクアーロさんが微笑んだような気がした。
それを確認して、今度こそスクアーロさんに背を向ける。

ふわふわのカーペットを踏みしめて、無性に流れてきそうになる涙を、必死に堪えた。


憂慮
(どうか、気に病まないで)


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