きっかけ   



――3日後。


「お前は、この部屋使えばいーから」
「え、あ…ありがとうございます」

目前にいる女…記憶のない美遊、は、戸惑いがちにオレを見上げ、一瞬の間を開けてからぺこりと頭を下げた。
長い袖の服とタイツによって今は隠れているけども、その身体にはミルフィオーレの奴らにつけられた痛々しい傷跡が、まだ残っている。

何もできなかった自分。
スクアーロも、フランも、何もできなかった。
誰も、どうしようもなかった状況を、こいつだけは受け入れて、そして、帰ってきた。


記憶という、大きな代償を、払って。


「なんかあったらオレに言えよ」
「は…はい」
「んで、あのクソガエルは?」
「…、フランさんなら…任務、だそうです」

困ったような、悲しんでいるような、微妙な顔で目を細めて笑った美遊に、ああとボスの言っていたことを思い出す。
確かあいつ、昨日から1週間くらいかかる大がかりな任務に、オカマと行ったんだっけか。

「あの、ベル…さん?」
「、ん?」

黙り込んだオレを窺うように、美遊が首を傾げる。
返事をすれば、美遊はおそるおそる、といった風に自分の左手を顔の近くまで上げた。

その薬指に光るのは、エメラルドグリーンの宝石がついた、小さなシルバーリング。

「これ…って、誰からもらったものか、わかりませんか…?」

そう問いかけてくる美遊の顔は、どこか泣きそうに見えた。

大方、フランが美遊に渡した奴だろ。っつーか、それ以外考えらんねーし。
思ったままにそう返答する。
そうですか…と俯いて、美遊はリングのついている左手を、ぎゅうと強く握りしめていた。

「なあ美遊」
「…はい?」
「何もわかんねーのとか、思い出せねーのって、嫌だと思うけどさ」

コイツは本当にあのクソガエルが好きだったし、アイツも、美遊が好きだった。
そんくらい誰だって見てればわかるし。
あのオカマもカス鮫も、美遊には惹かれていた。あの普通の女な、美遊に。
…それは、オレも…だけど。

だから美遊がオレらを忘れてたっつーのは、むかつくし、なんか…嫌だった。だけど。

「無理すんな…よ」

おまえが、美遊が忘れてんのは、オレ達のことだけじゃない。
フランが話してた、ミルフィオーレに居た間のことも、覚えていないんだ。
そしてそれは、思い出さない方がいいに決まっている記憶、で。

「無理して思い出すこともない」

もう美遊には、傷ついてほしくない。


2人してドアの前に突っ立って、見つめるでもなくお互いを眺める。
きょろきょろと数秒彷徨ってから、美遊の目がオレの姿を映した。

「でも…わたし、忘れたままでいられないんです」
「、…何で」
「わたしが起きてから、ベルさんもルッスーリアさんも、それに…フランさんも。みんなわたしに気を遣って、優しくしてくれました。中でも、フランさんが、ずっと…悲しい顔をしているんです」
「……」

黙る俺の前で、美遊はくしゃりと自分の前髪を右手で掴んで、そっと息を吐いた。

「フランさんのあの顔って、なんか、見たくないんですよね。だから、もしわたしの忘れている記憶に、みなさんが言うように苦しいことがあったとしても」

一拍あけて、美遊はにこりと穏やかな笑みを、オレに向けた。

「わたしはみなさんを、フランさんを、思い出したいんです」
「…そ、か。…んじゃオレに出来ることあったら言えよ。何でも、話してやっから」
「!ありがとう、ございます」

こいつ、何言っても無駄だな。
記憶なくなってもフランバカかよ。

軽く呆れたような視線で美遊の頭をぐっしゃぐしゃに撫で回してやれば、うにゃあと変な声を上げて、美遊はオレの手を掴んだ。
その手の温かさに、安心した。


切欠
(ししっ!強い女だよな、おまえ)


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