そうしつ   



ゆっくりと開いたまぶたは、すぐに閉じられた。
脳裏に焼き付く、地獄のような日々。
注射の痕ばかり残る身体を見て、彼は何と言う?何を思う?
拒絶されるのを恐怖するよりも先に、彼が自分を責めてしまうのではないかと恐怖した。
悪いのは全部あたしで、彼ではない。
あたしの勝手な行動がすべてを招いた。
どうか泣かないで、あなたは何も悪くない。

けれどそれを伝えたい唇は動かない。
彼の涙をぬぐいたい指先は動かない。
あなたを思うこの心は、もう、見えない。


(最愛の貴方に逢うために、貴方を忘れるなんて、あたしはとても馬鹿だね)



――…


昼の、2時16分。
さっき済ませたばかりの遅めの昼食についていたデザートのベリータルトを、味なんて感じないのに咀嚼していた。
しっとりしたタルトは甘いはずなのに、甘く感じない。

「美遊…いつになったら、目を覚ましてくれるんですかー…?」

いつまでも眠り続けたままの美遊は、まるで、現実を全て否定しているようで。
それがミーには耐えられなかった。
出来るものならその細い肩を思い切り揺さぶって、無理矢理にでも起こしてしまいたいのに。
でもそれをしてしまったら、今にも美遊が壊れてしまいそうな気がして、…触れることすら、躊躇う。

美遊に伸ばした指先を、一瞬止めた。
ミーが触れたら美遊が壊れてしまわないだろうか、そう思うけれどやっぱり美遊に触れたくて、温かい肌に触れて生きていることを、存在していることをちゃんと確かめたくて。

もう何度目かわからない。
美遊の頬に、壊れ物に触れるように手を滑らせた。…温かい。
ちゃんと美遊は生きて、生きてミーの隣に居る。
そっと、安堵の溜息を吐いた。

口にすべて入りきったベリータルトを飲み込み、食器を下げてもらうため携帯を取り出す。


「…、だれ…?」
「ー…っ!」

がしゃんと音を立てて落ちた携帯なんて見る気も起きず、美遊が眠るベッドの方に振り返った。
今まで胸の上で組まれて動くことのなかった腕が、窓から差し込む陽光が眩しいのかそれを遮るように顔の上に掲げられている。
瞳はしっかりと、でもまだどこかぼーっとしているように開かれて、その目に映るのは…ミーの、姿。

「っ…、美遊ー!」
「え?わっ、」

何も考えられなかった。
ただただ、美遊がまたミーを見てくれたことが嬉しくて、美遊の声が聞けたことが嬉しくて。
美遊を思い切り抱き締めて、その温もりがもう離れないことを実感した。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。
今なら堕王子相手にも満面の笑顔で挨拶できそうだ。

美遊は暫くして身体を離したミーを戸惑いがちに見つめた。
気分はどうですかー?と問えば、大丈夫、と返される。
けれど何故か、美遊は笑わない。
美遊ならミーを見たそのときに、微笑むだろうと思っていたのに、美遊はどこか不安そうな瞳で、きょろきょろと周囲を見るだけだった。
たまにミーと目があっても、ぱっと逸らされてしまう。

違和感と共に感じたのは、言い様のない嫌な予感。


何かを決心したようにこっちを向いた美遊が、ゆっくりと口を開こうとする。
それを聞いてはいけないような気がして、咄嗟に耳をふさごうと手が動いた。
でも、それは、間に合わなかった。

「えっと…ごめん、誰…でした、っけ?」

本当に、不思議そうに…申し訳なさそうに、その言葉を紡いだ、美遊。


美遊、美遊。
そこにいるのは紛れもなく美遊なのに、ミーの大好きな…美遊、なのに。
ミーを見つめる美遊の目は、ミーの知っている美遊じゃなかった。


喪失
(胸に、大きな穴が空いた)


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