たえる   



泣き疲れたのか、ようやく涙を止めて少しだけ落ち着いたらしい梨紗は、あたしの後ろに隠れていた。
白蘭を見ないように。白蘭に見られないように。
梨紗が何をされたかなんて、あたしには想像つかない。
でも、梨紗の怯えようでどれだけ酷いことをされたかってことは、わかった。
この子はここに居ちゃいけない。
平和で平凡な、あたし達の世界に帰さなきゃいけない。

でも…じゃあ、あたしは?

梨紗のことだけじゃなくても、あたしだってこの世界にいるべき人間じゃないんだ。
そうだけど、それでも、あたしは……。

「帰らないの?美遊チャン」

いつの間にか手元にあったコーヒーカップに口を付けて、白蘭が唇を三日月型に歪めた。
この人は、恐い人…危険な人だ。
だから梨紗はこんなにも、こんなにも身体を震わせている。声を、聞いただけで。


フラン…。

心の中で呟いた、大好きな人の名前。
あたしはどうしたらいい?
答えてよ、なんて思っても、そんな都合良くフランが現れてくれるわけが無くて、あたしは途方に暮れていた。

帰らなきゃいけない。
帰りたくない。

2つの気持ちに、心が押しつぶされそうだった。

「あ、そーだ。悩んでる美遊チャンにイイコト教えてあげるよ」
「…え、?」

かちゃ、とコーヒーカップをテーブルに戻して、白蘭は人差し指を立てた。
明らかに何かを企んでいる表情だってことくらい、さすがにあたしにでもわかる。
でも、その白蘭の言葉が、今のあたしには希望だった。

「キミが望むなら、元の世界に帰った後、またこっちに戻ってこれるようにしてあげることも出来るんだ。本当なら、そのペンダントは3回以上使うことは不可能なんだけどね」
「…、」
「美遊チャンは…ここに、未練があるんでしょ?」

何もかも見透かされている。
こわい、と思う前に、何でこの人はこんなにも人の感情を読むのが上手いんだろうと、素直に尊敬してしまった。
それとも、あたしがそんなにわかりやすいのかな…。

梨紗に、きゅっと腕を掴まれる。
白蘭から目を離して梨紗に向ければ、ふるふると首を振られた。

「罠に決まってる…よ、美遊…あの人がタダでそんなこと、してくれるわけがない」
「あはっ、よくわかってるね、梨紗チャン」
「ーっ…」
「どういう…何を、すれば」
「美遊っ!!」

それでもあたしには、これしか縋るモノが無いんだ。

フランと一緒にいたい。
その為なら何でもするって、決めたんだから。
絶対、フランと一緒にいる未来に変えるって、10年後のフランと約束したんだから。


ごめんね、って梨紗に笑いかけてから、あたしは梨紗の腕をそっと払いのけた。

「美遊…っ」
「何をすれば、いいの…?」
「別にカンタンなコト。僕たちの研究に貢献してくれさえすれば、1ヶ月くらいで美遊チャンを自由にしてあげる。それを約束してくれるなら、これを渡すよ」

そう言った白蘭の手には、小さなリングが乗せられていた。
ぎゅ、と自分の手を握りしめて、目を閉じる。

「約束、する」
「良かった」

まるで語尾にハートでもついているんじゃないか、ってくらい白蘭は機嫌良さそうに呟いて、あたしを手招いた。
おとなしくそれに従い、白蘭の目の前に立つ。
背後で、梨紗の泣く声が聞こえた。

「ハイ、どーぞ」
「…これがあれば、ここに戻ってこれるの…?」
「うん。リングに炎を灯すみたいに、強い覚悟がなきゃ出来ないんだけど…聞いた話では、美遊チャンはリングに炎を灯したらしいから、問題ないよね?」

こくりと頷いて、リングを強く握る。
これで未来は変わるはず。
白蘭に何をされるかなんてわからない、きっと恐い思いもするかもしれない。
でも、フランと一緒にいられるなら…。


いつか読んだ小説の話を思い出した。
あたしはあの時、その小説のヒロインを馬鹿みたいだと笑った。
でも、今のあたしはそのヒロインを笑うことが出来ない。

「あたしも結局、馬鹿ってことかな」

小さく小さくそう口にして、梨紗の方に振り向いた。


「さあ梨紗、帰ろう、あたし達の世界に」
「でも、美遊…っ!」
「いーからいーから、早く」

あたしの決心が揺らぐ前に、早く。

梨紗と手を繋いで、元の世界の姿を強く思い浮かべる。
身体がふわっと浮くような感覚が指先の辺りに現れたとき、爆音が響いて、何かに強く引っ張られた。

「、え…っ?!」
「何勝手に、帰ろうとしてんですかー…」

聞こえるわけのない声に目を見開いて、感じるわけのない体温に息を呑んだ。
何で、何で、ここに…君が来るの。

「フランっ…!」

瞳に映ったフランの顔は、これ以上なく…スクアーロの時よりも…不機嫌だった。


 (あたしは気付かない、白蘭の笑みが深くなったことに)


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