ちかづく   



フランに指輪を貰ってから、いくらか経ったある日。フランは珍しく朝から夜までの、1日がかりの任務に行っていた。
しかもリア姉さんと2人で。
つまり、あたしは誰の部屋に行くことも出来ず仕方なしにフランの部屋でぼーっと1日を過ごすことになってしまったのである。

とは言っても、まだ読んでない本は何冊もあるし、リア姉さんにもらったイタリア語のドリル的なあれもまだ数冊残っている。暇つぶしに困ることはないと思う。
だからあたしは、本を読んだりイタリア語の勉強をしながら、その日1日を平和に過ごす予定だったんだ。


今、この瞬間までは。


――…


イタリアンマフィアの歴史についての本、58P7行目を読んでいたその時、ぞくりとあたしの背が総毛立った。
とんでもない威圧感を、部屋の外から感じたから。
壊れた機械のように、ギギギ…と軋んだ音が出そうなほどゆっくり、部屋の出入り口を凝視する。

「、…っ」

嫌な予感が、する。
よくわからないけど、漠然とそう思った。

恐怖を覚えるほどのその気配は、あたしのいる…フランの部屋の前で止まった。
じぃ、とドアを見つめる。
ドアノブが、がちゃりと動いた。

「……」

開いた扉の向こうに、鷲か獅子のそれかとすら思える、獰猛な赤い瞳が見えた。
漆黒の髪が揺れ、隊服をなびかせ、一歩一歩着実にあたしに向かってくる、その人は、

「なん、で…?」
「…女、お前が、美遊か」

見間違うわけもなく、ヴァリアーのボス…ザンザス、だった。

何でザンザスが、この部屋に?
わざわざ、フランが居ないときに…。
一体何の用で…ていうかあたしの名前知ってんのかザンザス…。

ザンザスの威圧感は異常なくらいで、あたしは既に泣きそうだった。
怖い、恐い。
カタカタと震える手から本が滑り落ち、床に転がった。足は動かない、立てない。口の中がカラカラに乾いてて、喋ることも出来ない。

「答えろ」

で、も、ザンザスに睨まれたその時、あたしの口は勝手に、はいと返事をしていた。
はい、と言って、直後に少し驚きながらも安堵した。
だって多分、返事をしなかったら、きっと、殺されていた。

「…来い」
「え…、?」
「ついてこい」

それだけを口にしたザンザスは、がしっとあたしの左手首を掴んだ。
無理矢理立たされ、もつれる足で必死に立ち、歩き出したザンザスに引っ張られる形で部屋の外へと向かう。
ちら、とあたしを見やってから、ザンザスはドアを開けようとする。


…ぞわ、

なんというか、確証はまったく無いんだけど、その時あたしは違和感を感じた。
どこが何とかそういうのは全然わからない。
けど、あたしは歩くのを止めて、ザンザスの手を振り払った。
予想外に簡単にほどけたそれに目を丸くしながら、3歩後ろに下がる。
ザンザス…の、眉間に皺が寄った。

「何をしている」
「ちが、う」
「……」
「あなた、ザンザスじゃない。ザンザスならちゃんと気配を消せるし、そんなに優しくあたしの手を掴まないし、それに、あの人がわざわざあたしなんかのとこに来るわけがない。違う、あんたは、ザンザスじゃない!」

これで本物だったら死亡フラグだね!とか思いながらも、あたしは心のどこかで確信していた。
この目の前にいるザンザスの姿をした人間は、ザンザスではない、って。

あたしにそう言われたザンザス(仮)は、一瞬キョトン、としたかと思うと、次の瞬間には口を三日月型に歪めて、恐いほどの笑みを作っていた。

「ー…っ!」

全身に一気に鳥肌が立つ。
何この人、恐い、恐い恐い恐い恐い!
じわりと滲みかけた涙を気力で押し戻して、キュッと口を真一文字に結ぶ。
今、ここにフランはいない。頼れる人は居ない。

ザンザス(仮)の身体を霧が包む。
霧がはれたときに出てきたのは、見たこともない男だった。…ミルフィオーレの、隊服を着た。

「…白蘭様の命により、貴女を迎えに上がりました。美遊様」
「なんで、ミルフィオーレが…あたし、を」
「すべてはお越し下されば理解いただけると思います」

さっきの嫌な笑みは消え、あくまでも柔和な笑みを浮かべる男。
ただただあたしは顔を顰めて、さらに2歩、後退した。

「行かない、行くわけがない」
「そうですか…」

ぎゅうとフランに貰った指輪のある、左手を握りしめた。
男は残念そうに眉尻を下げ、小さく笑う。その右手には、拳銃。

ワオ、なんて他人事みたいに驚いた。
今その拳銃に打たれる可能性があるのは自分しか居ないってのに、どこか冷静なのは、この男に殺気がないから?
殺しちゃいけない…じゃあきっと白蘭は生きているあたしに会いたいと思っている、の?
…だめだ意味わかんない、あたし頭良い方じゃないんだよ…なんで白蘭があたしを…。

「ならば、無理矢理にでも来ていただきます」
「っ、ー!?」

パァン!

響いた銃声に、反射的に目を瞑って両手で耳を塞いだ。
目を開いてみれば、あたしの右足から数cmの場所に、銃痕。
生きていれば…多少の怪我は仕方ない、ってか…?!
精神に大ダメージだよコノヤロウ!

背は向けずに後ろへ下がっていくあたしを、男はゆっくりと余裕そうに歩いて追いかける。
そりゃそうだ、この部屋唯一の出口であるドアは男の背にあるし、部屋の窓から出たとしてここは1階じゃない…一般人のあたしが落ちたら、死ぬ。
つまり逃げ道ゼロ。

流石のあたしでもコレは焦る。
どうすればいい…どうすれば、どうしたら。


ここでこの男に連れて行かれたら、もう二度とフランに会えなくなる気がした。

それだけは、絶対嫌だった。


あたしは、ずっとフランと一緒にいるって…ずっとずっとフランの隣に居るんだ、って…

「決めた、んだから…!」


 (瞬きをした直後、あたしは藍色の炎に包まれた)


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