換気扇の汚れが気になるなあ、と私は台所に佇んでいた。
この部屋に住んで三年半、換気扇の掃除はまったくしていなかった。べったりとついた油汚れと埃。これは、汚い。
試しに濡らしたキッチンペーパーで、拭ってみる。
鈍く滑るような感覚で拭き取れた汚れは、想像以上に酷かった。ああ、換気扇、最初はこんな色だったんだな…。

専用の洗剤をぞうきんにつけ、精一杯背伸びをして換気扇の板を拭く。
…話は変わるが、いや、正確に言うとあまり変わらないんだが、私の背はそう高くはない。そして我が家に、踏み台というものは無い。
なにが言いたいかと言うと、上の方、届かない。

「ううん…」

食器を洗い終えたかと思えば唐突に台所掃除をはじめた私なんて気にもせず、毛利さんは最近覚えたパソコンをいじっている。
何のサイトを見ているんだろうか、気にならなくはないが、今はどうでもよくて。

「もう、ちょい…」

ぐぐぐ、と背伸びを再開。
「ふっ」やら「ほっ」やら、変な声をあげながらぞうきんで必死に換気扇を拭いていく。あとは上部の、数センチ程度なのに、そこだけがどうしても届かない。
いっそ、コンロの上に乗り上げるべきだろうか。いやでも、さすがに壊れそうだし、危ないだろうし…。

どうしよう、と汚れきったぞうきんを手に換気扇を見上げる。

「何をしておる」
「ひょっ!」

喉と鼻の中間辺りから、妙に高い声が出た。

「も、毛利さん、驚かさないでください」
「貴様が呆けているのが悪かろう」
「う…すみません」

私と、ぞうきんと、一部を除いて綺麗になった換気扇とを順に見やって、毛利さんはまた私へと視線を戻す。
な、なんだろう。うるさかったのかな。

「先程から、貴様の声が耳障りでかなわん」
「あ、やっぱり…すみません、届かなくて、つい」

私が換気扇を見上げると、釣られるように毛利さんも換気扇を見上げた。
私と毛利さんの背には、当然といえば当然だけれど差がある。毛利さんの方が、十センチ…くらいだろうか、高い。
あ、じゃあ毛利さんなら届くんじゃ…!と思いはしたけれど、まさかあの毛利さんが私のお願いを聞いてくれるとは思えないし、その考えは却下。

ううん、やっぱり諦めるか、今日の買い物で踏み台買ってくるしかないのかな。
小さく溜息をつこうとしたら、不意に、毛利さんが私に背を向けてしゃがみ込んだ。…え?

「、毛利さん?」
「何をしている、早く乗らぬか」
「え、え?」
「届かぬのだろう。我自ら貴様の手助けをしてやろうと言うのだ、感謝せよ」

困惑、というか、混乱。

これは、ええと、毛利さんの肩に乗れと、いうことでしょうか。
肩車?あの、毛利さんに?この細い毛利さんに?私が……い、いやいや、無理。さすがに毛利さんでも、絶対重い。
申し訳ないという気持ちもたくさんあるけど、それよりなにより、怖い!

でも、わざわざ毛利さんが肩車してくれようとしてるのに、それを断るのも怖い…。

「あ、う、じゃ、じゃあ、失礼します…」

恐る恐る、毛利さんの肩に足をかけて、乗る。
ゆっくりと視界が高くなっていって、私の手は換気扇の最上部に余裕で届く位置にきた。
きゅっきゅと拭いながら、私の足を支える毛利さんに目線を落とす。

「重く、ないですか?」
「…貴様の重みなど、我が輪刀に比べれば大したことも無い」
「あれそんなに重いんですか…」

部屋の隅に立て掛けられている輪刀を思い浮かべ、さあっと顔を青ざめさせる。
そんなので斬られたら、本当に、一溜まりもない…。
良かった、私の首と胴体はまだ繋がっていて。するり、自分の首元を撫でて安堵した。

にしても、この細腕のいったいどこに、こんな力があるんだろう。
毛利さんって背も高い方では無いし、線も細いし、腰回りなんて多分私より細い……いや、考えないでおこう。むなしくなる。

「終わりました」

換気扇を拭き終え、毛利さんに告げる。
ゆっくりと腰を下ろした毛利さんの肩から下りて、深く頭を下げた。

「本当に、ありがとうございました。助かりました」

ふん、と鼻で笑って、毛利さんはすたすたと部屋へ戻っていく。

まだ、よくわからないけど、本当は優しい人なのかな。
ああでも、後で見返りとか要求されたらどうしよう、私、何も渡せない…。

確か毛利さんはお餅の類が好きらしいし、今度、美味しい和菓子でも買いに行くべきだろうか。
そんなことを考えながら、もう洗っても落ちないだろう汚れに塗れたぞうきんを、ゴミ箱に放った。


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