私は今、夢を見ているんだ、と思った。
そこはとても薄暗く、暗く。私の視界に映るのは、薄墨色の闇と、鈍色の柵だけ。柵はぐるりと私を取り囲んでいて、出られそうもない。出る、気力もない。
とてつもなく暇だった。何も出来ない、することも無い場所。私以外に人はいないし、声を出すことも出来ない。出したところで、意味もないだろうけれど。
……ああ、訂正。人は居た。柵の向こう側に、座り込む私と相対するように二本足でまっすぐ立って、にこにこと私を見下げている人が。

私とおんなじ顔の、おんなじ姿の、別人が居た。

「暇でもいいじゃん、そのままで。もう光は傷付かないし、無駄に悩みもしない。そこはとても安全で、安心できる場所でしょう?光は何もしなくていいんだよ。
 ――何も、出来ないんだから」

くつりと、その人は嗤う。
その通りだ。私には何も出来ない。

「漫画を読んでる自分と、何も出来ないでみんなを眺めてる自分。何も変わらないでしょう?光には、みんなを守る力も、度胸も無い。それならもう、見なきゃいいんだよ。全部、ぜーんぶ、目を瞑って、耳を塞いで、口を噤んで、此処に居ればいい。私が代わりに、哀しいことも苦しいことも、嬉しいことも楽しいことも、ぜーんぶ、見てきてあげるから」

ね?なんて甘ったるい声で呟いて、ねっとりと撫で回すように柵に触れた。
私は何も応えず、その指先だけを眺めている。

この人は何なんだろう、そう考えてみたけれど、何が正解かはわからなかった。
別人格、私の本音、妄想、想像も出来ないような何か。……考えるだけ無駄だ。私は問いかける口を持っていないし、きっとこの人も答えはしない。

「ほら、もうすぐ争奪戦が始まるよ。最初は晴戦だったかな?了平さんと、ルッスーリア。……ルッスーリアにはつらいことを言われたね。でも気にしなくていいよ」

緩慢な動作で、視線を上げていく。私とおんなじ色の目と、目が合った。

「だって光はルッスーリアの言う通り、お姫様だもの。柵に囚われて、いつ来るかもわからない助けを待つだけのお姫様。ぴったりでしょう?真実なんだから、傷付く必要は無いんだよ」

真実だからこそ、傷付くこともあるだろう。
そう思ったのが視線で伝わったのか、その人はくすくすと肩を震わせて嗤った。そして、軽やかな動きで背を向ける。足先でリズムをとるように、愉しそうに、一歩を踏み出した。

「光はもう傷付かないよ。私が、光の代わりをするんだもの」

(はて、貴女に代わりが務まるんですかね)

じんわりと響いてきた声は、どこから聞こえてきたのかわからなかった。
だけど一つだけ、確かなこと。……この声は、骸のものだ。

目の前の人は、ぴたりと全身の動きを止めて、ゆっくり、頭上へと視線を向ける。釣られるように私も上の方を見つめた。
ピシッ、そんな音を立てて、薄墨色の世界にひびが入る。
そのひびから白い光が漏れ出てきて、私は眩しさに眼を細めた。ああ、と心の中で何とも言えない声を漏らす。喜びとも、呆れともつかない、喉の奥が震えるような感覚。

「少なくとも光は、貴女のような話し方はしないはずですが」

幽かな音を立てて、光の中からあの人の隣に着地したのは、確かに骸だった。
骸の言葉を受けて、私とおんなじ顔をした人はつまらなそうに頬を膨らませている。ちぇ、と小さな舌打ちが聞こえて、それとほとんど同時に骸がクフフと笑った。

「王子の助けが、ご不満ですか?」
「……貴方は、光の王子様には力不足だよ」
「おやおや、これは手厳しい」

むくれっ面に、骸の三叉槍が突きつけられる。その人は更に頬を膨らませて、数秒、骸と睨み合った。
――そうして、全身の力を抜く。

「骸が来たんじゃあ、この世界ももう終わりね。あーあ、せっかく光の代わりをしてあげられると思ったのに」
「ほう、何故終わりだと?」
「だって今のマーモンは、骸より弱いもの」

はて、と首を傾げる。何で今、マーモンの名前が出るのか。
……この世界は、マーモンが創ったもの?じゃあ、この人は、マーモンの作った幻影?……あれ、そういえば私、何でここにいるんだっけ。
確か、……そうだ、ベルと一緒にいたらマーモンが来て、その後に気が付いたら此処にいた。
……めちゃくちゃ原因マーモンじゃねーか!何でそこに思い至らなかったんだ私。

自分がどれだけ抜けているかを自覚し、頭を抱えていたところで、ぐにゃりと歪んだような感覚が走る。
顔を上げれば、骸の手によって柵がねじ曲げられていた。私1人くらい、余裕で抜け出せる穴が、そこには出来ている。
骸の後ろであの人は、つまらなそうに両腕を組んでいた。

「来なさい、光。君の居場所はそこではないはずだ」
「光が居たいんだったら、そこに居て良いんだよ。外に出たって、また無駄に悩むだけじゃない」

私は、座り込んだままで、2人を見上げる。
手を差し伸べる骸は、私がその手をとると信じている。両腕を組んだ人は、どうせ出て行くんでしょうとでも言いたげに、私を見つめている。

外に出たって、また無駄に悩むだけだ。本当に、そうだと思う。

みんなの力になりたい。もっと私に力があれば。みんなの為に何が出来るだろう。先を知っていて、何もしない私をみんなは恨むだろうか、見限るだろうか、罵るだろうか。みんなはそんなことしない。でも、私には何も出来ない。原作を変えるのが怖い。何もしない方が良い。でも、傷付くみんなを、見たくない。
わがままで、自分勝手な、悩み。本当に無駄で、無意味な。

「無意味な悩みなど、ありはしませんよ」

骸が、差し伸べていた手をおろした。

「悩んで、考えて、そうしている間に時は進んでいく。だからと言って思考を停止させても、答えは出ないままだ。悩み続けることは、答えを模索することは、己の行動を決める重要なプロセスです。思い煩う、心の苦しみは、自身の足を進ませるために必要なものだと。光なら、理解出来るでしょう」
「……、」
「それでも答えが出ず、悩むことにも疲れてしまったのなら」

再び、骸の手が私へと向けられた。

「己が納得いくまで壊してしまうのも、ひとつの手だとは思いますよ」
「……それ、私が言ったセリフなんだけど」

自然と出た声と共に、立ち上がって、骸の手を取る。
無駄な悩みなんて無い。そう思えたら、どれだけ楽だろう。何も考えず、全てを壊せたら、どれだけ気が晴れるだろう。考えてはみても、やっぱり答えなんて出てこない。
私はいつまでもこの悩みを抱え続けるだろうし、全てを壊す度胸なんて、あるはずが無いんだから。

でも、今なら、何だって出来るような気がした。

「行っちゃうの」

私とおんなじ声が、寂しそうに呟く。曖昧に笑って、頷いた。
その人は唇を尖らせて、私から目を逸らす。

「……まあ、いいや」

軽やかな足取りで私に背を向けて、足先でリズムをとるように、一歩踏み出して。
くるりと振り返ったその人は、にんまりと愉しそうに、嗤っていた。

「光は結局、何も出来ないよ。今だって、骸が助けに来てくんなきゃ何もしなかった。私には何も出来ないからって、諦めて、此処にずっと居た。やっぱり光は悲劇のお姫様だね。……でも、いいよ。行ってらっしゃい、って見送ってあげる。どうせまたいつか、光は此処に戻ってくるんだから。それまで私は、光の代わりが務まるよう、練習でもしておくよ」

軽やかに、愉しそうに、その人は数歩進んだあと煙のようにかき消えた。
眼をぱちくりさせて、そのまま視線を骸へと向ける。

「あの人は、何だったの?マーモンの幻影じゃ、ないの」
「……さあ?僕には解りかねますね」
「知ってそうな口ぶり……」
「どうですかねえ」

まあいいけど。諦めの溜息を吐いて、ちらとだけ、あの人の消えていった方を見やる。

現状の私は、確かにお姫様だ。
悲観して、かわいそぶって、誰かが助けてくれるだろうって状況に胡座掻いてあくびでもしてれば、本当に誰かが助けてくれる。ただ待ってて、その後にありがとうって言えばいいだけの存在なんだから、大したもんだ。そりゃあ、そこに居続けるのは楽だろう。
でも私は、お姫様なんて大層なもんじゃない。そんなガラでもない。

みんなの助けに、力になりたい。ただの読者じゃなくて、みんなと一緒に生きている、友だちとして。
悩んで考えて、後悔すんのは、行動した後でもいいはずだ。

「骸」
「何ですか」
「ありがとう、助けに来てくれて」

暫しの間をあけて、「どうやら光は、お姫様だったようですからね」と骸は空笑った。私も笑って、骸の横っ腹を肘でつつく。

「私がお姫様〜なんてかわいいもんじゃないの、骸はよく知ってるでしょ」
「クフフ、それもそうでした」
「いざ認められるとなんか腹立つな」

 
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